6月2日(日)⑪ 残された遺品
僕らを乗せたトラクターは緩やかな谷を下り、見渡す限り田の広がっていた棚田エリアを抜けて、目的地であるイナリ村へと入っていった。
その村は、藁ぶき屋根や瓦屋根の一軒家がぽつぽつと立ち並ぶ小さな村で、川沿い周辺に群れを成すようにして一つの集落を形成していた。村の周囲には石を積み上げただけの簡素な石垣が伸びており、それは外敵から身を守るためというより、村から家畜が逃げないために設けられた柵のようだった。
村にはたくさんの村人たちが外を出歩いていたが、彼らもやはりチヨベと同じく、誰もが頭から何かしらの獣の耳や角を生やしている者ばかりだった。
そして、小さな村ではあるけれど、そこに住む村人たちは誰もが皆働き者で、村全体も活気付いているように見えた。チヨベと同じ蒸気機関を搭載したトラクターを操る別の男性ともすれ違ったし、遠くの広場では子どもたちが元気良く遊ぶ声が聞こえ、川を渡している橋を通ると、橋の下で女性たちが取れたばかりの野菜を洗っている姿が見えた。
村人たちは、通り過ぎてゆく僕らの方を見ては立ち止まり、目を丸くしていたり、近くに居る仲間とひそひそ話を交わしたりしていた。獣の耳や角を生やしていない僕らの姿が、彼らにとって珍しく映るのだろう。
やがてチヨベのトラクターは、村の中央に位置する広場へ入ってゆく。
その広場の正面には、さっき見た藁ぶき屋根の家とは違う、一際大きな西洋風のレンガ造りの建物がどっしりと構えていた。屋根には小さな時計塔もあり、そこにかけられた時計の文字盤は僕らの居た世界にあるのと全く同じもので、針は五時三十分を指していた。
そして、その建物の奥には、二本のレールと枕木から成る一本の線路が敷かれており、左右に伸びる小さなプラットホームまで整備されていた。
「こ、ここって……駅になっているのか?」
「ああそうだよ。ここがイナリ村の中心になってる中央駅舎さ。毎日ここに一日一本汽車が来て、村に物資を届けてくれたり、逆にここで採れたヨネを町の方へ運んで行くんだ」
寂れた感じがあって、まるで片田舎の駅のホームのような見た目をした殺風景なプラットホームだが、こんな小さな村に駅があること自体驚きだった。チヨベのトラクターが蒸気で動いているところから推測して、おそらくこの線路には蒸気機関車が走っているのだろう。最初この世界に来た時、蒸気で動く飛行船らしき乗り物も目撃しているから、この世界ではどうやら、蒸気機関による技術が目覚ましく発展しているようだ。
「お前らはここで待ってろ、俺は用事を済ませてくる」
チヨベは広場の片隅にトラクターを止めると、僕らにそう言い残して運転席を降り、ある一つの建物へと入っていった。
その建物は瓦屋根と漆喰の壁でできており、入口に暖簾が掛かっているところから、どうやら何かのお店であるらしい。店の入口横には看板が掛けられていたが、異世界の文字で書かれているせいで読むことができず、何の店なのか分からなかった。
暫くすると、入口の引き戸が開き、中からチヨベともう一人、お店の主人らしき汚れたエプロンを付けた馬耳の男が一緒になって店から出てきた。チヨベと仲良く話しているその男の手には、長さ二尺半(約七十六センチ)を超える太刀が握られており、僕らはそれを見てギョッとする。
「悪いなコテツ、急に仕事頼んじまってよ」
「なぁに、良いってことよ。困った時はお互い様さ」
二人の会話がこちらまで聞こえてくる。二人とも気兼ねなく話しているところから、どうやらチヨベはこの店の常連であるらしいことが分かった。
「悪いな、こんなに奇麗にしてもらっちまって……お代は本当にいいのかよ?」
「お前にゃ返し切れないほどの恩を売っちまってるからな。このくらいどうってことねぇさ。ほれ、受け取れ」
馬耳の店主はそう言って、持っていた太刀をチヨベに託した。その太刀は、綺麗な漆塗りの鞘に収められており、柄には鮮やかな赤の組紐が巻かれ、金の鍔で美しく縁取られていた。
チヨベは男から太刀を受け取る。この時、何を思ったのか、チヨベは急に眉を引きつらせ、口元を強張らせて、その太刀を両手で強く握り締めた。彼の様子を見ていた店主の男も、チヨベの険しい表情から目を背けるように視線を下げる。
「……なぁ、あんまり気落ちすんなよチヨベ。娘さんのことは残念だが、あんたの人生はこれで全て終わったわけじゃねぇだろう? 前を向いて生きなきゃ、あの子も報われねぇよ」
店主の男が静かにそう口を開き、慰めるようにチヨベの肩に手を置く。けれどもチヨベは太刀を強く握り締めたまま、店主に向かって強く言い返した。
「……なぁコテツ、前にも言ったはずだぜ。あいつはまだ死んじゃいねぇ。あのバカは絶対に何処かで生きてる。きっと忘れた頃にひょっこり間抜け面を引っ下げて帰って来るに違ぇねぇ。……ったく、散々俺たちに迷惑かけさせやがってよ。あいつが無事に帰って来た暁にゃ、こいつでケツ引っ叩いて、村中の奴らの前で土下座させてやらぁ」
そう言って持っていた太刀を見せつけるチヨベに対し、店主の男は力無く馬耳を垂らし、「……ああ、そうだったな」と溜め息を吐いた。
「まぁとにかく、これで太刀の外見は完璧に取り繕ったから、誰が見ても文句は出ねぇだろうよ。……後は中身だけだ。あればかりは俺の手にも負えねぇからな。中身はあんたがしっかりと繕ってやってくれよ」
馬耳の店主はそう言い残して片手を振り、踵を返して店の中へと戻っていった。
「……ったく、俺はもうその仕事から降りたってのによ」
チヨベはぶつくさ独り言を漏らしながら太刀を担ぎ、トラクターの方へと戻って来る。
「あ、あの……さっきの人は?」
僕はチヨベに向かって恐る恐る訪ねてみる。
「あん? あぁ、あいつは拵屋をやってるコテツって奴だ。太刀の鞘や柄を修理してくれたんだよ。おかげで見ろよ、新品同然にピッカピカだぜ」
チヨベは満足気にそう言って担いでいた太刀を下ろし、運転席の横にかけた。
僕はこの時、あの店の主人と二人で話していた内容についても、チヨベに尋ねてみるべきかどうか迷った。あまり触れてはならない話だったようにも思えたし、気にはなるけれど、ここは黙ったままやり過ごした方が賢明かもしれない。
――そう思っていた時だった。
「……あなたの娘さんに、何かあったんですか?」
ここぞとばかりに、隣に居た紬希がチヨベに向かってそう問い掛けた。自分の気にかかったこと、不思議に思ったことを放っておけない性格である紬希が、ここで黙っている訳がなかったのだ。
「……ちっ、何だよ、聞いてたのか。テメェらには関係ねぇ話だ。首突っ込むんじゃねぇよ」
「でも、さっき言ってた話だと、あなたの娘さんは――」
そこまで紬希が言った時、ギロリとチヨベの鋭い視線に射貫かれ、僕の背筋に寒気が走った。
「おい、それ以上余計な事を口にすりゃ、こいつでテメェの喉を搔き切ってやるからな」
そう脅されてしまい、流石に紬希も引き下がらない訳にはいかなかった。どうやら気安くさっきの話を持ち出すことは、チヨベにとってタブーであったらしい。
「……ふん。何よ、自分が悲しいからって他人に当たって」
虎舞が顔を背けてぶつぶつと独り言を漏らした。もしその言葉がチヨベに聞こえていたら、彼は激怒していたかもしれなかったが、幸いトラクターのエンジンをかける音にかき消され、彼の耳にまでは届かなかった。
それから僕らは、不機嫌なチヨベの運転するトラクターに載せられたまま、村の広場を後にした。僕らはチヨベの家に到着するまでの間、終始黙り込んだままだった。




