6月2日(日)⑧ ウチコワシとの戦い
僕は全力で紬希と虎舞の後を追いかけた。
しかし、能力者である二人の体力は桁外れで、普通の人間である僕が追いつけるはずもない。
ようやく目的の場所に到着すると、問題の起きている水田の周りには、僕たちの他にも、たくさんの農民たちがたむろしていた。不思議なことに、そこに集まった農民の誰もがトラクターに乗ったおじさんと同族なのか、皆何かしらの動物の耳を、頭から生やしている。
「……ちょっと、何なのよ、あれ………」
そんな農民たちに紛れ、虚舞が呆けた表情をして、駆け付けた紬希と共に水田の一方を見つめている。
その水田に植えられたヨネ(間違いなく米のことを言っているのだろうが、ここは現地の言葉に合わせておく)の稲穂は、すっかり身を付けて黄金色に変わっており、まるで水田全体に金色の絨毯を敷いているように見えた。
しかし、そんな金色の絨毯の上に寝転がる様にして居座る一匹の生き物――いや、一匹の黒い鳥が、豊満に実った稲穂を食い荒らしていた。
体長八メートル以上はあるだろうか? その鳥は全身が真っ黒な羽毛で覆われていたが、唯一黄色い嘴は他に類を見ないほどに長く、嘴全体がまるで髪を解く櫛のようにギザギザしている。
その真っ黒な鳥は、水田に植えられた稲穂を、鎌のように鋭利な爪を持った足先で刈り取っていた。そして、ギザギザの嘴を使って、まるで千歯扱きで脱穀するように穂に付いた実をこそぎ、残さず平らげてしまっているのである。
そこへ、暴走トラクターに乗った猫耳おじさんが、爆音を撒き散らしながら現場に駆け付ける。その様子を見た、この水田の持ち主らしき牛の角を頭から生やした男が、真っ青な顔をして声を上げた。
「あぁ、チヨベの旦那ぁ! ひでぇよ、こりゃあんまりだよ! せっかく汗水垂らして俺たちが育ててきたヨネを、全部あの泥棒ワシにかっさらわれちまう!」
「ちっきしょうウチコワシの野郎、堂々と人前で食い荒らしやがって! そんなことさせるかってんだ!」
猫耳を生やしたおじさんは、名をチヨベというらしく、彼はトラクターを乱暴に横滑りさせて止めると、荷台に乗せられていた巨大なくわを持ち出し、畔の上を駆け回りながら思い切りぶん回し始めた。
「おい止めとけチヨベ! あのウチコワシの鋭い嘴で噛まれりゃ最後、体を真っ二つに引きちぎられちまうぞ!」
村人たち全員がチヨベを止めようと必死に叫ぶが、それでも彼はお構いなしに突撃してゆく。
あの田を荒らしている巨大な黒い鳥が「ウチコワシ」らしく、どうやら鷲の一種であるようだが、僕らがイメージする鷲とは外見がまるで違う。あれは鷲というより鶴に似ていた。細く長い首に、ひょろりと棒のように伸びた脚。
けれども、あの針が並んだようなギザギザの嘴は、見る者に不快な悍ましさしか与えない。それにその体は、まるで西洋の竜を連想させるほどに巨大だった。
ウチコワシはチヨベが振り回す鍬に反応し、ギャアギャアとうるさい鳴き声を上げながら、翼を打って飛び上がった。――が、またすぐに攻撃の届かない場所へ降り立ち、稲を食い荒らし続けている。
チヨベが必死になっていくら追いかけ回しても同じことの繰り返しで、これではまるでイタチごっこである。
そんな延々と続く追いかけっこを傍で見ていた紬希が、ふとチヨベの運転していたトラクターの荷台に目を向けた。
荷台にはくわの他にも様々な農具が載せられていた。そのうちの一つ、ヨネを刈り取る時に使う大きな鎌に注目し、紬希は荷台からその鎌を引っ張り出した。
「紬希、一体どうする気なんだ?」
そう問い掛けると、彼女は一言「害鳥退治」と口にして、鎌の持ち手部分に、指先から伸ばした白い糸を素早く括り付けた。しっかりと結えたことを引っ張って確認すると、紬希は糸に繋げた鎌を鎖鎌よろしく振り回し始める。糸に繋がれた鎌は遠心力に引かれてヒュンと音を立て宙を切り、紬希を中心にして円を描くように高速で回転する。
「凪咲君は下がってて。近寄ると首が飛ぶよ」
そんな恐ろしいことを口走られ、僕は慌ててしゃがみ込み、両腕で頭を守る。紬希は糸に繋がれた鎌を投げ縄のように振り回しながら、ウチコワシの暴れる田に向かって駆け出した。
田の周りを囲う細い畦を駆けながら、紬希は糸の長さを調節し、振り回した鎌をウチコワシに向けて放つ。
鎌の刃先は目にも止まらぬ速さでウチコワシの翼をかすめ、数本の黒い羽が舞い落ちた。ウチコワシは攻撃されたことに仰天し、数歩後退る。
すかさず紬希がくるりと体を回転させ、勢いを付けた投げ鎌の第二投を放つ。振り回された鎌の刃先は遠心力により急加速し、ウチコワシの首元をかすめた。黒い巨鳥はバランスを崩してゆらゆらと舞い踊り、とうとうその場に倒れ伏した。
ウチコワシを圧倒する姿に、周りで見守る農民たちがどよめきの声を上げる。
「おぉ、すげぇぞ嬢ちゃん! あのウチコワシを倒しやがった!」
「いいえ――まだ!」
紬希が隙を与えず第三投を放とうと鎌を振り回し始める。しかし、ウチコワシは隙を狙って巨大な翼を広げ、地面を打って重い体をふわりと浮かせた。
「ちくしょう! 野郎、逃げる気かっ!」
チヨベが飛び立とうとするウチコワシを追撃しようと横から回り込む。ウチコワシも図体が大きいせいですぐには飛び立てないらしく、助走を付けるように地面すれすれを滑走してスピードを上げる。
「虎舞さん、そっちに行った!」
紬希が、ウチコワシの飛んで行く先に立っている虎舞に向かって警告する。
「はっ? えっ? ちょちょちょ、何で私の方に来んのよ〜〜っ⁉︎」
偶然にもそこ立ってしまっていた虎舞は、巨鳥がこちらに向かって突っ込んでくるのを見て慌てふためいてしまう。
「おい何ビビってんだ小娘! 向かってくる奴を一発ブチのめしてやれっ!」
走って来るチヨベからそう渇を入れられ、虎舞は訳も分からぬままに大きく右腕を振りかざし、その拳を強く握り締めた。
「もううっさい!! 指図すんなクソ親父~~~っ!」
虎舞は地面を蹴って跳躍し、向かって来るウチコワシの頭部目掛けて思い切り拳を振り下ろす。その拳は、巨鳥の頭を打ちのめした。
ドチャッ‼︎
そして、飛び上がった虎舞は、勢い余ってそのまま水田に頭から落下。強力な一発を叩き込まれたウチコワシは、目を回して数歩よろめき、ドサリとその場に倒れて痙攣したまま動かなくなった。
「よしっ! ははは~~~っ! 目にモノ見たか、盗人鳥め!」
チヨベが拳を振り上げる。集まっていた村人たちも歓喜に沸き立ち、あちこちで歓声と拍手が上がった。
僕は急いで倒れている虎舞の元へ走る。幸いここの水田は収穫前で水が張られておらず、多少ぬかるみはするものの、さっきの水が張っていた水田よりは幾分歩き易かった。
「虎舞、大丈夫か?」
田の中に大の字になって倒れた虎舞にそう呼びかけると、彼女は泥だらけの顔を持ち上げて、ぶっ! と口から食った泥を吐き出した。
「おえぇ土臭っさ……また泥だらけだし……もう最悪………」
またしても衣服をドロドロに汚してしまい、今日は散々な目に遭ってばかりの虎舞。それでも無事であっただけ良しということにして、僕は彼女を慰めつつ、肩を持って起こしてやった。




