6月2日(日)⑦ 猫耳おじさん登場
「――おいこらテメェらぁああああぁっ‼︎」
突然、場の空気を震わす怒鳴り声が背後から飛んできて、僕らは驚いて振り返った。
さっき僕らが体を洗っていた用水路に沿って伸びる轍の道。その道先から、もうもうと砂埃を上げて、まるで蒸気機関車のような見た目をした四輪駆動車が、爆音を立ててこちらに迫って来ていた。
その四輪車の運転席には、体格の良い大柄の男が一人乗っていて、鬼のような形相でこちらを睨み付けながら、乱暴な手付きでハンドルを操っている。男の体格があまりにも大きいせいか、彼の乗っている四輪車が、まるで子どもの玩具のように見えてしまう。
やがて四輪車は僕らの前で急ブレーキをかけ、辺りに砂利と砂煙を撒き散らしながら大きく横滑りして止まった。
その四輪車はトラクターのようで、背後に荷車を引いていた。車体の前方には小型のボイラータンクが乗せられていて、表面は真っ赤に焼け、真上に伸びた煙突からは盛んに白い蒸気をぼすぼす吐いていた。
「やい! 俺の田になんてことしやがるんだ! 俺が今朝方植えたばっかりのヨネが全部めちゃくちゃじゃねぇかっ!」
そのおじさんは顔を真っ赤にしてカンカンに怒っていた。ヨネというのは、どうやらこの水田に植えられている苗? のことを言っているらしい。
つまりこの叔父さんは、どうやら僕らが落ちてきたこの水田の持ち主であるらしい。
……本来なら、いくら悪気が無かったとはいえ、この状況では田を踏み荒らしてしまった僕らが悪いのだから、怒っている彼に対して平身低頭し、誠心誠意謝らなければならなかったのかもしれない。
けれども、そのおじさんの被っているつばの広い麦わら帽からひょっこり生えている二つの獣の耳に目を奪われ、僕らは謝ることすらも忘れてしまっていた。
それは先のとがった耳で、紛れもなく猫の耳だった。僕らがこの世界に送られて来る前、虚舞の愛猫トラに化けていたミヤナが頭に生やしていたあの耳と、全く同じものだった。
「ん……何だよ、テメェら全員揃って俺の顔ジロジロと見やがって」
猫耳を生やしたおじさんは、目を丸くしている僕らを見て怪訝そうに眉をしかめ、鼻の左右からそれぞれ三本ずつ生えた長い髭をピクピク震わせた。
「何だよ、何か文句でもあんのか? あるんなら言ってみろってんだ! あぁ⁉︎」
おじさんから逆ギレされてしまい、どうしようかと答えあぐねていると、横に居た紬希が唐突にこう切り出した。
「あの、ここはどこなのか教えてください。ここは日本ではないですよね? 違う国でもありませんよね? そもそも、ここは地球でもないですよね?」
立て続けにそう尋ねられて、猫耳おじさんは訳が分からないと言いたげにあんぐりと口を開けて首を傾げる。
「あ? 何言ってんだお前? テメェら、ひょっとして他所者か? ここは田と森と川しかないイナリ村の土地だ。こんな辺境に来たところで誰も歓迎しちゃあくれねぇし、テメェらを泊める宿なんかもねぇぞ」
どうやらここはイナリと呼ばれる村の領地であるらしい。確かに、見渡す限り水田と森と川、そして川沿いに連なって並ぶ風車くらいしか目に入らず、村らしき納屋や家屋も見当たらないのだが……
「――ってか、問題はそこじゃねぇ! 要はテメェらが踏み荒らしちまったこの田をどう弁償してくれんのかって聞いてんだ!」
白い歯を剥いて怒鳴り散らすおじさんを前に、どう言い訳すれば良いのか悩んでいると、今度は遠くの方から、別の男の声が飛んできた。
「お〜〜い! チヨベの旦那ぁ〜〜!」
声のした方に目を向けると、もう一人別の男が、轍の道を走ってこちらに向かって来ているところだった。痩せこけたその男は、トラクターに乗った叔父さんと同じ質素な身なりで、足元は泥で酷く汚れていた。おそらく、この叔父さんと同じ農家仲間なのだろうが、彼の頭上には猫の耳ではなく、山羊のように細い垂れ耳が生えていた。
「あぁ? 何だぁ〜〜! こちとら今取り込み中なんだよっ!」
猫耳おじさんが怒鳴り返すと、山羊耳を生やした男は、自分が駆けてきた方向を指差しながら答えた。
「大変なんだぁ! ヨダカの田にこ〜んなでっけぇウチコワシが来ちまったんだ! このままじゃヨダカんとこのヨネがみんなあいつに食われちまう!」
「ウチコワシだぁ⁉︎ それにヨダカんとこの田といやぁ……確か今日が収穫日だったじゃねぇか! 畜生あの野郎、日を読んでやがったな! 待ってろ、すぐ行くっ!」
叔父さんはトラクターに掛かっていたハンドブレーキらしきレバーを乱暴に下ろし、足元のペダルを思い切り踏みつける。
途端にトラクターは爆音を鳴らして、周囲に白い蒸気と砂煙を撒き散らしながら走り去ってしまった。
「ちょっと……一体何なのよもう!」
舞い上がる砂煙にむせながら虎舞が叫ぶ。
「どうやら、近所で何かトラブルがあったらしい……ウチコワシ? が来たとか何とか言ってたけど……」
「はぁ? 何よそれ。もう、あんな奴ら放っておけばいいのよ」
会った途端に怒鳴り散らされて理不尽さを隠せずに苛立っていた虎舞が投げやりにそう言う。僕も、他所の厄介事に首を突っ込みたくはなかったから、その意見には大いに賛同したかったのだけれど……
――でも、そうは問屋が卸さないだろう。ここに、彼女が居る限りは。
「駄目、追い掛けよう。きっとあの人たち、何か困ってる。私たちが力になれるかもしれない」
そう言って、我らが連合団団長である紬希は、僕らに有無も言わさぬまま轍の道を駆け出す。
「はぁ? 何言って……ってちょっと待ちなさいよっ!」
走り去る紬希の後を、虎舞が慌てて追いかける。二人とも常人離れした身体能力のおかげで走るスピードが凄まじく、何の力も持たない僕は、瞬く間に置いて行かれてしまった。




