6月2日(日)③ 眠ったままの証言者
ミヤ姉――今は亡き少女である矢宵が、魂だけの姿となってしまった今も探し求めている、自分の両親の写真が入ったペンダント。そのペンダントの在処を知る証言者として、「リン姉」こと虎舞の祖母である虎舞凛子の次に挙がっていたのが、「ミヤ姉」ことミヤナと呼ばれる人物だった。
――これで、これまでずっと切り離されていた点と点が、ようやく線で繋がる。
「そうか……矢宵ちゃんの話していたミヤ姉というのは、虎舞の飼っている猫のトラに化けていた、この人のことを言っていたんだ」
リン姉と、ミヤ姉。虎舞の祖母と、虎舞の愛猫に化けていた女性。どうやら矢宵は、この二人と過去に係わりを持っていたらしい。それも、七十五年もの歳月を遡った、遥か遠い昔に。
「……ちょ、ちょっと待ちなさいよ! もし仮にそうだとして、色々と辻褄が合わなくなるわ。そうでしょ?」
虎舞が戸惑いながら皆に向かって問いかける。
確かに虎舞の言う通り、もしそれが事実だとして、まず一番におかしいのが、ミヤナと呼ばれるこの女性の年齢だ。矢宵の証言によれば、七十五年前の当時、彼女は十五歳だった。ならば今は九十歳になっていなければおかしいはずであるのに、僕らの目の前で眠っている彼女は、どう見てもまだ二十歳過ぎ辺りの年齢にしか見えないのである。一体どうすれば七十五年もの間、これほどの若さを保っていられるのだろう?
矢宵の探しているペンダントの行方のことも含めて、ミヤナに聞きたいことが山積みだった。しかし、生憎今の彼女は、とてもそれらの質問に全て回答できるような状態ではない。傷が少しでも癒えてくれるまで、ここは辛抱強く待たなければならなかった。
「なんか、もう何が何だか訳分かんなくなってきたな……」
僕は立ちくらみを覚えたように頭を抱えてよろめき、部屋の壁に背中をもたれる。
頭から猫の耳を生やし、若く張りのある肌の上に鋼鉄の鎧を纏った女性、ミヤナ。本人の素性を含め、彼女に大怪我を負わせた犯人の正体から、矢宵の探しているペンダントの在処に至るまで、全ての謎の鍵を握る人物がすぐ目の前に居るというのに……それなのに、何の手掛かりも聞き出せないことに、僕は愚かにも辟易とした気持ちを抱いてしまった。
僕はふと、虎舞の方へ目を向ける。彼女の眉間には、深いしわが刻まれていた。己の中で沸き立つ怒りや悲壮感、焦燥…… やり場の無いたくさんの感情が彼女の中でわだかまってしまい、それらが外へあふれ出ないよう、気持ちの整理をすることに追われているようだった。
――すると、部屋の何処からともなく、女の子のすすり泣くような声が聞こえてくる。
それは、かつて自分の知人であり友人でもあったミヤ姉が、このような変わり果てた姿で居るのを目の当たりにしてしまい、ショックのあまり泣いてしまった矢宵の泣き声だった。
実に七十五年ぶりとなる二人の再会は、悲しくも憂いの涙によって迎えられてしまった。姿は見えず、言葉も聞こえない。それでも、矢宵の笑い声や泣き声は、僕らの耳にもはっきりと伝わってきた。よく怪談や都市伝説で、幽霊の笑い声や泣き声が聞こえてくるような類の話をよく聞くが、きっとそれは空耳などではなく、実際に現世に取り残された哀れな幽霊たちが、何かに面白がっていたり、あるいは何かに悲しんでいたのだろうと、僕は想像する。
「矢宵ちゃんは、ミヤ姉が猫の姿に化けられること知らなかったみたい。だから、トラが突然ミヤ姉に姿を変えた時は、矢宵ちゃん自身もかなり驚いたそうよ」
紬希は当時の状況をそう話す。かつて親しい間柄だったという矢宵すら、ミヤナが猫に化けられることを知らなかった。ミヤナがどうして猫の姿に化けなければならなかったのか、その理由も本人のみぞ知るということか。
とにかく、今は分からない情報が多過ぎた。ミヤナが目を覚ます前に、こちらも情報を整理しておかなければならないだろう。
――そう思っていた、その時だった。
「……ねぇ、ちょっとこれ見て」
ミヤナの纏っている鎧をまじまじと見ていた虎舞が、何かに気付いて声を上げる。彼女の指差す先、ミヤナの腰辺りに、小さな巾着袋のようなものが吊り下げられていた。沢山物を入れられるほど大きくもなく、小銭が入るくらいの小さな袋だったのだが、その袋の内側から、淡い緑の光が漏れていたのである。
その光は、まるで蛍のようにか弱い光で、時折風に吹かれた蝋燭の炎のようにゆらゆら明滅していたが、それでも光が完全に消えることはなかった。
「……これ、中に何が入ってるのかしら?」
虎舞がそっとその袋に手を伸ばし、巾着の紐を緩めてみる。
すると、中から転がり出てきたのは、角の取れた小さな丸い石だった。まるでエメラルドの原石のような、深い緑と黒とが斑に混ざり合った色をしていて、石の中に封じ込められた何かが、内側から信号を発しているかのように微弱な光を放っていた。
虎舞は恐る恐るその石を拾い、手の上に置いてみる。すると石は、まるで彼女の肌に反応するように光を強めた。
「この石、すごく温かい……」
石はみるみるうちに光を増し、やがて炎が弾けて火の粉を散らすように、光の粒子が飛散する。
――この時、僕はハッとした。この光景、前にも一度見たことがある!
「おい性悪娘、なんだか嫌な予感がしてきたから、俺は逃げるぜ」
そう言って、虎舞に抱かれていたチッピは、彼女の腕からするりと体を滑らせて抜け出すと、部屋の隅へと逃げてゆく。
光る石は虎舞の手の上で、既に部屋全体を明るく照らし出す程にまで光を強めていた。やがて、石から溢れる細かな光の微粒子が、まるで蛍のように虎舞の全身を取り巻き始める。
「紬希、覚えてるか? 例のあの石だ!」
僕が声を上げると、紬希も気が付いたらしく、こくりと頷きを返した。
あの光り方から見て間違いない。以前僕らが公園で対峙したホイコーロウこと灯々島と戦った時、彼女もこれと全く同じ石を首元に付けていた。そして石を握った途端、彼女の体は瞬く間に緑の光の渦に包まれて、まるで幻のようにその場から姿を消した。
もし、あの時と全く同じ現象が、今起きているのだとしたら……
「虎舞! その石を離すんだっ!」
僕は咄嗟にそう叫んだ。けれどその時にはもう既に虎舞の体は光の渦に包まれて、ほぼ姿が見えなくなってしまっていた。
「――きゃぁあああああぁっ!」
渦の奥から、虎舞の悲鳴が上がった。僕は彼女を助けようと反射的に渦の中へ手を伸ばし、虎舞の肩をつかむ。
すると、それまで彼女を取り巻いていた光の粒子は、まるで軍隊アリのように群れを成して僕の腕を伝い、僕の全身までをも包み込んでゆく。
光の粒子が体の周りでぱちぱちと弾け、まるで目の中で線香花火を点火させたような眩いフラッシュに目がくらむ。見えない何かの力に体中を引っ掻き回され、足が地を離れて宙高く浮き上がる。
「――あぁ駄目っ! そっちに行っちゃ駄目っ‼︎」
その時、唐突に渦の外から声が聞こえた。その声は、虎舞でも紬希でも小兎姫さんのものでもない、全く別の人物の声だった。もはや視界一面が緑の光に塗り潰されてゆく中、渦の流れが一瞬途切れて、外の光景がわずかに垣間見える。
――そこには、重症の身であるにもかかわらず、ベッドから半身を起こし、走る痛みに歯を食いしばりながらも必死になって僕らに残った方の腕を差し伸ばそうとしている、ミヤナの姿があった。
僕らが騒ぎ過ぎたせいで目を覚ましてしまったのか、それとも苦痛にうなされて起きてしまったのかは分からない。でも、覚醒してくれた彼女に聞きたいことは山ほどあった。――彼女の素性についてのこと、彼女の片腕を奪った冷酷な犯人のこと、無くなった矢宵のペンダントのこと――そして、この緑色に光る石のことも。
「そっちに行っちゃ駄目!」と、ミヤナはひたすら叫んでいた。
「そっち」って、何処のことなのだろう? 僕たちは一体、この光の渦に飲まれて、何処へ飛ばされてしまうのだろう? 何処へ連れて行かれるのだろう?
けれども、頭の中に次々浮かぶ疑問を返す間もなく、高速で回転する光の粒子群が瞬く間に外の光景を覆い隠した。さらに加速した粒子は空間を歪ませ、僕らの足下にぽっかりと小さな穴を穿った。
そうして僕たちは、まるで栓を抜いた排水口に流れ込むように、穴の奥へと吸い込まれていった。
目覚めてくれたミヤナに、何一つ言葉を交わすこともできないまま……




