5月30日(木)③ 来にゃいで!
分厚い雲が空を覆っているせいで、まだ日没時刻でもないのに地上には濃い影が落ち、町の灯りがぽつぽつと疎らに灯り始めた。
秘密基地「ユナイターズ・カフェ」のある寂れた神社の前に、僕と空越少年の操るドローンがやって来る。神社前の広場には、既に紬希と黒猫チッピ、そして空越少年本人が待機していた。
空越少年は、両手にドローンのコントローラーを握りしめ、頭には大きなVRゴーグルを付けて、神社の古びた縁側にちょこんと腰掛けていた。彼はドローンを近くの地面に着陸させると、コントローラーを横に置いてVRゴーグルを頭から外し、僕に向かって、まるで悪戯成功とでも言いたげに満面の笑みを浮かべて見せる。
「ここに来る間にも、虎舞さんを見かけなかった?」
紬希からそう問われ、僕は力無く首を横に振る。
「街から離れたところにもドローンを飛ばして探してみたけど、猫のお姉ちゃんは見つけられなかったよ」
空越少年のドローンによる空中からの捜索も、どうやら効果を挙げられなかったらしい。
(これだけの助っ人を呼んでも、虎舞の居場所に関する手がかりは無しか……)
放課後秘密連合団のメンバーを助っ人に呼んで探しても見つけられなかったことを残念に思い、僕は脱力して肩を落とした。
――と、その時、突然神社の周りを一陣の疾風が流れるように吹き、吹く風と共に、鮮やかなピンクのバニーガール衣装を身に纏った小兎姫さんが、いつの間にか僕らの輪の中に立っていた。
「お待たせ、迷子の子猫ちゃんを見つけたわ。ここからそう遠くない森の中に身を隠してる」
超高速を誇る俊足を駆使して、美斗世市の外周を見て回ってくれていた小兎姫さんが、虎舞を探し当ててくれたらしい。この広い市内を一周するだけで、一体どれだけの距離を走ったのか分からないというのに、本人の息は全く上がっておらず、それどころか態度に微塵も疲れを感じさせない。特殊素材で作られたバニーガール衣装のおかげもあり、空気抵抗による発熱にもびくともしない彼女の体には、摩擦による小さな電光が線香花火のようにパチパチと弾けて光っていた。
「虎舞を見つけたんですか?」
「ええ。でも、本人はまだ混乱してるかもしれないから、なるべく刺激を与えないように近付くべきね。――こっちよ、静かに付いて来て」
小兎姫さんは仮面越しの口元に人差し指を立てて示し、それから僕らを、虎舞の潜む場所まで案内してくれた。
〇
太い杉の木が乱立する鬱蒼とした森の中を、僕ら連合団の捜索隊は進む。既に陽は落ち、辺りは真夜中のように暗い。
今も秘密基地に待機中の空越が操るドローンが、内蔵されたライトを付けて、真上から僕らの足元を照らしてくれていた。樹木の林立する地面は緑の濃いシダ植物に覆われていて、昨日降った雨のせいで地面はぬかるみ、酷くジメジメしていた。学生服のままで来てしまった僕と紬希は、履いている革靴を泥だらけにしてしまっていた。まだ買ってから一ヶ月少ししか経っていないのに、早々に駄目にしてしまいそうだ。
一方、小兎姫さんは身に付けた魅惑的な衣装に合わせるように、(おそらく耐熱性の)黒タイツで美脚を覆い、脚には生地の厚いブーツを履いていたから、足元の悪い地面でも平気で歩くことができていた。……そもそも、こんな鬱蒼とした森の中を、あのような衣装でうろつくこと自体が十分におかしいのだが、本人は全く気にも留めていないよう。あの衣装に何か特別な思い入れでもあるのだろうか?
鬱蒼とした森の中をバニー衣装で平然と歩いてゆく小兎姫さんを見て、僕はそんな疑問をどうしても抱かざるを得なかった。――そして、列を成して進む僕らの頭上には、綿毛のようにふわふわ飛びながら付いてくる空越少年の特製ドローンが目を光らせている。この異様過ぎる一団を見た虎舞は、一体何と言うだろう?
「ここよ。この辺りの何処かに居るはずなのだけれど……」
そして僕らは、小兎姫さんが虎舞の姿を見たという場所に到着する。が、既に何処かに身を潜めてしまっているのか、ここから彼女の姿を見つけることができない。
僕は目の前に広がる真っ暗な森に目掛けて、虎舞の名前を呼んだ。
「帰って」
すると、すぐ近くから声が返ってきた。僕らを突き放すようなその冷たい声は、頭上から降ってくるように聞こえた。見上げると、人間らしい大きな影が、太い杉の木の上にしがみ付き、二つの目がギラリと光って僕たちを睨み付けていた。
「……虎舞なのか?」
「今すぐ帰って! こっちに来ないで!」
虎舞は光る眼をこちらから背けて、木から木へと跳び移った。影が幹から幹へと素早く移動し、僕らはその後をひたすら目で追いかけてゆく。
「待ってくれ虎舞! 逃げないで聞いてくれ! 僕らは君を助けたいんだ!」
「うっさい! だから来にゃいでって言って――ふぎゃっ⁉︎」
木から木へとジャンプする際、木をつかむタイミングを逃してしまったのか、虎舞は勢い余って木に激突。そのまま地面に落下する。
「危ないっ!」
僕が声を上げた時には、既に小兎姫さんが落下地点の真下に瞬間移動し、落ちてきた虎舞を見事に受け止めていた。
「まったく困った子ね。猫は勢い余って高い木に登ると降りれなくなっちゃうのよ」
小兎姫さんがそう言って、抱きかかえた虎舞をゆっくりと地面に下ろす。
駆け付けた僕らは、虎舞の顔を一目見た途端、驚愕のあまり言葉を失った。
――「化け猫」。
彼女の姿を一言で言い表すのなら、僕はこの言葉の他に思いつくことができなかった。頭から覗いた獣の耳、腰下から生えた毛深い尻尾、赤く上気した頬と、荒い息が吐き出される口元からは、二本の鋭い犬歯が覗く。
そして、鋭い光を放つ二つの目が夕闇の中に浮かび上がり、針のように縦に引き伸ばされた琥珀色の瞳が、僕らの姿を捉えていた。




