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パッチング・レコーズ  作者: トモクマ
第3章 ゴーストカプセル
149/190

5月29日(水)② 迷い猫は渦の中より

挿絵(By みてみん)

<TMO-1148>







 トラ柄の猫――その言葉に既視感を覚えていた僕は、さらに記憶を過去へと巻き戻してゆく。


 そうして辿り着いたのは、約一ヶ月以上前――僕が初めて虎舞と出会ったあの日、彼女が僕に話して聞かせてくれた、とある迷子の猫の話だった。


 僕は、その時に虎舞が話していた迷子の猫の特徴について、詳細まで思い返してみる。


「……その猫の首輪に、金色の鈴は付いてた?」


「ああ、付いてたぜ! って、何でお前が知ってんだ?」


 チッピが訝しげにそう尋ねてくるが、僕は無視して質問を続ける。


「その猫はまだ公園に居るのか?」


「ああ。……だが、あの様子だと動くことすらできねぇだろうな」


「動けないって、どうして?」


「怪我をしてるんだよ。しかも重症ってレベルじゃねぇ。あいつが光る渦から出てきた途端、いきなりその場にぶっ倒れちまうもんだから、基地に居る連中の助けを借りようと思ってこうして急いでたって訳さ」


 チッピの言葉を聞いて、僕の背筋に悪寒が走った。考えたくもない最悪な予感が脳裏を過ぎる。こうしては居られないと、僕は反射的に紬希に向かって言葉を投げていた。


「紬希、今すぐ学校に戻って虎舞を呼んできてくれ。そしてあいつにこう伝えるんだ。『お前の探していたトラが見つかった』って」


「?……う、うん。でも、何で――」


「事情は後で話す! とにかく急いで虎舞を連れて来てくれ。僕は先にチッピを連れて公園に行ってるから!」


 そう言い残して、僕は紬希の傘から抜け出し、「こっちだ!」と先導するチッピと共に駆け出す。冷たい雨が容赦無く顔に打ち付けたが、気にも留めずに公園へ向かってひたすら走った。


 ――止まない雨の中、薄く霧の立ち込める路上を駆け抜けながら、僕は考える。


 チッピの言っていたトラ柄の猫は、付けていた首輪の証言から推察して、虎舞がこれまでずっと探し続けていた飼い猫の「トラ」に間違いない。


 そして同時に、トラは緑色に光る渦の中から現れたとも言っていた。実際にその場を目撃したわけではないけれど、チッピの証言から考えて「緑色に光る渦」現象は、以前僕らがあの公園で「ホイコーロウ」こと灯々島芳火と戦った際、彼女の姿を跡形も無く消し去ってしまったあの現象と全く同じものであると断定できる。


 どうしてトラが光る渦の中から現れたのか、その理由については今のところ皆目見当が付かないけれど、何か裏で関連があるのかもしれない。


 ――そして何より一番気がかりな点は、光の渦から現れたトラは大怪我を負っていて、一歩たりとも歩けない状態であるということ。どうしてそれほどの大怪我を負ってしまったのだろうか?


 分からないことが多過ぎて、頭の中が混乱する。全力で走っていることもあって思考が掻き乱され、冷静に考えることができない。


 ――いや、考えるのは後だ。とにかく今は、一刻も早く怪我をしたトラを保護しなければならない。そう自らに言い聞かせて、僕は先を駆けるチッピの後を追いかけた。


 そしてようやく、あの時の公園が見えてくる。先の灯々島との戦いの後、放火による焦げ跡の残った公園は、警察によって張られた立入禁止の黄色いテープで囲われていた。そのテープを潜って、公園内へ侵入する。空地の奥に横になって詰まれた三本の太い土管、その手前の一本には、力を発現させた天登による攻撃で穿たれた大穴が、痛々しく残されたままだった。


「雨ざらしになっちまうと思って、あの土管の中に隠しておいたんだ。まだ生きてりゃいいがな」


 チッピはそう言って土管の前までやって来る。僕はしゃがんで、影の落ちる土管の奥を覗き込んだ。




 ――トラは、そこに居た。


 濃い茶色に黒の筋を刻んだ綺麗な毛並みを持つ腹を、だらしなく土管の内側に横たえていた。その目は閉じており、合わさった長いまつ毛の隅には球になった涙が浮かんでいる。そして、大きく投げ出された四肢は……


(あれ? この子、脚が……)


 僕の思考はそこで止まった。ショックのあまり、思わず手で口を押さえた。


 そこに倒れていたトラには、()()()()()()()()()()


 単に僕の見間違いであれば、どれほど良かったことだろうと思う。体毛に隠れて見え辛かったが、左前脚があったはずの部分には、ぽっかりと大きな傷口が開いていた。まるで鋭利な刃物で脚部分だけを根こそぎ両断したかのようにばっさり切り落とされた切断面には、赤黒い焦げ跡のようなものが一面にこびり付いていた。土管の中に漂う肉の焼ける臭いが鼻を突き、こみ上げてくる吐き気をどうにか飲み込んで、僕は両手で横たわったトラの体をそっと持ち上げた。


「……酷い……誰がこんなことを……」


 そのあまりに惨たらしく痛ましい姿に、僕は眉をひそめる。


 この傷が単なる事故で負った傷などではなく、悪意に満ちた何者かの意志により負わされた人為的な傷であることは、一目見ただけで明らかだった。体の一部を失い、襲い来る激痛に耐えながら、それでもこの子は最後の力を振り絞って命辛々ここへ逃げてきたのだろう。


 この小さな猫が体験した悲惨な過去を想起し、居たたまれなくなった僕は、思わず「おい! 頼む、死ぬなよ!」とトラに向かって叫ぶ。チッピと違って、普通の猫に声をかけたところで通じるわけがないというのに。……でも、こうでもしていなければ、募りに募った感情が今にも暴走してしまいそうで、もう居ても立っても居られなかった。


 震える腕の中でうずくまっているトラは微動だにしない。遅かったのか? もう死んでしまったのか? 最悪な結末が頭を過るが、トラの体にはまだ若干の体温が残っていた。微かに脈打つ心臓の微動も、触れている指先から感じ取れる。


 ……大丈夫、まだこの子は死んでない、きっと助かる。そう何度も自分に言い聞かせた。でも、これだけの深手を負い、トラはもう既に死の瀬戸際まで追い詰められている。早く応急処置をしてあげなくては、本当に手遅れになってしまう。


 そう思っていた時だった――


「凪咲君っ!」


 背後から声を投げられて振り返ると、公園に張り巡らされた立入禁止のテープを飛び越え、紬希と体操着姿の虎舞が駆け付けていた。二人共ずぶ濡れになるのもお構いなしで、傘も差さずにこちらへ走って来る。


「ちょっと凪咲っ! 一体どういうことなの? トラが見つかったって――」


 紬希から受け取った伝言に困惑して問い詰めてくる虎舞の言葉は、彼女の視線が僕の腕の中へと向けられた瞬間、ぷつりと途切れた。


「えっ、嘘………そんな、何で……何で私のトラが……」


 久方ぶりの再開を果たした主人と、その飼い猫。しかし主人は、これまで自分が大切にしていた愛猫あいびょうの変わり果てた姿を目の当たりにして、目を見開いたままその場で凍り付いた。彼女の表情には絶望の色がにじみ、唇は震えて、顔面は蒼白になる。


「落ち着け虎舞、まだトラは死んじゃいない。――紬希、この子酷い怪我をしてるんだ。見てやってくれ」


 僕の言葉に、紬希はこくりと頷いて、傍に駆け寄る。トラの傷口を見せてやると、紬希はそこに優しく指を当てがう。


「な……何する気なの?」


 怯えた虎舞がそう尋ねてくる。僕は「紬希にしかできない応急処置を施すんだ」と答えた。


 すると、紬希の指先からシュルシュルと白い糸が伸びて、トラの体に包帯のように巻き付き、傷口を覆い隠していった。その様子を傍で見ていた虎舞は言葉を失い、ただ茫然としたまま立ち尽くしてしまう。


 負った傷に糸の包帯をあてがわれたトラは、ようやく痛みが引いたのか、それまで強張らせていた表情を緩めて、呼吸も落ち着き、やがて深い眠りに落ちていった。

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