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パッチング・レコーズ  作者: トモクマ
第3章 ゴーストカプセル
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5月27日(月)① 冥土へ行き損ねた少女

5月27日(月) 天気…晴れ



 今日、紬希が学校に来なかった。出席簿を持った新島先生は首を傾げ、欠席した理由を知っている者が居ないか尋ねてみるが、誰もが皆一様に首を横に振る。


 しかし、クラスの場では言わなかったけれど、欠席した理由についてある程度目星の付いていた僕は、放課後になって「ユナイターズ・カフェ」を訪れてみた。紬希が学校をサボってまで行く場所と言えば、ここしかないだろう。


 井戸の底にある鉄扉の前に立つと、早速何やら扉の奥が騒がしかった。扉を開けると、そこには小兎姫さんに空越少年、それに紬希や天登を含む一堂が集っていた。椅子に座った空越少年がテーブルの上でゲームのコントローラーを握り、目の前に置かれたテレビ画面に釘付けになっている。画面には、二人のキャラクターが対面で格闘バトルを繰り広げる様子が映し出されていた。


 その光景は、皆が集まって楽しくゲームをしている別段おかしくもない普通の絵面であるように見える。しかし、そんないつもの光景の中に、一つだけ不自然な点があった。格闘ゲームに精を出す空越少年の隣にはもう一つ椅子が置かれ、そこにもう一人のキャラを操作するコントローラーがあったのだが、それはまるで見えない糸で吊ったように、宙をゆらゆらと漂っていたのだ。


「やった! また僕の勝ちっ!」


 空越が両腕を突き上げて喜び、画面には「K.O.‼︎」と大きなテロップが表示された。途端に、彼の隣で浮いていたもう一対のコントローラーが、糸を切ったようにポロリと床に落ちる。


「お~凄いじゃない。これで七連勝中よ。一体何処まで記録が伸びるのかしら?」


 後ろの席で頬杖を突きながら観戦していた小兎姫さんが楽しそうに声を弾ませた。そうして彼女はふと目を後ろへ移し、入口前に立ったままぽかんとしている僕を見つける。


「あら、凪咲君も来てくれたのね。良かったら空越君の相手をしてあげて。私たち全員が戦ったんだけど、結局一勝も奪えなかったの。彼女も四回挑戦したんだけど……残念だったわね」


 小兎姫さんはそう言って誰も居ないはずのソファーの上を手で示す。僕はてっきり四人でゲームしているのかと思っていたが、どうやらもう一人、見えないプレイヤーがこの中に紛れ込んでいたようだ。


「彼女って……矢宵ちゃんとゲームを?」


「そう。彼女にゲームがどんなものか、教えてあげていたの」


 ソファーの隣に置かれた椅子に座る紬希がそう答えた。朝から授業をすっぽかして何をしていたかと思えば、皆と一緒に堂々とゲームを楽しんでいたことに呆れ顔を隠せない。けれど、僕らの中で唯一矢宵の声を聞くことができる紬希が居なければ、こうして皆と一緒に遊ぶことも叶わなかっただろう。


「矢宵ちゃんは何をするにも覚えるのが早くてね。生まれて初めてゲームをしたのに、コントローラーの操作を一時間もしないうちに覚えちゃったの。七十五年ものタイムラグをたった数時間で埋めてしまう彼女の適応力は随一ね。ある種の才能を感じるわ」


 小兎姫さんが感心して言う。僕は「はぁ」と溜め息のような返事を漏らしつつ、矢宵ちゃんが座っているであろうソファーの上に向かって、軽く微笑んで見せた。


「……ちぇっ、最強の格闘家が何だよ……あんな奴、スライムマンなら一発K.O.できるのに……」


 一方で、部屋の隅には天登が座り込み、何やらぶつぶつと小言を呟いていた。きっと今日もまた紬希に無理矢理ここへ連れて来られて、空越少年のゲーム相手をさせられたのだろう。そして少年にコテンパンに負かされて、拗ねてしまっているようだ。


「そんなに落ち込まなくていい。今度の『それいけ‼︎ スライムマン』の最新話に、このゲームに出てきたキャラクターを登場させて、スライムマンがボコボコにすればいい」


 紬希がそんな訳の分からない破茶滅茶なアドバイスを唱えると、天登はその手があったと言わんばかりにポンと手を打ち、ついさっきまでのしおれた態度を一変させた。


「それだ! 今度の相手は、表向きは格闘家でありながら、実は裏社会を牛耳るマフィアのボスで、近接格闘にかけてはプロ中のプロ。だからこっちは、相手の攻撃の届かない遠距離からプラズマレーザーで反撃してやるんだ。次はこの話で決まりだよ!」


 紬希のたった一言のアドバイスから、自分の描いている漫画の新しい設定をぽんぽん捻り出してくる天登。彼の尽きることない想像力によって生み出される支離滅裂なストーリーに、僕は初めから付いて行けなかった。


「……『ここには変わった人たちがたくさん居て、一緒に居るだけでもとっても楽しい』って、矢宵ちゃん笑ってるわ」


 紬希が矢宵の言葉を代行で話して聞かせてくれる。


「へぇ。彼女が楽しんでくれてるのなら、何よりじゃないか」


 僕は、姿の見えない矢宵が、こんなにも早く連合団の皆と仲を深めてしまっていることに驚いていた。姿が見えず、育った時代も環境も大きく違う彼女が、果たして周囲に馴染めるのか少し不安が頭をもたげていたのだが、この調子だと杞憂きゆうで終わったようだ。


 ――しかし、それ以外にもまだ、不安に思っていることがあった。


「……なぁ紬希。矢宵ちゃんはどうして、霊体になってもまだこの世界に留まったままなんだ? 普通なら、人は死ねばそれで終わりだし、宗教の考え方を借りるにしても、冥界とか極楽浄土とか呼ばれるところに往生したりするものだろう? あくまでこれは仏教の考えで、キリスト教の考えなら、天国とかになるのかな?」


 僕がそう尋ねると、紬希はふと矢宵の座る無人のソファーへ目を投げた。


「……うん、たしかに、この世界で言う『黄泉よみ』とか『常世とこよ』と呼ばれる場所は存在するって、矢宵ちゃんは言ってる。ただ彼女の場合、死んだ際に『現世うつしよ』に取り残されて、そこでずっと眠り続けていたから、往生おうじょうし損ねてしまったらしいの。でも、覚醒している今なら、自力で常世に移ることも可能らしいわ」


 その答えを聞いて、僕は眉をひそめた。長い眠りから覚醒した今の矢宵なら、その気になれば何時でも死者の行くべき場所へ往生できるということらしい。それなのに何故、彼女は未だにこの世界に留まっているのだろう?


 そう自分の中で疑問を呈すものの、僕は矢宵がここにとどまり続ける理由を、何とは無しにだけれど察してしまった。


 既に亡き霊である自分を認めてくれるたくさんの仲間に囲われて、自分が死んだことすらも忘れられるほどに楽しい思いができて……きっと彼女にとって、この場所――「ユナイターズ・カフェ」は特別な場所となったのだろう。そんなところを自分から去るなんてこと、できる訳がない。


 そう考えると、胸が苦しくなる。……でも、辛いけれど、やはりこのことは本人に伝えるべきだろう。


 僕はそう決心し、矢宵の座っているだろうソファーの上に目を向けて、彼女と正面で向き合うように身をかがめた。何も無い場所に一人の少女が座って自分を見つめているところを想像しながら、僕はゆっくりと口を開く。


「ねぇ、矢宵ちゃん。……こんな事を言われるのは、君にとってとても辛いことだと思う。それでも、僕は矢宵ちゃんのことを想って言ってるつもりなんだ」


 そう断りを入れてから、言葉を続ける。


「分かっているとは思うけど、君は七十五年前に命を落としてる。現に今、君の体は僕らには見えないし、声も聞こえない。――何故なら、君はもう既に死んでいるからだ。死者には、死者の行くべき場所があって、君もいつかはそこへ帰らないといけない。死者が生者の世界に居続けることは、本来ならばあってはならないことで、何か大きなルール違反を犯しているように、僕には思えてならないんだ」


 胸が苦しくなり、途中で言葉を詰まらせてしまう。それでも、最後まで彼女に言葉を伝えなくてはならないと思い、僕は大きく息を吸って、途切れた言葉を繋いだ。


「――だから、こう言っちゃ嫌われるかもしれないけど……ここは、君が居て良い場所じゃない」


 しばしの沈黙が流れた。気まずい空気を作ってしまったことに罪悪感を覚え、僕は溜め息を吐いて項垂れる。


 しかし、ここで紬希が答えた。


「……『うん、分かってる。凪咲(にい)の言ってることは間違ってないし、正しいことだよ』って、矢宵ちゃんが言ってる」


 僕は顔を上げた。この幽霊の少女は、自分がここに居ること自体が間違っていることに、予め気付いていたのだ。


「じゃあ、何で――」


 そう言おうとして、紬希が先に制した。


「『でも、今はまだ行けない』って。まだこの世界にやり残していることがあるって、矢宵ちゃんはそう言ってる」


「やり残していること?」


 そして再び、紬希は語り始める。七十五年前にこの世を去ろうとし、去り損ねてしまった矢宵が、まだ常世へ往生できない理由を。


 そして、彼女がこの世界に置いてきてしまった、とある大切な物のことを――

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