5月25日(土)⑤ ファイヤーファイター
灯々島は仰向けに倒れた状態からバネのように跳ね起きると、そのままくるりと体を回転させ、振り上げた片脚を紬希の正面目掛けて斜めに振り落とした。
ヒュッと風を切って宙を薙いだ足先は、紬希の目先を通過して地面に落ちる。側から見れば、素早い蹴り技を間一髪で回避したように見えたのだが、次の瞬間、紬希の身体に異変が起こる。
紬希の腹部に巻き付いていた糸が、唐突に音も無く斜めに両断され、結束を無くしてハラリと垂れ落ちてしまったのだ。
(紬希の糸が切られた⁉ 一体どうして……)
本当に一瞬の出来事で、どうして糸が切断されてしまったのか僕にはさっぱり分からなかった。
――しかし、ふと振り下ろされた灯々島の足元を見て、その理由に気付く。
「……ふふっ、どや? ウチのとっておきやで」
そう言ってほくそ笑み、地面の上を軽々とホッピングしながら、すらりとした美脚をドレスの切れ目から覗かせる灯々島。
彼女が履いている赤いカンフーシューズ。そのつま先から、刃渡り十センチを超えるナイフが飛び出していていた。その黒々とした刃先は冷たい光を帯びていて、先端からは鮮血が滴り落ちている。
さっきの足技を受けて、紬希の腹部に巻かれていた糸は完全に解けてしまい、更にはその内側までにも刃が通って、露出した肌に数十センチに渡る切り傷が刻まれていた。キリリと染み込んでくる痛みに、紬希の目元が引きつる。
「ウチが使うのは炎だけやあらへんで。もっと凄いこともできるんやっ!」
灯々島は紬希に向かって突進しながら大きく跳躍し、空中で両脚を振りかざして二回転の回し蹴りを繰り出してきた。紬希はどうにか背後に飛び退いて回避するも、体勢を崩してよろけてしまう。そこをすかさず灯々島が畳み掛けるように炎の吐息を浴びせかけ、更に距離を詰めてくる。
素早い足技と火炎放射を交互に噛み合わせた連続攻撃を休みなく叩き込まれ、紬希に反撃の機会を一瞬たりとも与えさせない。容赦無く振り下ろされるつま先の刃が、紬希の防護服をみるみるうちに引き裂き、剥ぎ取ってゆく。
「あはははっ! どしたん? 逃げることしかでけへんのか? さっきまでの威勢は何処行ったんや!」
細い体躯を酷使して攻撃を続けているにもかかわらず、疲労を訴えるどころか、まだまだ余裕と言わんばかりの笑みを浮かべる灯々島。脚を振り回す度にドレスの裾が大きくはだけ、インナーが丸見えになってしまうのもお構い無しに、彼女は豪快な足技を繰り出してゆく。
「ほれほれぇ! そっちが来んのならこっちから行くで!」
灯々島はぴょんと蛙のように紬希の前へ飛び込むと、両手を地面に付けて逆さ立ちし、両脚を百八十度開脚させて竹とんぼのように振り回した。
一瞬のうちに巨大な人間回転ノコギリと化した彼女の脚は、紬希の脚にまとわり付いていた糸をばっさり斬り払い、剥き出した彼女の両膝を切り裂いた。
「ぐっ!――」
脚の感覚を失い、地面にがくりと膝を付く紬希。そこへすかさず飛んできた灯々島の足が首元を直撃し、紬希は吹き飛ばされて、僕らが隠れていた土管に背中を強打した。
「……何や、もう終わりなんか? つまんないわぁ、もう少し筋のある奴やと思うたのに、何でみんなこんなに弱虫なんやろか?」
動けなくなってしまった紬希を前に、両手を腰に当てて呆れ顔で首を振る灯々島。紬希すら遥かに凌駕する戦闘力を秘めた少女を前に、僕は戦慄する。
(――マズい、このままじゃ本当に紬希が殺される……!)
助けに行きたくても、何の力も持たない僕が彼女との相手なんてできるはずもない。このまま彼女がやられてしまうのをただ側から見ていることしかできないなんて……
何もできずに歯噛みしながら様子を窺う中、土管の中から小さな声が聞こえてくる。ふと隣に目を移すと、土管の中で身を縮こませて震えていた天登が、親指の爪を噛みながらぶつぶつと何かを呟いていた。
「……違う……僕は弱虫なんかじゃない……僕は、僕は弱虫なんかじゃない、弱虫なんかじゃない……っ……」
先程の灯々島の言葉に絆されてしまったのか、天登はまるで自己暗示をかけるように何度も同じ言葉を繰り返し呟き続けている。ついさっき虎舞からも同じ言葉を突き付けられ、弱っているところへ更に追い打ちをかけられてしまい、酷く混乱してしまっているようだ。
「天登、しっかりしろ、大丈夫だから――」
そう彼に言い聞かせようとするけれど、今のこの状況の中で、気休めの言葉など何の役にも立たないことは分かっていた。
「……まぁええわ、そっちがギブアップっちゅうんなら、これで終わりにしよか。土管に隠れてるあんさんのお仲間も一緒に、綺麗さっぱり骨まで残さず消し炭にしたるわ!」
灯々島は再び大きく深呼吸して空気を肺に送り込み、防護服を剥がされた紬希と、僕らの隠れている土管もろとも焼き尽くさんばかりの勢いで炎を吹きかけてきた。
「……ぐっ、ぁああああああぁあああぁっ!!」
土管の外から聞こえてくる紬希の悲鳴。身を包んでいた糸はその殆どが切り落とされ、素肌が剥き出しの状態で正面から炎を浴び、身を焦がされてゆく紬希の悲痛な叫びが土管の中までこだまする。僕は思わず耳を塞いだ。逃げようにも双方を炎で塞がれ、炎を浴びた土管も熱を帯びていき、中の気温が一気に跳ね上がる。まるでオーブンの中にでも居るようだ。
(駄目だ、このままじゃ……意識が――)
あまりの熱さに頭が朦朧とし、徐々に視界が霞んでゆく。
そして、ついに意識が途切れようとした、その時だった――
「ぼ、僕は……僕は弱くなんかないんだっ‼︎」
ガン! と何かが砕ける音が響き、突き抜けるように吹き付ける一陣の風。その風は、灯々島の炎の吐息を一気に押し返し、威力を相殺させて瞬く間に掻き消してしまった。
「ちょっ⁉︎ な、なんやこの風! 斬撃っ⁉︎」
自慢の火炎放射を一瞬で薙ぎ払われ、灯々島は驚きを隠せない。
彼女の吐息を受けて焼け焦げた地面からは、炎の残滓がゆらゆらと立ち上っている。
そして、その揺れる陽炎の中に、片腕を振るった状態のまま静止している、天登の影が見えた。




