5月25日(土)① 弱虫はもう治らない
<TMO-1131>
5月25日(土) 天気…晴れ
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その日も、僕らは天登を連れて近所を出歩いていた。昨日より少し遠くの方へも行けるようになったけれど、相変わらず天登は不審者みたいな格好をして僕の背中にくっ付いてくる。おかげでこっちも歩き辛くて、十分ほど歩いただけでもへとへとに疲れてしまった。
「なぁ、そろそろ離れて歩いてくれよ……」
そう声をかけても、天登は押し黙ったままひたすら首を横に振る。
「少し休憩する? ほら、あそこに公園がある」
そう言って紬希が指差した先には、近所の公園が見えていた。入口の周辺には数匹の野良猫がたむろしていて、どの猫も誘われるようにして次々と公園の中へ入ってゆく。
……と、いうことは―― 僕の頭の中に、自然と一人の女の子が浮かび上がる。
そして思った通り、公園にはその女の子――猫に囲まれた同級生の虎舞夏江が居た。野良猫集うところに彼女の姿あり。以前、廃倉庫で紬希の能力を目撃してしまい、恐怖のあまり飛び出していったきり、あれから一度も会っていなかった。
公園に入ると、虎舞はちらと僕たちを一瞥して少し驚いたように目を見開いていたが、すぐに怪訝な表情へと変化し、僕らを邪魔者扱いするように半眼で睨み付けた。
「……何よ、まだ呑気に見廻りごっこなんかやってたわけ?」
「あぁ、まぁそんなところかな……久しぶりだね、虎舞。今日はいつもの猫耳パーカー着てないんだね」
「うっさい、洗濯してて着られなかったの。――てかさ、その不審者、誰?」
彼女はそう言って、僕の背中に隠れて震えている青年を指差した。フードを被り、マスクにサングラスをかけた天登を、虎舞が不審者と呼ぶのも無理はない。
「まさか凪咲、アンタ同じストーカーの仲間を増やそうとしてるの? 二人まとめて通報してやろうかしら?」
「いや、違うんだよ。彼には少し複雑な事情があってさ……」
「へぇ? どんな?」
僕はためらいつつも、彼と出会った経緯について虎舞に話して聞かせた。彼の持つ先天性の病気のこと、その病気のせいで学校で酷いいじめを受けていたこと、不登校になったことが原因で母親とも不仲になってしまったこと等々……
虎舞は終始腕を組んで僕の話を聞いていたが、話が終わると、大きく溜め息をついて気怠そうに口を開いた。
「ふ〜ん……で、そいつが学校に行けるようになるまで、アンタ達が面倒見てやってるってことなのね」
「まぁ、そんなとこかな……」
僕は曖昧にそう答える。一応話せるだけの事情は全て彼女に話したけれど、虎舞の表情は何故かずっと曇ったままだった。
そしてやがて、彼女はチッと舌打ちし、眉間にしわを寄せてボソッと呟く。
「……どうしてみんな、親の言いなりになってんのよ」
「えっ――」
すると突然、彼女は険しい顔のまま僕の前にずかずかと歩み寄り、僕の背中に隠れていた天登に鋭い視線を向けた。
「――ねぇアンタさぁ、母親から何言われてそんな引きこもりになったのか知らないけど、散々酷いこと言われて、悔しくなかったの?」
そう突っかかるように聞いてくる虎舞に、天登は「ひっ」と声を漏らし、掴んでいた僕の服をぎゅっと握りしめて縮こまる。
「お、おい虎舞、あんまり言い過ぎると――」
「うっさい、アンタは黙ってて!」
虎舞は止めようとする僕に向かってぴしりとそう言い放ち、小さくなった天登に、畳みかけるように言葉をぶつけてゆく。
「どうして言い返さなかったの? 悔しかったら精一杯抗ってみせるのが筋ってもんでしょ? なのにアンタは、一度叱られただけで自分の殻に閉じこもって、ビクビク震えたってワケ? ふん、馬鹿みたい。それでもアンタ男なの? そんなんだからいつまで経っても弱虫のままなのよ」
「おい虎舞! いくらなんでも言い過ぎだろ!」
僕はたまらず彼女に向かって言い返した。一方の天登は、虎舞のストレートな言葉に打ちのめされて、僕の背中にもたれかかるようにして崩れ落ち、その場で声を上げて泣き出してしまう。
「ほら、私に何も言い返せやしないじゃないの」
虎舞は両手を腰に当て、泣き崩れた天登を上から目線で見下す。僕は地面に蹲って泣き続ける天登の背中をさすりながら、仁王立ちする虎舞に向かって疑問をぶつけた。
「虎舞、お前今日一体どうしたんだよ? どうしてそんなにピリピリしてるんだ? 何かあったのか?」
「う、うっさい! ……アンタには関係ないことでしょ」
しかし、僕が訪ねても虎舞は心を固く閉ざしたまま、頑なに刺々しい態度を崩さない。
「……虎舞、何かあったのなら、私たちが話を聞いて――」
隣に居た紬希がそう言って虎舞に手を伸ばそうとすると、彼女は「ひっ!」と小さな悲鳴を上げてその手をパシリと振り払い、恐怖を滲ませた表情で叫んだ。
「触らないでよ化け物っ‼︎」
僕らと猫しか居ない公園に、虎舞の声が響き渡る。少しの間、気まずい沈黙が流れた。聞こえてくるのは、地面に蹲った天登の口元から漏れる悲しい嗚咽と、周りをたむろする猫たちの鳴き声だけだ。
やがて彼女は、僕らの向ける警戒の視線に気付いて、少し困惑したような表情を見せたが、湧き上がる感情を押し殺すように目をつむり、傍のベンチに置いていた荷物を手に取って背を向ける。
「なによ……私は正しいこと言ってやっただけなのに……」
逃げるように公園から立ち去る虎舞は、去り際にそんなことを呟きながら、足早に路地の奥へ姿を消した。
「……虎舞さん、きっと何かあったのね」
払われた手をさすりながら、紬希がそう言った。彼女の手の甲には、猫に引っ掻かれたような深い傷が刻まれていた。けれど血は出ていなくて、次見た時には、もう白い糸で紡がれてしまっていた。




