5月24日(金) 天登、空の下
<TMO-1130>
5月24日(金) 天気…晴れ
◯
試験最終日を終えて、ようやく試験勉強の束縛から解放された僕は、早速家に帰って昼寝を――できるはずもなく、紬希に連れられて渋々天登の家へと向かった。
今日は引きこもりの天登を初めて外へ連れ出す日。連合団にとっても重要任務であるためか、紬希もいつもより張り切っているように見えた。
屋敷に上がり部屋に行ってみると、天登が完全防備姿で待っていた。いつも着ている鼠色のパーカーに加えて、フードを被った顔の口元にはマスク、更に目元にはサングラスまでかけている。
「おいおい、なんて格好してるんだよ」
「だって……人に見られたくないんだもん……」
被っているフードの奥で弱々しい声を漏らす天登。そんな不審者みたいな格好をしていたら、逆に怪しまれて余計に人目についてしまうような気がするのだけれど……
「まぁ、最初だから仕方がないか。外に出て気分が悪くなったり、体調が優れないようなことがあったらすぐに言えよ」
そう言い聞かせると、彼は小さく頷き、僕の後に続いて階段を降り始めた。
〇
僕らは玄関へ行って靴を履き、扉を開けて外に出た。しかし、天登は玄関前に立ちすくんだまま、その場でもじもじしてしまっている。
「……来ないのかい?」
「いっ、行くよ! 行ってやるよ! うぅ……ち、ちょっと足が震えてるだけだ!」
そう強がってはいるけれど、やはり久々に外の世界へ出ることに抵抗を覚えてしまうのか、なかなか最初の一歩を踏み出せない。
すると、外で待っていた紬希がやって来て、震える彼の前にそっと手を差し伸べた。
「……大丈夫、あなたならできる。口に出して言ってみて」
「……ぼ、僕ならできる……僕ならできる、僕ならできる――」
天登は恥ずかしがりながらも、紬希の言う通りボソボソと呪文のようにそう唱えながら紬希の手を握り、やっとのことで最初の一歩を踏み出した。
晴天の下、天登は三年ぶりに外の世界に立った。午後の強い日差しを受けて、彼はサングラスの奥で目を細める。彼にとって、久々に吸う外の空気は、生温くどんよりとした部屋の空気と違ってキリリと冷たく、そして驚くほどに爽やかであったはずだ。
天登は大きく深呼吸して、付けていたサングラスを少しずらし、幼い子どものように無垢な目を空に向けた。
「……空ってこんなに蒼かったんだ」
それまで、彼の記憶の中で色褪せてしまっていた空のイメージが、再び鮮やかに塗り直されてゆく。僕らにとっては何の変哲もない、いつもの見慣れた光景だけれど、天登にとっては、外の世界の目に映る何もかもが新鮮に映っていた――
――とはいえ、それでもやはり久々に出た外の世界は、彼にとって不安と恐怖の渦巻く危険な場所であるらしく、そのせいで彼は終始僕の背中に隠れるようにして歩いていた。
「……あ、あの、そんなにくっ付かれると、歩き辛いんだけど……」
「べべ、別に怖いからくっ付いてる訳じゃないよ! ただ、周りの人の視線が気になってさ……」
通りすがりの人たちがちらちらと僕の方を見てくる。普通に歩いていれば何という事はないのだけれど、マスクにサングラスを付け、フードを被っている不審な人物が背中に張り付いているせいで、嫌でも目立ってしまうのだ。
「……やっぱり、もう少し慣らさないと駄目っぽいな」
そう呟く僕の横で、紬希が言った。
「でも、これで一歩前進」
――確かに、これは言わば引きこもりだった天登にとってリハビリのようなもの。彼が僕らの教室に立てるようになるまで、一歩一歩改善させていくしかない。どれくらいの時間がかかるのかは分からないけれど、これからそのリハビリに毎日付き合わされるのかと思うと、気が遠くなる思いだった。
でもよく考えてみれば、いつもやってる連合団の巡回に、一人新たな仲間が加わったと考えれば、結局いつもの日常と変わらないのかもしれない。




