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パッチング・レコーズ  作者: トモクマ
●第2部 パラレル・ストレイキャッツ● 第1章 踏み出せ弱虫
129/190

5月22日(水) 復習ノートと漫画ノート

挿絵(By みてみん)

<TMO-1128>







5月22日(水) 天気…雨



 次の日、中間試験の二日目。科目は「英語表現」と「生物基礎」。けれども、結果を知らされる前から補修居残りがほぼ確定したと言っても過言でないくらい散々な出来だった僕は、放課後テスト勉強のために図書室で勉強しようと紬希に申し出た。


 しかし、連合団ユナイターズ団長からの許しがもらえるはずもなく、結局僕は紬希に連れられて再び天登の豪邸を訪れることになった。


 けれども今回は、これまでずっと入ることすら許されなかった天登の部屋に入ることを許され、僕らは部屋の真ん中に置かれた座卓を囲んで、必死に勉強に励んでいた。


「ヤバい、ほんとにヤバいよ……三日目の『現代社会』と『数学A』は何としても及第点を取らなきゃ、本当に全教科補修送りにされるよ」


 僕はつのる焦りのあまり、独り言のようにぶつぶつ呟きながらノートに噛り付いてペンを動かしていた。


 すると、隣に居た紬希が、突然意味不明なことを訪ねてくる。


「――ねぇ凪咲君、シベリアって何処にあるの?」


「はぁ? 何だよいきなり」


「クラスメイトがみんな口を揃えて、補修に行くことを『シベリア送りにされる』って言うから……」


 縁起でもないことを紬希に吹き込んだクラスメイトたちを恨めしくっていると、同じ座卓に座っていたもう一人の男子――新たに、僕らの仲間となった天登蒼太が、着ているパーカーのフードを深く頭に被り直しながら、ぼそぼそと呟いた。


「……それって、確かここの近くのスーパーのパンコーナーに売ってる、とっても甘いお菓子のことじゃないの?」


「――お菓子なの?」


 紬希の碧眼へきがんの奥がきらりと光った。甘いものに目がない彼女は、天登の傍に近寄り「そのお菓子についてもっと詳しく聞かせて」と更なる情報を求めてくる。けれど天登は、詰め寄ってくる女子を前にダンゴムシのように体を縮めて、小さく呻きながら必死に被ったフードの裾を両手で引っ張り、赤く染まった顔を覆い隠していた。


「こら紬希、天登君が困ってるだろ。そのお菓子なら帰りに買ってやるから、今は勉強に集中してくれよ」


 ただでさえ天登はシャイで繊細なのに、異性がそんなに近付いてしまったらまた彼が発狂しかねない。


 ――昨日の騒動があってから、天登はある程度、他人にも心を許すようになり、こうして訪ねてきた僕らも部屋に通してくれた。けれど、まだ精神的に不安定なところも多く、迂闊に刺激するとまたいつ昨日みたいに爆発ヒステリーを起こすか分からない。そんな時限爆弾と一緒に、僕らはこうして勉強に励んでいるわけなのだけれど…… 


 三人揃って、机上にノートを広げて筆を進める。その様子を側から見れば、三人揃って真面目に勉強会をしているように見えるだろう。


 しかし、実は一人だけ、勉強でないことをしている者がいる。


「……あのさ天登、三十センチ定規の先が僕のノートに侵入してるんだけど……」


「あっ、ごご、ごめん……」


「天登君、丸ペンが私のところに転がってきたから、拾っておいた」


「あ……うん。ありがと……」


「あの、僕の敷いてる座布団の下から雲形定規が出てきたんだけど……」


「あっ、それ僕の……」


 そう、天登は勉強しているのではなく、自分の好きな漫画をノートに描いていたのだった。僕らが黙々と数式やら社会用語をノートに書き写している横で、彼は定規を使って枠線を引いたり、鉛筆からペンに持ち替えたり、ノートを縦にしたり横にしたりするものだから、物音がうるさくて全然勉強に集中できない。


「今どの辺りの話を描いてるの?」


「え……えと、砂漠で人喰いワームと戦ってる場面……ヒロインが食べられそうになるところを、スライムマンが助けに来るんだ」


「人喰いワームって、確かこの前私が読んだ一三三巻にも登場したね。スライムマンを丸のみにしたんだけれど、あまりにマズくて吐き出したんだよね」


「そうそう、そうなんだ! ワームの持つ溶解性の粘液にまみれてしまったスライムマンは、危うく体を溶かされそうになるけれど、体を膨張させて巨大化することで何とか難を逃れるんだ」


 こっちは勉強に集中したいというのに、二人の熱い漫画談義まで始まってしまい、更に集中できなくなってしまった僕は、卓上にあったティッシュ箱から一枚引っ張り出して丸めて捻り、両耳の穴の奥に押し込んだ。


「――ちなみに、人喰いワームに収縮自在の長い舌を持たせれば、ヒロインの体にいやらしく絡み付く描写が描けると思う。それに、溶解性の粘液をヒロインに浴びせれば、衣服を溶かして際どい描写を挿入することだってできるわ」


「ふぇ⁉ ……い、いや、あの……そそ、そんなの描けるわけ……」


 いくらティッシュの耳栓をしていても、紬希の放った言葉に対して天登が顔を真っ赤にして動揺してしまっているのを見れば、彼女が何かマズいことを口走ったのはすぐに分かった。


「おい紬希、お前天登君に何を吹き込んだんだ?」


「別に変なことは言ってない。彼の描きたい欲求を刺激するようなアドバイスをしただけ」


「それって要するにエロいことを言ったんだろ?」


「違う。アイデアを彼に分けてあげたの」


 僕らが言い合う横で、上気した顔を隠して縮こまる天登。漫画の中では普通にエロいシーンをたくさん書いているくせに、現実でそんな話をさせると途端に恥ずかしがって殻に閉じ籠ってしまう。長い間外に出なかったせいで、彼には少し特殊な性格が付与されてしまったようだ。


「……そういえば、天登が描いたこれまでの漫画って、物置にしまってあるんだっけ?」


「えっ? ……あぁ、うん」


「天登がお母さんから叱られた時は、どの辺りまで描いてたの?」


「ええと……確か五十巻くらいだったかも……」


 それから僕は、物置にお邪魔して彼の過去の作品を覗いてみた。すると思った通り、最初の一巻目から五十巻目までは普通にスライムマンの活躍が描かれていて、五十巻目から徐々にヒロインの登場する回が増え、同時に破廉恥はれんちなシーンも増えていることが分かった。


 確か由菜子さんの話によれば、親子喧嘩する以前は普通に描いた漫画を母親に見せていたそうだから、当然親に見せられないようなシーンは描かないはずだ。


「……要するに、母親と不仲になっている数年の間に、今みたいなシャイでムッツリスケベな性格になったってことか」


 天登の部屋にはパソコンが置いてあった。エロいシーンの元ネタは、多分あのパソコンが収集源なのだろう。


 そこまで推理したところで、僕はこんな風に他人の詮索にうつつを抜かしている自分を恥ずかしく思った。こんなことに余計な知恵を使っても仕方がないじゃないか。そう思って溜め息を吐いた僕は、天登が幾年にもわたって描き続けた軌跡である積み重ねられた漫画ノートの束の上に、持っていた一冊をそっと戻しておいた。



「――お邪魔しました」


 別れの挨拶をしてから、僕と紬希は天登の豪邸を後にした。


 それにしても、ただ試験勉強をするためだけに、わざわざ天登の家まで行かなければならないのは勉強する上で大きなハンデだった。天登の家まで向かう時間を、放課後教室に残って勉強する時間に当てた方がよっぽど効率的である。ただでさえ試験科目が次々と悲惨な結果になっているというのに、どうして時間を浪費してまで、勉強に集中できる環境が決して良いとは言えないこの場所に行かなければならないのだろう?


 しかし、内心そうは思いながらも、自分一人だけ学校に居残るわけにもいかなかった。もし紬希だけで天登の家に行かせたらどうなる? 天登と二人で漫画談義に花を咲かせるのは大いに結構だが、興味のある事にはすぐ食い付いてくる異性を前にして、天登の不安定な精神が耐えられるはずがない。


「やっぱり僕も付いて行かなきゃ駄目だよなぁ……」


 そう独り言を呟きながら家に帰ろうとすると、後ろを歩いていた紬希が、僕の着ているブレザーの袖を掴んで引き止めた。


「――凪咲君、帰りにシベリアを買ってくれるって、約束」


「ぐっ……くそ、覚えてたのか……」


 数時間前に言ったことだからもうすっかり忘れているだろうと思っていたのに……


 けれども、自分から言ってしまったことは今更もう取り返しがつかない。結局僕は、試験期間中だというのに貴重な時間をさらに浪費して、わざわざ近所のスーパーまで足を運び、シベリアを買わされる羽目になったのだった。

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