5月20日(月)① ヒントは漫画に
5月20日(月) 天気…曇り
◯
休み明け――。登校してきた僕が教室に入ると、周りがやけに騒々《そうぞう》しかった。教室を見渡すと、クラスメイトの誰もが、教室に入ってきた紬希の姿に釘付けになってしまっている。
それもそのはず、先週まで黒髪だった彼女が、純白の髪をなびかせて登校してきたからだ。しかも、それまで琥珀色だった瞳も碧眼に変わり、ガラッと様変わりした彼女の容姿を前に、クラスメイトの誰もが困惑してしまっている。
幸い、ここの学校の校則はそこまで厳しい訳ではなく、クラスの誰かが突然髪を金に染めたりすることは珍しくない事なのだが、今回の紬希の白髪姿は、周囲にまたかなりのインパクトを与えてしまったらしい。おまけに瞳の色まで変わってしまったのだから、傍から見れば外国人留学生のようにも見えてしまう。
「紬希ちゃんがイメチェン⁉︎ 意外だわぁ……」
「でも何で瞳の色まで? まさかハーフの生まれだったとか?」
「いや、あれはただのカラコンでしょ。でもなんで目の色にまでこだわるのかねぇ……」
「でもあれはあれで可愛くねぇか? ますます俺好みのタイプになった気がする!」
クラスメイト達の会話に耳を傾けてみても、紬希の話題ばかりが飛び交う。そんな中、当の本人はというと、教室のあちこちから向けられる視線を一身に受け止めているにもかかわらず、いつものように何食わぬ顔で机に向かい、この前天登から借りていた「それいけ! スライムマン」の第一三二巻を読みふけっている。
――今日の放課後もまた、紬希は天登の家に通うつもりでいるのだろう。明日から中間テストが始まるというのに、紬希の脳内スケジュールには「テスト勉強」の「テ」の字も書かれていない。なぜなら、今の紬希は引き籠もりの天登を更生させるべく、持てる全ての労力をつぎ込んでいるからだ。
〇
「……とは言うもののさ、やっぱり勉強はしておかないと、さすがにこれはマズいよ」
学校の帰り、僕は紬希と共に歩きながら、返却された宿題のプリントを見て大きく落胆していた。試験前の復習として出された課題プリントには、僕と紬希どちらも〇の数より×の数が圧倒的に多く、点数も散々なものだった。
「でも私たちには、天登君を更生させる大事な任務が――」
「確かに連合団の任務第一な紬希の心意気はよく分かるけど、他人に全てを尽くして自分が破滅したんじゃ意味ないよ。みんな高校二年に進級する中で、僕と紬希だけ一年生をもう一度やり直すなんて嫌だろ?」
「……凪咲君も一緒に落ちてくれるなら、私はもう一年やり直したっていい」
「いや、そういう問題じゃなくて!」
……一体どうしたものか、紬希の思考回路が普通よりかなり逸脱しているせいで、話がうまく噛み合ってくれない。
結局、紬希の気持ちをテスト勉強へ向けさせようという試みは今日も叶わず、僕らはまた天登家の大豪邸の門前に立つこととなった。
〇
「――だ、第一三二巻はどうだった? 面白かった?」
メイドに屋敷内を案内され、天登の部屋の前に立つと、部屋にこもる彼が扉越しにそう問いかけてくる。
「面白かった。今回は前と違って異世界が舞台になっていたから、以前よりもより一層違った雰囲気が出ていて、読んでいて新鮮だったわ」
紬希は淡々と漫画を読んだときの第一印象を答える。
またいつものように、紬希先生による長い長い漫画批評タイムが始まるのか……、と思ったのだが、彼女は少し間を空けてから、こう言葉を続ける。
「でも、漫画の感想を言う前に、天登君にお礼を言っておきたいの」
「えっ、お礼って…… なな、何だよいきなり」
突然そう言われて、天登は戸惑ってしまっている。お礼? 天登が紬希に何かお礼を言われるようなことをしただろうか? 僕はこれまでの記憶を遡って考えてみたが、心当たりがない。
「……詳しいことは言えないんだけど、私ついこの前、危険な場所に取り残されている親子を見つけて、二人を助けようとしたの。でも、二人を連れて逃げようとした時には、もう周りに逃げ場なんて無くて、完全に八方を塞がれて打つ手の無い状態だった。 ……でもそんな時、天登君の書いた漫画のアイデアのおかげで、私はどうにかその親子を助け出すことができたの」
詳細までは深く語らなかったものの、紬希は二日前にクリプト製薬施設で火災が起きた時のことを語っているのだと、僕には理解できた。
あの時、彼女は燃え盛る施設に取り残された千柳と空越少年を助けるため、二人の体を糸で包み、自らの体が焼けることも顧みずに、業火の中から二人を救い出した。体を糸で包むなんて突飛めいた発想は、普通でない思考回路を持つ紬希にしか思い付けないアイデアだろうと思っていたのだけれど……
『自分の体を鎧にして相手を守るなんて、予想外だった。度肝を抜かれたわ』
クリプト製薬施設へ赴く前日、天登の描いた漫画を読んで感想を述べていた時の紬希の言葉をふと思い出す。
――そう、天登の漫画に登場するスライムマンが、自らの体を鎧に変えてお姫様を守ったように、紬希は自らの体から吐いた糸を巻き付けることで千柳と空越を守り、迫り来る業火の中から見事二人を救い出したのだった。
「天登君の描いてくれた漫画のおかげで、私の大切な人を救うことができた。――本当に、ありがとう」
紬希は感謝の思いを天登に伝え、扉の前で深々と頭を下げた。
「なな、何のことかさっぱりなんだけど…… でっ、でも、僕の漫画がそんなに役に立ったのなら……良かった、のかな? へへ……」
いきなりお礼を言われて最初は戸惑っていた天登だったが、褒められたことが嬉しかったらしく、扉の向こうで照れるように笑いをこぼした。
「……なるほど、突拍子もないことをやらかしたとは思っていたけれど、まさか天登の漫画からヒントを得ていたとはね……」
漫画の世界でしかできないようなことを平然と現実でやってのけてしまう紬希に、僕は驚愕を通り越してもはや呆れていた。ヒーロー漫画の真似をして、絶体絶命の救出劇を大成功させてしまった紬希。そのあまりに勇敢で、あまりに無謀な行いは、もはや称賛に値するレベルにまで達しているように僕は思った。




