番外編1-2 とあるストーカー
<TMO-1114>
「ん?……なんだこれ? 縫いぐるみ?」
それは、僕の手のひらより少し大きなシロクマの縫いぐるみで、砂を払っても薄汚くて、顔中が継ぎ接ぎだらけの、フランケンシュタインみたいな見た目をしたボロボロのクマだった。
「うえぇ、何でこんなにボロボロなんだよ……しかもすごく臭いし……気持ち悪いなぁ」
僕は少しがっかりした。どうせなら、もっと綺麗で可愛い顔をした縫いぐるみなら良かったのに。この薄汚いシロクマの縫いぐるみは、全身継ぎ接ぎされているせいで顔は歪んでいたし、耳の位置は違うし、解れた糸がだらりと垂れ下がっていて酷くカッコ悪かった。
「こんなもの、一体これまで誰が持ってたんだろう? こんなにボロボロなら、そりゃ捨てられて当然だよ」
僕はぶつぶつ独り言を言いながらポイとその縫いぐるみを投げ捨て、他に埋まっているお宝が無いか探してみた。
――でも結局、見つかったのはさっきのボロボロな縫いぐるみだけで、後は何の収穫もなく、錆びた十円玉の一枚すらも見つからなかった。
とうとう諦めて、ずっと下を向いていて痛くなった首を上げると、もう陽が暮れ始めていた。公園を包んでいた影の色が濃くなり、遠くの方に見える美斗世市の街並みは、夕日に照らされて淡いオレンジ色に染まっている。公園の公衆トイレに設置された時計を見ると、もう五時十分前だった。
「ヤバい! 急いで帰らなきゃ!」
僕は急いでスコップに付いた泥を落とし、ビニール袋に入れて体操着入れの中に突っ込み、ランドセルを背負う。
ふと、砂場横に放ったままのクマの縫いぐるみに目が行く。地面にうつ伏せに倒れたそいつを見て、僕は溜め息をついた。コレクションに追加するには少しボロボロ過ぎているような気もしたけれど、このままここに放っていくのも可哀想だと思った。
それに、ここで拾って帰らないと、何故か僕が悪者になってしまうような気がした。あいつに恨まれてしまうような気がした。どうしてだろう? ただの縫いぐるみだっていうのに……
「……ったく、仕方ないな」
僕は溜め息をついて、落ちていたその縫いぐるみを拾う。
〇
帰り道、僕は砂で汚れたそのボロボロな縫いぐるみを片手に、車の行き交う車道横の歩道を急ぎ足で歩いていた。早く帰らなきゃ、またお母さんに叱られて、晩ご飯まで減らされて、色々と面倒なことになる。
(はぁ……時間って、好きなことをしていると本当にあっという間に過ぎてしまうんだなぁ……)
そんなことを思いながら歩いていて、ふと僕はある異変に気が付いた。
――背中に、誰かの強い視線を感じる……背筋がムズムズして気持ちが悪い。僕のすぐ後ろを、誰かが付いて来ている。暮れる陽に照らされて、背後から伸びる人影が僕の足元をちらついていた。
誰だろう? 僕の中で、振り向きたい気持ちと、このまま速足で歩き続ける気持ちとがせめぎ合う。……でも振り向く勇気が出なくて、僕はそのまま速足で歩き続けた。
すると、僕が通りかかった横断歩道の信号が点滅を始めたので、僕は駆け足で車道を渡った。
渡り終えたところで信号は赤に変わり、それまで止められていた車の列が再び流れ始める。僕は息を整えてから、怖々と振り返った。
車の行き交う車道の反対側、横断歩道の前に一人ぽつんと取り残されるようにして、高校の制服を着た、綺麗なお姉さんが立っていた。
そのお姉さんは、まるでカカシみたいに横断歩道に突っ立ったまま、車道の反対側に居る僕の方をじっと見詰めている。お姉さんの髪の毛はなぜか真っ白で、車が通る度にその白い髪がふわりと風に揺れていた。こちらを見てくるその目はビー玉みたいに青くて、冷たい光が差していて、僕にはその目が少し怖くてゾッとした。影を落としたその顔は、遠くからだと笑っているようにも怒っているようにも見えない。
あのお姉さんが、僕を後を付けて来ていたのは間違いない。僕はてっきり、よく小学校の掲示板に張ってある不審者注意のポスターに描かれているようなマスクにサングラス姿のオジサンが追って来ているとばかり思っていた。
でも、追いかけて来たのが高校生の綺麗なお姉さんだったとしても、やっぱり不審者になるのかな?
(明日、先生に聞いてみよっと……)
僕は今日あった出来事を明日担任の先生に話すことを決めて、ランドセルを担ぎ直す。とりあえず信号が赤である限りは、あのお姉さんもここまで追って来れない。だから信号が変わる前に早くここから逃げてしまおう。
そう思ってその場から立ち去ろうとし、ふと何気なくもう一度道路の反対側へ目を移してみた。
――横断歩道の前には、誰も立っていなかった。
あれ? と、僕は一瞬自分の目を疑った。目を擦ってから、もう一度横断歩道の向こう側を見る。……やっぱり、居ない。
(おかしいな……ついさっきまでそこに立っていたのに……)
諦めて帰っちゃったのかな? 意外と簡単に諦めてくれるんだな。
そう思っていた次の瞬間――
ポン――と、僕の肩に誰かの手が置かれた。
「ひっ……」
僕は恐怖のあまり思わず声を漏らした。
ちらと横に目を向けると、夕日に照らされて、歩道に伸びる僕の影の後ろに、自分より数倍も長い影が立っていた。
僕はおそるおそる振り返る。――そこには、あの制服姿のお姉さんが、横断歩道の向こう側で見た時と全く同じ表情のまま、青いガラスの瞳で僕をじっと見下ろしていた。
(えっ⁉︎ 一体どうして⁉︎……)
信号はまだ赤のままなのに。車も休みなく行き交っていて、渡れるタイミングなんてなかったはずなのに。……なのにどうして、この人はここに立っているの?
訳が分からなくなって、心臓が胸を突き破る勢いでビクンビクンと跳ねる。じっと見つめてくるお姉さんの目、その瞳の奥には、どんな光をも吸い込んでしまう、底無し穴のような深い闇がこちらを覗いていた。ずっと見ていると、本当に自分までその瞳の中に吸い込まれてしまいそうだった。
「……ねぇ君、君が持っているその縫いぐるみはね、実は私のものなの。返してくれないかな?」
お姉さんはそう言って、僕の握っていたあのボロボロな縫いぐるみを取り上げようと、もう片方の手を伸ばしてくる。
「……しっ、知らない、僕じゃない……取ったのは僕じゃないもんっ‼︎」
怖くてたまらなくなった僕は、気付けばその場から駆け出していた。息を切らしながらも必死に脚を動かし、人気の多い通りを全力で走り抜けて、静かな住宅の並ぶ道に入った。
「こ、ここまで来れば……」
僕はぜぇぜぇと荒い息を吐きながら後ろに目を向けた。あの女子高生の姿は見えなかった。追っ手を蹴散らすように、なるべく交差点の角を右に左に曲がってジグザグに走ったから、きっと追いかけては来れないはずだ。
追っ手を振り切った僕は、取り合えず膝に手をついて、息を整える。玉のような汗が額から鼻へと伝い落ち、アスファルトの地面にぽたぽたと小さなシミを作っていた。気付けば、あのボロボロな縫いぐるみも、手汗の溢れる手で握りしめたままだったことに気付く。
「はぁ、はぁ……ふふっ、お前の持ち主から逃げきってやったぜ……へへ」
僕は顔を上げて、自慢するように持っていた縫いぐるみに向かって言葉を漏らし、小さく笑う。
それから、背後に誰も付いて来ていないことをもう一度確認する。うん、誰も来ていない。やっぱり今度こそ本当に諦めたみたいだ。
僕は大きく溜め息をついて、それから前を向き歩こうとして――
――ぽすっ
途端に、僕の顔は何か柔らかいものにぶつかった。ほんのりと漂う甘い香りが、僕の鼻をくすぐった。
誰かにぶつかってしまったんだと思った僕は、咄嗟に謝ろうと顔を上げて……
そして、凍り付いた。
「見つけた」
上から見上げる僕の目に映ったのは、大きく盛り上がった二つのお胸の山。……そして、その谷間からこちらをじっと覗いているお姉さんの無表情な顔と――まるでビー玉のようなあの青い目が、僕を見つめていた。




