IF STORY 5月18日(土)⑭ 紬希、覚醒 ※ミロガンシアANOTHER ENDルート
地上へ通じる通風孔の蓋が蹴り上げられ、弾丸のように僕と長雨を抱えたウニカが飛び出す。彼女は空中で大きく翼を広げると、急降下して僕らを地面の上に降ろした。
既に日が落ち始め、空の青が色濃くなってゆく下で、山中にある製薬工場は黒煙を上げて燃え続けていた。施設の周辺に紬希の姿を探したが、何処にも見つからない。僕は入口前に立って、もう一度紬希の名を叫んだ。しかし、返事は戻って来なかった。
「そんな……紬希……」
めらめらと燃え盛る建物を前に、膝を付いて項垂れる。駆け付けた長雨とウニカも、もう駄目だと言わんばかりに炎上する施設から目を背けてしまっていた。
――しかし、その場が絶望の空気に飲まれてゆく中、ふと長雨が驚愕の声を漏らす。
「……おい、嘘だろ」
炎が噴き出て渦を巻いている建物の入口、その奥からうっすらと、こちらへ向かって歩いて来る人影が見えたのである。
まさかと思った。その人影はよろめきつつも炎の渦中を突破し、とうとう僕らの前まで辿り着く。
「うっ……」
僕は思わず両手で口を覆う。
――炎の中から現れたそれは、辛うじて人間の形を保ってはいた。その体型から見て、辛うじてその人型が紬希だと判別は付いたものの、変わり果ててしまったその姿は、もはや彼女のかつての面影すら残していなかった。
盛る炎に絶えずその身を舐られ続けたせいで、彼女の身に纏っていた衣服は全て灰となり、髪は燃え落ち、肌は真っ赤に焼け爛れていた。焼けた全身からはしゅうしゅうと蒸気が立ち上り、皮膚の焼ける臭いが鼻を突く。僕は思わず嘔吐しそうになるのを必死に堪えた。かつて彼女を愛らしく見せていた琥珀色の眼も熱で蒸発し、溶けた目玉が涙のように頬を伝って流れ落ちてしまっていた。
死んでもおかしくないーーいや、死んでいなければおかしいほどの重傷を負ってまで、彼女はここまで歩いて来たというのか。今もこうして、全身を焼かれた彼女が立っているだけでも奇跡と呼べる。
そんな彼女の焼け爛れた両腕には、何やら中身の詰まった白く大きな袋のようなものが抱えられていた。
紬希は糸が切れたようにその場で倒れ、抱えていた大きな袋が僕たちの前に転がる。
よく見ると、それは袋ではなく、白い糸で幾重にも巻かれた巨大な「繭」だった。紬希の糸で紡がれたその繭は、あれだけの業火の中をくぐり抜けてきたというのに、決して燃え落ちることなく、中に詰められたものを炎と熱から守っていた。紬希の手から繭が離れると、巻かれていた糸がひとりでにしゅるしゅると解け始め、解れた糸の束の中から、一人の少年が現れる。
包まれていた糸のおかげで火傷一つ負っていない彼が空越少年だと分かると、僕は慌てて彼の胸に手を当てる。心臓はしっかりと動いていた。深く眠ってしまっているようで、静かな寝息を立てる彼の両腕には、紬希の大切にしているクマッパチが握られていた。ボロボロなクマの縫いぐるみも、巻き付いた糸のおかげで燃えることなく残っていたのだ。
けれども、持ち主である紬希の方は――
振り返った僕らは息を呑んだ。それまで空越を取り巻いていた白い糸が、今度は倒れた紬希の焼け爛れた体を覆ってゆく。痛ましい姿は幾重にも巻かれた糸によって包み隠される。
「……凄い。この子の身体、一体どうなってんのよ?」
あの恐れを知らぬ小悪魔ウニカさえも、紬希の身に起きている変異を前に驚きを隠せず、目を見張っている。そしてとうとう、彼女の体は巻き付く糸で完全に隠れてしまい、真っ白な繭となって僕らの前に横たわった。繭の中からぐちぐちと何かが蠢くような音がして、繭の表面が時折ぴくっと痙攣する。繭の中で一体何が起きているのか、僕らは固唾を飲んで見守っていた。
――そして突然、何の前触れもなく真っ白な繭がめりめりと音を立てて中央から大きく裂け、その裂け目から、手足を折り重ねて蹲っている紬希の背中が見えたのだ。
「……つ、つむ……ぎ……?」
つい先程まで全身焼け爛れていた姿が嘘であったかと思われる程に、彼女の体は完全に再生してしまっていた。……いや、むしろ「生まれ変わった」という表現の方が正しいのかもしれない。
繭の中から徐々に背中を起こしてゆく紬希。その一糸纏わぬ裸体が夕日の下に晒されて艶めかしい光沢を放つ。持ち上げられた頭には、燃え落ちた黒髪の代わりに、白銀の輝きを放つ白い髪が風に吹かれてなびいていた。閉じられた目蓋にも白い眉毛がふわふわと揺らめき、目が開かれると、目蓋の奥で青く透き通る瞳が、僕らの姿を映していた。
「……私、きちんと、戻ってきた、よ……」
僕らの前でそう言葉をこぼし、立ち上がろうとした紬希はよろめく。僕は慌てて駆け寄り、倒れそうになる体を支えた。彼女の肌はすべすべとしていて、赤ちゃんのような甘い匂いがした。ふわっと舞い上がる白銀の髪が鼻腔をくすぐる。その髪の毛一本一本は、全てあの白い糸でできていた。
「紬希、本当に大丈夫なのか? あんなに酷い火傷を負っていたのに、もう治ったのか?」
そう尋ねる僕に、紬希はこくりと頷く。
「ずっと体を火に炙られていたせいで、私の治癒能力も以前より向上したみたいなの。だから、もう火傷の痛みは感じな……っつぅっ!」
そこまで言ったところで突然彼女が悶える。「まだ何処か怪我が残ってるのか⁉︎」と僕は慌てたが、紬希は目を閉じたまま頬を赤くし、首を横に振る。
「……そこ、あまり強く掴まないで」
ふと自分の腕に目をやり、紬希を支えた際に彼女の胸を思い切り鷲掴みしていたことに気付く。僕は恥ずかしさのあまり、慌てて紬希を突き放してしまったものだから、彼女はその場にぺたんと尻もちをついてしまう。
「……やれやれ、そんな格好してたら風邪ひくぞ」
長雨が呆れて全裸の紬希に近付くと、羽織っていた学ランをそっと背中にかけてやった。




