5月18日(土)⑬ 全てを消し去って(裏)
<TMO-1101>
炎が施設の床を覆っていたミロガンシアのツタに燃え移ると、更に勢いを増して山火事の如く広がり、華麗に咲いていた赤い花も火の玉となって燃え落ちてゆく。
千柳によって召使いにされたツタまみれの哀れな怪物たちも火達磨になってのたうち回り、シューッ! と空気の抜けるような雄叫びを上げる。やがてひとりきり死のダンスを踊り終えた彼らはその場に倒れて動かなくなり、盛る炎に飲まれていった。
しかし、周囲を炎に巻かれた絶体絶命な状況下であるにもかかわらず、千柳はその場を一歩たりとも動こうとしなかった。
「千柳さん。早くここから出ましょう」
紬希がそう言って手を伸ばすが、千柳は首を横に振り、伸ばしてきた彼女の手に、怯えている空越少年を託したのである。
「……いいえ、私よりも、どうかこの子をよろしくお願いします。仲良くしてあげてくださいね」
「駄目。あなたも一緒に来て。誰一人として置いてはいけない」
紬希はきつい口調で千柳に詰め寄る。これまでにも彼女は、誰かの力になりたい一心で、困っている人を見つける度に立ち止まって手を差し伸べてきた。相手を見捨てて自分だけが逃げるなんて選択は、彼女の揺るぎない正義感が絶対に許さなかった。
「私は元からここで果てることを覚悟していました。どのみち、これだけの『アティラヴァG』を摂取してしまえば、やがて自身の毒に犯されて死ぬ運命は避けられません。もう少しこの子と一緒に居たい気持ちはありましたが、花の散る時期が少し早く訪れてしまったようです。母親失格である故に、その罰が下ったのでしょう。……これで良いのです」
千柳はそう言って薄っすらと微笑み、静かにその目を閉じてゆく。
「――良い訳なんかない」
その時、それまでずっと平静だった紬希の口調が変わった。その語気に含まれた激しい怒りの感情に、千柳は一瞬だけ恐怖を覚える。
「あなたは母親失格じゃない。だって――」
顔を上げた紬希の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「だって、あなたは本当に自分の家族と子どもを心から愛そうとしていたから。……私の両親なんか、家族関係なんて互いの自由を束縛する鎖としか思ってなくて、お父さんはそんな関係を嫌って家を出て行った。お母さんも私と弟を放り出したまま、家を留守にすることが毎日だった」
いつも寡黙で感情を表に出さないはずの紬希が、声を大にして叫ぶ。千柳の冷えた心に届くよう、溢れんばかりの熱い感情を乗せて、彼女は言葉をぶつけていた。
「私の親に、愛なんてどこにもなかった。唯一私の側に居てくれた弟が交通事故で死んだ時でさえ、二人はお葬式にすら来てくれなかった。自分のことしか考えずに、子どもを放って逃げ出した両親を、私は家族だなんて思わない。……でも、あなたは違う。家族を守る為に自分が能力者であることを隠して、親としての責任を最後まで果たそうとした。そうして得られたものが、例えどんなに悲惨な結末であったとしても――私は、あなたが誰よりも立派な母親だったと認めるわ」
紬希の嘘偽りない純粋な言葉が、ボロボロになった千柳の心を、優しく包み込んだ。
幸せな家族を持ちたい――そう願う気持ちは、千柳一人だけが抱いているものではなかった。母と娘という違いはあれども、二人は互いに同じ問題を抱え、そして互いに大切な人を失った苦しみを背負っていた。だからこそ、紬希は千柳のことを許してあげられたのだろう。自分と境遇が同じだからこそ、助けたい。その揺るぎない思いが、沈みゆく千柳の心を受け止めていた。
「……私、あなたみたいな優しい人を、もう二度と失いたくない。……だから、連れて行く。絶対に!」
紬希は片方の手で空越を手を握り、もう片方の手で千柳の腕を強引に掴んで駆け出した。それまで千柳たちの居た場所に、瓦礫の雨が降り注ぐ。地下の崩壊が始まった。崩れ落ちる天井が、千柳と空越の創り上げた、植物と機械が融合し一体となった地下庭園を瞬く間に埋め尽くしてゆく。
(……どうして)
崩れゆく施設の中を駆け抜けながら、千柳は空越と共に手を繋いで走る紬希の背中に何度も疑問を投げていた。
(どうしてあなたは、そこまで私のことを想ってくれるの? どうして罪人である私に、そこまで真剣な眼差しを向けて……)
施設を脱出する三人の影は、崩壊する瓦礫の山の奥へと消えていった。




