第19ラウンド 世界の素質
死闘・第二幕。
そしてまさかまさかの展開に。
瑠希菜と灼はなおもノーガードで殴り続けた。
数分しか経過していないにも関わらず、数時間も闘っているかのような長い時間を感じた。
互いの学校の不良のリーダーとしての意地とプライドがぶつかっている。
しかも両者一歩も引いていない。
ただ、お互い疲れは見えてきていた。
(強いな……しかも私のパンチでこんなにも倒れないやつなんて初めてだ……くそっ……体格差がここまでモロに出るなんて……!!)
血に染まった左目、その瞼は深くカットされており、一歩間違えば網膜裂孔となる可能性もあった。
おまけに鼻からも出血しており、酸素も十分に取り込めるわけでもない。
八方塞がりのような状態になっていた。
それだけ灼の拳は重く、尋常でないタフさが瑠希菜の心情と状態を物語っていた。
だがそれは灼も同様だった。
(俺の攻撃を何発受けても倒れないのなんざ初めてだ……空手でもこういうことはなかった……認めるぜ……コイツは強え……女を抜きにしても倒せる気がしねえ……!!)
左目の下が大きく腫れ上がっており、灼の口内は出血が嵩んでいる。
しかも執拗にボディを狙われたが故か、スタミナも切れかかっていた。
この巨漢相手でも体力を削り、酸欠寸前まで追い込んでいた瑠希菜の拳。
両者満身創痍ながらも、利き手の拳をグッと握りしめた。
((この1発で……決める!!!))
瑠希菜は右足を、灼は左足を力強く踏み込み、拳を大きく振りかぶった。
その頃諒太は。
車を使い、紀利華と氷織を乗せて湘南市内を走行していた。
その目的はというと。
「いいんですか!? 会長!! 瑠希菜のためにわざわざ向かうなんて……!!」
瑠希菜を助けるために、諒太は車を走らせていた。
紀利華が止めるのも無理はない。
「アイツが苦戦してるって山本から連絡が入った。だから俺の目で……確かめに行く。戦ってる奴が世界を獲れる資質があるかどうかをな。……それに……」
二人が固唾を飲む。
「ガキどもの危機に駆けつけねえ親父が……何処にいるってんだよ。アイツらがどう思ってるかは知らねえが……瑠希菜だけじゃねえ、アイツらも……俺の息子みてえに俺は想ってるからな。勿論、紀利華も、氷織もな。」
「で、でも……瑠希菜さんなら……!」
「娘を心配するのも……親の役割だよ、氷織。もし決着が着いてねえようなら俺が割って入ってやるよ。」
もしもの時は助けに入る、と宣言した諒太の目は、父親の目ではなく、格闘家の目をしていたのだった。
その頃ビーチでは。
両者の拳が顔面に正面衝突した。
湘南のビーチに鮮血が舞い散った。
しかも急所にクリーンヒット。
両者の意識が飛ぶ。
だが、二人は直前で意識を取り戻し、足を砂浜に力強く踏んだ。
瑠希菜は見上げ、灼は見下ろして睨む格好になるが、両者全く足が効いていない。
次の一手が出なかった。
「オイ……番長! もういいだろ……!! 死んじまうぞ!!」
「灼……!! もう止めとけよ!! 限界だろ!!」
二人の陣営からもう制止するような声が飛ぶ。
二人の手を引こうと寄ったが……
「「五月蝿い………!!!」」
二人の怒号とも取れる一喝が制止を遮る。
「「コイツは……私:俺 が倒さなきゃいけないんだ!!!」」
二人は限界になった身体に自らの檄で鞭を撃ち、拳を放とうとしたが、瑠希菜の首袖を後ろに引き、灼の間に割って入った人物がいた。
諒太だった。
「!? ……なんでここに……!?」
瑠希菜が驚くのも無理はない。
何故諒太がいるのかが理解不能だったからだ。
「まったく……世話の焼けるガキどもだぜ……」
諒太はため息を吐き、山本に瑠希菜を託す。
「オイ、オッサン……決闘の邪魔しようってのか……?」
灼は睨み、見下ろすが、手が出なかった。
何せ目の前にいるのは元3階級制覇の元ボクシング世界王者・堀岡諒太なのだから。
「ったく、意地張りやがってよ……決着の着かねえガキの喧嘩を止めるのが……大人の責務だぜ?」
相変わらず飄々とした顔で灼を煽る諒太。
これが灼の癪に触ったのか、小さな左フックを放つ。
だがこれを諒太は、右手で一瞬でパーリングをして跳ね飛ばした。
「父さん……!! 止めないでよ!! ソイツは私が……」
ジムのメンバーに取り押さえられていているものの、尚も灼に立ち向かおうとする瑠希菜。
だが、これも諒太は父としての言葉で制止した。
「黙ってみてろ。……お前が憧れてる……親父の姿をな。コイツなんざ一瞬だぜ? 目ん玉ひん剥いて見てろ。」
そう言って諒太はファイティングポーズを取った。
諒太がこうなれば止められないのを、長女である瑠希菜は誰よりも知っている。
父はバンテージを巻いているとはいえ、引退してから一年半近くになる。
動けるかどうか、それがまず疑問だった。
「チッ……いい歳こいたオッサンが舐めやがって……」
灼もファイティングポーズを取る。
両者臨戦態勢だった。
「フッ……かかって来いよ、クソガキ。格の違いってモンを教えてやるよ。」
瑠希菜は治療を受けながら、諒太の姿を現役時代との面影と重ねていたのだった。
睨み合う諒太と灼、氷織が瑠希菜の左目と鼻を止血している間、固唾を呑んで見守っていた。
「……会長の構えなんて初めて見たけど……貫禄しかねえよ……」
谷口が感嘆の声を挙げた。
「……でも……戦えるんですか? 会長、もう40歳半ばなのに……」
氷織は疑問符を浮かべていた。
諒太がボクシングで動いているところを目にしたことはない。
氷織は諒太の現役時代の映像を見ていないのもあるのだが、年齢的にも衰えが来るであろう時期に、15歳の巨漢の不良と相対するのだ、体格差や体力差がある。
だが、瑠希菜はこれを一蹴した。
「黙って見てなよ、みんな……私が……小さい頃から憧れ続けた姿だから……!!」
諒太が現役時代に戻った時を重ねていた瑠希菜、メンバーに黙って見ているように指示したのだった。
灼は右を出そうとしたが、諒太はプレッシャーと左の肩の揺らしだけでこれを制止させた。
側から見れば、何もしていないようにも見えるが、合気道経験者の紀利華の目には駆け引きのように見えた。
「凄い……纏う空気だけで『凶熊』を止めるなんて……」
「父さんは自分から仕掛けるタイプじゃない……カウンタージャブを狙うなんて造作じゃないよ。」
紀利華の嗚咽に、瑠希菜は淡々と解説する。
(クソが……なんだよ、このオッサン……!! 何を出しても殺られる気しかしねえ……!! なんだよ、怯えてんのか、この俺がよ……!!)
灼は意を決して両足ステップで一気に間合いを詰めて左フック、右正拳突きを放った。
だが、諒太は余裕を持ってL字ガードとバックステップでこれを避ける。
「やるねえ……持ってる物は一級品だな、デカブツ……」
「舐めてんのかオラァ!!」
諒太の飄々とした煽りにブチ切れる灼だったが、出す攻撃が悉く空を切った。
足払いや中段蹴りも、諒太の44歳とは思えない身体能力で躱していった。
舐めプをしているのか、と側から見れば思うかもしれない、少なくとも朱雀中の面々はそう思っていた。
だが、ボクシングを経験した黄竜中の7人の見る目は違っていた。
「違うな……ありゃあ、俺たちにディフェンスを教えてんだ……!! じゃなきゃあんなに避けやしねえ……!!」
その中でも二人の一騎打ちは続く。
灼の左のタイミングを数秒で掴んだ諒太が動いた。
左のショートフックに対し、巻き上げるように右クロスを合わせると、灼の顔面にワンツーを即座に叩き込んだ。
小さく、鋭く、伸びるジャブとストレートの共演、瑠希菜以外の6人は唖然とした表情を浮かべた。
「マジか……!! 瑠希菜より速い……!?」
「会長、あんな強かったのかよ……!! カッケエな、オイ……」
紀利華と戸田が感嘆する中、瑠希菜は「……遅いな……」と、ボソッと呟いた。
「オイ……会長のアレで遅いのかよ……」
「遅いよ……少なくとも10数年前はもっと速かった……父さんの試合を何回も何回も……動画で見てきたから覚えてる……」
瑠希菜のこの言葉に、全員が戦慄を覚えた。
諒太の若い時は化け物じみた強さだったのだ、と。
「だけど父さんの武器はこれじゃない……確かに速いワンツーも武器の一つ、でも真の武器は……左ボディー!!」
「ぼ……ボディーかよ!! あの速さで食らったらマジでアレだぜ……??」
山本は腹を押さえ、苦悶の顔を浮かべる。
あのスピードで食らえば悶絶だけでは済まない。
肋骨の骨折は覚悟しなければいけないほどの重症となり得る。
「うん……実際父さんの現役時代のKOの9割は……左ボディーで取ってる。実際肋骨骨折での病院送りが13人……父さんの拳によってのリング禍での死亡者数2人、唯一の引き分けも倒れる間際の左ボディージャブでダブルノックダウンを取って……父さんも失神した試合だけ……父さんに負けて引退に追い込まれたのは20人。それだけ凄いんだよ、現役時代の父さんは……」
「マジでバケモンじゃねえか……これに勝ったやつもバケモンじゃねえかよ……」
「……灼は相手が悪かったとしか思えないよ。それくらい差がある。」
(……悔しいけど、父さんの背中は……まだまだ遠い……灼と互角なのが……そんな自分が憎い……!)
瑠希菜は唇を噛み、灼と諒太の戦いを見ていたのだった。
灼は尚も諒太に攻撃を仕掛けていくが、諒太は遊んでいるのか、皮に触らせる程度で攻撃を悉く見切っていった。
「じゃー……そろそろ終いにするか。」
諒太は薄く笑い、灼を見上げて睨む。
「クソがぁぁぁぁぁぁ!!!!」
灼は右上段蹴りを放つが、諒太はダッキングで躱す。
続け様に右かかと落としを放つ灼だったが、諒太はサイドステップで躱す。
ムキになった灼は右打ち下ろしを放つが、致命的になったのが一つ。
右肋が空いたのだ。
しかも一撃失神を狙おうとしたため、大振りになった。
諒太は首をスリッピングアウェーをしながら、必殺の左ボディーフックを、灼の肝臓目掛けて放った。
ドスン!! という音と共に、灼の時間が一瞬止まった。
「ガハッ………!?!?」
灼は呼吸ができなくなった。
肝臓と肺に加わった衝撃が、肋骨越しに伝わったのだから。
堪らず膝を突き、灼はその場に蹲った。
苦悶の表情を浮かべ、砂浜を転がり廻る灼。
決着は決定的だった。
「凄え……あんな強かった『凶熊』を……一瞬で……!!」
江口が1番の興奮状態だった。
それくらい、差がありすぎるくらいに二人の間にはあった。
瑠希菜でも苦しんだ強敵をいともあっさりと、地に伏せてしまうのだから。
「……ま、こんなもんよ。骨折れてねえだけマシだ。」
「クソ……が……!! まさか俺が……!!」
「お前……いいモン持ってるな……名前は?」
「式見………灼……!!」
「……フッ……覚えとくぜ。お前はまだまだ強くなれる。人の道踏み外したくなかったら……俺のジムに来いよ。」
諒太は広告を灼の目の前に置き、踵を返した。
「さて……瑠希菜、お前には説教しとかねえとな……勝手に飛び出したことも含めて。」
……というわけで、諒太に率いられ、7人は車に乗ってジムへと帰っていったのだった。
翌日。
ロードワークから帰ってきた諒太達が見たのは。
サンドバッグを一心不乱に打ち込む灼の姿だった。
友寄の見張っているところで、サンドバッグを揺らすほどの拳を叩き込んでいた。
「なんでぇ、もう来たのかよ。」
「……オッサン、アンタをぶっ倒すために来たんだ。だから俺に……ボクシングを教えてくれ、頼む。」
灼の熱い目に、諒太は世界チャンピオンの可能性を見た。
「お前が目指すべきは……俺如きで収まるものか?」
「あ??」
「お前は世界チャンピオンになれるぜ。それも……日本人初のクルーザー級とヘビー級のチャンピオンに、な。」
諒太が太鼓判を押すほどの日本ボクシング界の至宝・式見灼が、湘南堀岡ジムへと加入したのだった。
ウェルター級20度防衛は伊達じゃない。
次回、灼の紹介と、瑠希菜と灼のスパー回です。
お楽しみに。
市内大会はもうすぐですんで、お楽しみに。