第1ラウンド 引きこもり少女、ボクシングと出会う。
諦めなければ人生いいことがある、を体現した話にしようと思っています。
投稿頻度は少ないですが、見ていただけると幸いです。
10月の朝7時、ある横浜のマンションにて、自分の部屋の窓から外の景色を見つめる一人の少女がいた。
その少女は端正な顔立ちなのだが、目がどこか虚ろだ。
その少女はスマホを片手にボクシングの動画を見ている。
彼女は「引きこもり」の中学2年生で、不登校になってからもう一年になる。
イジメがキッカケで学校に行けなくなり、バレーボール部に所属していたが辞めてしまった。
それ以来、ずっと、というわけではないが、ほぼ毎日部屋の中で過ごしている。
元スーパーライト、ウェルター、スーパーウェルター級で世界三階級制覇を成し遂げた「堀岡諒太」を父に持ち、彼女はその1番上の長女だ。
少年団でバレーボールをやっている、小学五年生の双子の弟・怜樹と闘樹、妹で小学3年生の利沙、母の久留美の家族構成だ。
家族も理解を示してくれたので、安心して引きこもりをしているのだが、本音は外へ出たいというのが強いというのも事実としてある。
彼女の名は「堀岡瑠希菜」。
のちに瑠希菜が、女子世界ボクシング4団体統一チャンピオンになるということを、この時はまだ誰も知らない。
午後6時、諒太が帰ってきた。
彼は今、現役時代を過ごした「大枦ジム」でトレーナーを務めている。
引退してからまだ一年ほどしか経っていないが、43歳には見えないほどの若々しい肉体を持っている。
弟や妹達も集まり食事を摂る。
怜樹や闘樹、利沙が学校のことを話すが、瑠希菜は全く喋らない。
元々寡黙な性格というのもあるが、そもそもイジメの影響で精神的に参っているので参加しづらいのも事実だ。
瑠希菜は黙々と食事を食べた。
そして、夕食後、諒太が瑠希菜に突然、こんなことを言ってきた。
「瑠希菜……ボクシング、やってみないか?」
「……なに? 父さん急に……」
諒太の誘いに訝しげな顔をした瑠希菜だが、諒太はこう続ける。
「お前さ、ボクシングの動画ばっかり見てるだろ? だからやりたいのかな、って思ってさ。やるってなったら俺が教えるから。」
確かに瑠希菜は部屋でもリビングでも、ボクシングの動画ばかりを見ている。
諒太が負けた試合も、勝った試合も、小さい頃から見てきた瑠希菜は今でもハイライト上で纏められている諒太の試合の動画をずっと見ていたりしている。
それも飽きることなく。
だが、瑠希菜はイジメで自信を失っていたので、いざ自分がやる、という感じにはなれなかった、それもまた実情としてあった。
ただ、溜まり切った分を吐き出したいという欲求もある。
悩んでいたのもまた事実だ。
悩んでいる瑠希菜を見た諒太はこう、説得した。
「……どうせならさ、お前をイジメてたやつ……全員殴り飛ばしてみてえだろ? それも含めて瑠希菜をさ、ボクシングやらせようかな、って思ったわけだ。どうだ? やってみるか?」
確かにそういう思いもあるし、諒太は父としてちゃんと娘のことを理解していたのはあった。
だが、ここ一年、全く身内以外と会話していないのに、いきなりそういうところへ行っていいのだろうかという不安は、人間関係的な意味でも瑠希菜には募っている。
「……まあ……ちょっとだけなら……いいかな……」
少し悩んだ後、瑠希菜はそう答えた。
それは少なからずの本音だった。
「分かった……。じゃ、明日の朝、俺の車に乗れよ。ジムに送ってやるから。」
「………うん………」
それだけ言って、瑠希菜は部屋へと戻っていった。
翌朝、諒太の車に乗せられて、瑠希菜は大枦ジムのあるビルに向かって出発した。
ジムに入ると、ジム生から挨拶が諒太に向かって飛んでくる。
どうやら尊敬の念を集めているようだ。
180センチの長身を誇る諒太。
軽量級のマッチメークが盛んな日本では小柄な選手が多い。
その中でこの身長はかなり大きく見える。
瑠希菜も171センチあるので周囲と比べれば割と長身の部類だ。
マスク姿でウィンドブレーカーを羽織っている瑠希菜はジム生に軽く会釈をして、諒太と共に会長室へと入っていった。
「会長、失礼します。」
そう言って、会長室に入っていった諒太と瑠希菜。
中には恰幅のいい男性が入っていた。
彼の名は大枦宏之。
元世界ミニマム級チャンピオンで、現在63歳。
世界チャンピオンを諒太含め、16人も輩出した名伯楽でもある。
現役時代は「150年に一人の天才」と言われた技術とボディーブローを武器に活躍した選手だ。
「おー、諒太、その子が昨日言ってた女の子かい。」
「ええ。俺の長女、瑠希菜です。」
瑠希菜は落ち着かず、キョロキョロしている。
無理もない、初めて来たのだから。
「……堀岡瑠希菜です……。」
ぎこちない表情で大枦にそう挨拶をした瑠希菜。
大枦は瑠希菜の目を見ている。
華奢な身体をジイッ、と見ている。
「……諒太、この子は世界チャンピオンになれるよ。」
え? 何を言ってるんだ、このオジサンは……瑠希菜はそう思ったが、大枦はそう言っていたのは事実だった。
そして、こう続ける。
「……現役時代の君に似たようなものを感じるよ、瑠希菜には。……君によく似ているよ、ウチに来た時の諒太のような。表情は大人しそうな子だけど……何処かに熱いエネルギーが眠っている。教えなくてもわかる。この子はまず間違いなく、世界チャンピオンになれる。」
ここまで褒められたのは久しぶりすぎた瑠希菜は戸惑った。
「あ……あの……私、引きこもりで……ここ一年……」
焦りなのか戸惑いなのか、自分の実情をカミングアウトした瑠希菜。
しかし、大枦は気にしている素振りは全くない。
「だからいいんじゃないか。訳あって、引きこもっていて、諒太も休ませているんだろ? 丁度いいじゃないか。学校なんてさ、行かなくてもいいんだ。ウチのジムにも元々不登校だったやつもいる。その分打ち込めるだろ? ボクシングに……」
「え、えっと……あの……」
あたふたして何を答えていいかわからない状態になった瑠希菜に、諒太はこう返した。
「娘は責任持って俺が教えますんで……なので今後ともよろしくお願いします。」
「いいよ諒太。そんな畏まるタイプじゃないだろ? ……じゃ、瑠希菜……早速ジムの方に行こうか。」
「……は、はい……」
不安を隠せなかった瑠希菜。
この後動きやすい格好に着替えて、諒太にバンテージの巻き方を教えてもらったり、グローブの嵌め方を教えてもらったりとしながら瑠希菜は手取り足取り、ジャブだったり、ストレートの打ち方だったりを教えてもらったのだった。
そして、サンドバッグを打つことになった。
「いいか? 瑠希菜。お前をイジメてた奴らの顔面をイメージしろ、まずは。」
瑠希菜は頷いて、打ち方を確認する。
瑠希菜は左利きなので、右足が前のフォームだ。
「で、つま先に重心を乗せて……腰の捻りで左ストレートを放て、いいか?」
「……分かった……。」
こんな感じだよな……と呟きながら、瑠希菜は入念に確認をする。
そして、スッと構える。
腰を思い切り回転させて、サンドバッグ目掛けて左ストレートを放った。
ヒュッ、バゴォォォォォォォン!!!!
ジム中に鳴り響いた、サンドバッグが揺れる轟音。
その衝撃は、諒太含め、全員が目を丸くしていたのだった。
これが瑠希菜の運命を変える瞬間、のちに世界で「セイクリッド・レフト」の異名で畏怖される女子ボクサー・「堀岡瑠希菜」の誕生の瞬間であった。
次回は実際にミット打ちを瑠希菜がやったりしますので、構成はその間に考えたいなと思います。
今後とも宜しくお願いします。