アイドルアンチだったあの頃の自分へ、アイドル曲を提供している今の自分が贈る言葉
今、自分は作曲家として主に男女アイドルに楽曲提供させていただいているのだが、「音楽で成功したい!」と思い始めた高校生の頃の自分に、「将来、アイドルに曲を書いているよ」と言ったらどうなるか。
激怒されると思う。
ショックで寝込ませてしまうかもしれない。
なぜかというと、当時の自分はビジュアル系バンドや海外のHR/HM(ハードロック/ヘビーメタル)にどっぷりハマっており、「アイドルの曲なんかがオリコンに入るから、音楽業界がダメになっていくんだ!」などという暴論を、本気で唱えていたからだ。
好きなバンド(今でも好きだが)は、「LUNA SEA」「PENICILLIN」「ROUAGE」「X JAPAN」「L'Arc-en-Ciel」「GLAY」など(ラルクとGLAYがビジュアル系かは疑問だが)、海外だと「HELLOWEEN」「MR.BIG」「STRATOVARIUS」「イングヴェイ・マルムスティーン(Rising Force)」「ANGRA」「IRON MAIDEN」などだろうか。
アイドル曲が歌番組で流れるとTVを消し、カラオケで流行りの曲を歌われると耳をふさぐような、どうしようもないアイドルアンチ、J-POPアンチだった。
ビジュアル系バンドやHR/HMこそ正義だと思い込み、GLAYがブレイクするまでを描いた「永遠の1/4」という本をバイブルとしていた。
それが今や、自分がアイドル曲を作る側になろうとはまさに「よもやよもや」だ。
だがふと思い返してみると、自分が何かを敵視したり拒絶する理由というのは、実は案外しょうもないものばかりだったのだ。
例えば、ロックギターにおいて「ストラトキャスター」と「レスポール」というギターがざっくり二大巨塔のような存在なのだが、自分は「レスポール」が嫌いだった。
なぜかというと。
「レスポールを使っていた知り合いのことが嫌いだったから」である。
実にしょうもない。
単なる個人的怨恨だったのだ。
しかし後々、たまたま立ち読みしたギター雑誌にレスポールの特集が載っていて、ギタリスト達のプレゼンを読んでいたらレスポールが欲しくなってしまって、人生で初めてローンを組んでまでレスポールを買うことになった。
よもやよもやというか、実にいい加減なものである。
それはアイドル曲にしてもそうだ。
そもそも自分がアイドル曲を嫌っていたのは、「単に流行りモノが嫌い」だったからだ。
自分は子供の頃から「他人と違うこと」に喜びを感じ、周囲の空気や世の中の流れに常に疑問を持つ性格だった。
なので「流行」というものが大嫌いであり、さらに言えば「流行に流されず独自の道を進むこと」に酔っていたとも言えるかもしれない。
つまり、ロクに聴きもしないのに「流行っている」「売れている」というだけで拒絶、否定するという、言うなれば「井の中の蛙の遠吠え」をしていたのだ。
それに今だから言うと、TVや店の有線などで流れるアイドル曲を、心の中では時々「あれ、いい曲だな」と思ったりしていた。
だが周囲に「俺はアイドルは認めない!」などと言ってしまっている手前、今更アイドル曲を大っぴらに評価なんて出来なかったのだ。
当時嫌っていたアイドル曲を分析してみると、口ずさみやすい譜割のメロや歌詞の韻の踏み方、楽曲を引き立てるアレンジなどなど、めちゃくちゃ計算されて作られている。
単にコード進行を売れ線にするとか、キャッチーなサビを作ればいいとか、アレンジを派手にすればいいとかそんな単純なものではないのだ。
今ではむしろ、そのレベルの曲を書けるのであれば何かにお願いしてでも書きたいくらいだ。
その後、実際にバンド活動を始めたがなかなか上手くいかず、自分はHR/HMではどうやら厳しいと悟ってきた矢先。
ふとしたきっかけで知り合ったボーカリストに頼まれ、R&Bの曲を書いてみた。
今まで全然無縁だったタイプの曲なので、参考曲を聴きながらコード進行などを分析して、なんとなくそれっぽい曲を作ったところ、これが大好評だった。
多分、ワンコーラス作るのに1時間もかからなかったと思うが、ボーカリストがたいそう気に入ってくれたのをよく覚えている。
それがきっかけで、「もしかして自分は、ステージに上がる側よりも曲を作る側の方が向いているのでは?」と考え始めたのだった。
さて、今書いたことは「なろう」で小説を書く皆様にも、もしかしたら思い当たるフシがあるのではないだろうか?
と言うのは、自分が嫌っていたり得意じゃないと思っていたジャンルの小説を書いてみたら、案外評価が良かったりしないだろうか?
自分の場合、「HR/HM好きが可愛いアイドル曲を書くから面白い」のだと思う。
また、「LUNA SEA」や「ROUAGE」などのビジュアル系バンドが持つ繊細さや透明感を、アイドル曲に盛り込んだりするから面白いのだと思う。
サウンドやメロをそのアーティストに寄せつつも、どこかに自分が好きな音楽のエッセンスをこっそり忍ばせ、それが「個性」となってクライアントやリスナーに評価されるかどうか、その勝負だと感じる。
それと、なろうにおいて「テンプレ」についての議論が時々繰り広げられているが、自分はテンプレは文字通り単なる「型」であって、結局は書く人自身がそれまでの人生で培った経験や趣味趣向が、小説という媒体を通してどんなものを生み出せるのか、そこが大事だと思うのだ。
(テンプレが批判されるのは、単なる「型」だけで内容が薄い作品が量産されていることへの批判だとは思っているのだが)
自分は創作活動を料理に例えるクセがあるのだが、例えば「フランス料理のプロフェッショナルがラーメンを作ったら美味しそうだな」というように、「素材をOOさんという人間に預けたらどんな料理ができるか、その化学反応を楽しむ」ことが、創作活動の醍醐味ではないだろうか。
音楽でも、小説でも。
作る側も、受け取る側も。
だからこそ。
「これは自分に向いていない」とか、「自分はOOの道で行くんだ!」とか、そういった思い込みで自分の可能性を狭めてしまうのはもったいないと思う。
何かに夢中になったりこだわることを否定したいのではない、自分もビジュアル系バンドやHR/HMにハマったからこそ自分の個性が紡がれたわけだし。
だが今回の話のような、「自分が認めるもの以外はダメ!」という考え方や、単なる好き嫌いだけで判断したり拒絶してしまうのは、もったいないなと思ったのだ。
そして、その考え方を徐々に変えられたからこそ今の自分がいる訳で、あのまま考えが凝り固まっていれば、道は開かれなかったかもしれない。
流行るものには流行る理由が確かにあるのだ、「流行りものに流される大衆が愚か」なのではない。
自分が否定していたものをやってみたら面白かった、使ってみたら便利だった、そんな経験が山ほどある。
なろうに投稿を始めて二ヵ月半、今後は皆様の作品を拝読する機会を増やして、可能であれば感想やレビューなども書いていければと思っている。
どんな「化学反応」に出会えるかが楽しみだ。
そして、アイドルアンチだったあの頃の自分へ。
高校生の時の自分は勉強も部活も上手くいかず、そんなくすぶった心を音楽に救われていた。
最後に、そんなあの頃の自分へ、言葉を贈りたいと思う。
ーーー君が君として大事にすべきものって、心の奥底にあるすごく小さなもので、
「こうでなきゃいけない!」ってことなんて、本当はとても少ない。
それに、君がどんな立派なことをするかとか、有名になるかとかよりも、
どこにいっても何をしても、君は君として精一杯生きる、
それだけで素晴らしいってことを、忘れないでほしいーーー