第8話:「じゃあさ、じゃあさ!」
「おはよう、勘太郎」
火曜日の朝。おれが起きて一階におりると、やっぱり芽衣が制服姿で鏡に向かっていた。
「今日も早いな……。明日はおれが先に起きるから、もうちょい寝てろよ」
「やだってば、起き抜けのあたしの頭ひどいんだから。勘太郎に見られちゃうじゃん」
「いやいいじゃん、それくらい。気にしてたら身が持たないだろ」
「いやですー」
サラサラの髪をくしくしと整えながら芽衣は唇をとがらせて抗議する。
なんかそこまで言われると、その『起き抜けの頭』っていうのを見てみたくなるよなあ……。だまし討ちで明日芽衣よりも早く起きてみるか。
「……勘太郎、なにか企んでない?」
「まさか」
ジトっとした目で見られたので、肩をすくめて誤魔化す。
「本当かなあ……? あ、ていうか」
「ん?」
芽衣がこちらに向き直る。
「今夜ね、おじさんとおばさん、二人とも飲み会だから帰り遅いんだって。夜ご飯どうしよっか?」
「ああ、そうなんだ。じゃあ、おれが作るよ」
うちは両親が共働きだから、昔から料理をすることは結構ある。姉ちゃんが家にいるうちは姉ちゃんが結構作ってくれたけど、姉ちゃんが家を出てからは、自分一人で自分のご飯を賄うことも多かったので、簡単なものだったら作れるのだ。
「こないだの日曜の朝食のお礼っていうかお返しっていうか、分からんけどそんな感じで」
すると、芽衣が瞳を輝かせ始めた。
「え、本当に? カレー作ってくれるの?」
「いや、カレーとは言ってないけど……?」
おれが否定しているにも関わらず、芽衣は前のめりになってこちらに顔を近づけてきた。
「あたし、諏訪家のカレー大っっ好きなの! 辛さもちょうどいいし、具材もごろごろはいってて美味しいよねえ……!」
両手でほっぺを挟みながら、顔をとろけさせる。
「いや、ハードルあげるなよ……。その諏訪家のカレーとやらをおれが再現できるかは分からないけど、カレーな。わかったわかった」
「やった!」
無邪気な微笑みにつられておれもなんとなく笑ってしまう。
「じゃあさ、じゃあさ!」
二回繰り返すのは芽衣の嬉しくなる時の癖だ。しっぽが生えてたらブンブン振っているんだろうな、とその様子が容易に目に浮かぶ。
「放課後、駅で待ち合わせして、買い物一緒にして帰ろうよ。あたしも一緒に作りたい」
「いや、芽衣も作るのかよ。お返しって言ってるのに意味ないじゃん」
「いやいや、そんなこと言ったって勘太郎が作ってる間、あたし何してればいいのって感じじゃん。落ち着かないよ。それに、ほら」
芽衣はニコッと笑ってのたまう。
「諏訪家のカレー、作れるようになりたいし!」
おれはその笑顔に一瞬心臓を掴まれながらも、
「……遠回しなプロポーズ?」
なんとか冗談を返す。
「んにゃ!? ち、違うから! 言葉のままの意味だから!」
「はいはい……」
呆れたように、いなすように言葉を発するが、にやけそうになってしまうのを必死に噛み殺していた。
「そ、そうだよ! じゃあ、あたし先に行くね? 行ってきます!」
バタバタと顔を真っ赤にして芽衣は出て行った。
「ほい、行ってらっしゃい……!」
今日は買い物かあ……。
おれも支度をして登校する。
教室に入ると、芽衣の席で、芽衣と赤崎がひそひそと何やら話しているらしかった。
「おはよう」
「おう、諏訪。昨日どうだった?」
「いや、まあ、普通……」
何を話しているんだろう? と気になって白山の質問に生返事をしていると、おれの姿を見つけるなり、赤崎がとことこと駆け寄ってくる。
その背後には、席に残ったまま顔を引きつらせている芽衣。
「ねえねえ、諏訪くん」
「なに? どうした?」
戸惑うおれの耳元に、赤崎が唇を寄せて、耳朶を震わせる。
「ちょっとお願いごとがあるんだけど、今日放課後時間ある?」