第54話:「へ? どうしてありがとうですか?」
日曜の朝。
一階に降りていくと、芽衣が朝ごはんを食べていた。窓の外から漏れ入ってくる朝日を受けてそのショートボブの髪が輝いている。
「……おはよ」
「おはよう……!」
やや無愛想な挨拶を受けて、おれもドギマギして返事をする。
芽衣のその態度が、昨夜のラインのせいだということは分かっていた。
昨日、寝る直前に、隣の部屋にいるはずの芽衣から、
芽衣『明日、もしよければ勘太郎の服を選びに出かけませんか』
と届いたので、おれもなんだか敬語で、
諏訪勘太郎『ぜひよろしくお願いします』
と返したのだった。
芽衣『じゃ、明日』
諏訪勘太郎『うん、ありがとう』
すぐに既読がついて、部屋の向こうからバタバタと布団を叩くような音がしたが、そのあとはもう返事はなく、そして今朝を迎えたというわけだ。
「昨日、寝られたか?」
「うーん……大丈夫、ありがと」
「その返事は、寝られてないな……?」
目元をみられたくないのかふいとそらされた顔を追いかけて聞いてみる。
「そんなことないよ、ホットアイマスクして、あー蒸気が止まったなーって思って色々考えてたらいつの間にか寝てたし」
「少なくとも20分は起きてたんだな……」
蒸気が止まるまでに20分かかるとパッケージに書いてあった。
「いいでしょそれくらい。大丈夫だよ、ちょうど前日寝てなくてよかった。本当に寝れなくなるところだったもん」
「なんで?」
「……なんでも。いいからご飯食べなよ。パン買ってきてないから今日はお米炊かせてもらったんだ」
「おお、ありがとう……!」
おれは頭をかきながらキッチンに行って冷蔵庫を開ける。
「お、納豆あるじゃん。芽衣、納豆食べる?」
芽衣は小さい頃から納豆が好きだ。
「納豆は今日は食べない! 目玉焼き食べてるから大丈夫ー」
おれはダイニングから聞こえたその言葉を受けて、取り出しかけていた納豆を冷蔵庫に戻し、生卵を一つお椀に入れ、ご飯をついでダイニングに戻る。
「なんで? 好きじゃなかったっけ? そういえば昨日も納豆巻き食べてなかったよな」
「好きだけど……なんでもいいでしょ……!」
「お、おう……」
それ以上聞くなと言う意味だろうか、『がるがる……!』とでも言いそうな感じでこちらを威嚇するように睨んでくるので、おれも追及するのをやめた。
「はい、お醤油」
「おお、ありがとう」
芽衣が手渡してくれた醤油を使っておれは卵かけご飯を食べはじめる。調理しなくてこんなにうまいとか神だろ。ていうか。
「芽衣、よくおれが卵かけご飯食べるって分かったな」
「そりゃあ、生卵とご飯しか持ってこなかったら分かるでしょ」
「そんなもんか。でもありがとう」
「な、なにが……!」
芽衣はうつむいてご飯を口に運ぶ。
すると、階段を降りてくる足音がした。
「おはよう、芽衣ちゃん、勘太郎」
「おはようございます! ご飯炊いてあるので、もしよければ」
「わーありがとう! 芽衣ちゃんを娘に欲しいわあ……」
あくびをしながら母親はキッチンに向かう。
「む、娘ですか……! おかあさんがよろしければ……」
「あ、納豆あるー!」
芽衣のもじもじと発したその言葉はおかあさんには届いていないみたいだった。
「それで二人は今日はどんな予定? どっか出かけるの?」
納豆パックとご飯を持って戻ってきた母親が食卓について聞いてくる。
「あ、はい。ちょっとhitonaまで」
そうなんだ。おれは自分の今日の行き先を初めて知る。
hitonaは一夏町駅にあるショッピングモールだ。元々は駅に近いアウトレットモールとしてオープンしていたらしいのだが、経営が傾いてしまい廃業。その後、施設ごと居抜きのような形で某大型スーパーマーケット系列の企業が買取り、hitonaと名前を変えて、普通のショッピングモールとして再オープンしたのだ。
「hitonaかー。芽衣ちゃんのお洋服のお買い物?」
「えっと、その……」
芽衣は照れくさそうに頬をかいてから、
「勘太郎の服を……。ね、勘太郎?」
となぜかこちらに同意を求めてくる。
「あ、うん……!」
なんか頬を赤らめておれに問いかけてくる表情が可愛くてどきっとしてしまった。
「まあ! 二人で出掛けるの! しかも、勘太郎を服選びに連れ出してくれるの! ありがとうねえ……!」
「へ? どうしてありがとうですか?」
「いやこの子、私がどんなに服を買いに行こうって誘っても、どうせ休日しか着ないしユニクロでいいって言って聞かないから……」
「事実じゃん」
おれは思春期の息子みたいな扱いされたので(事実だけど)、なんとなく恥ずかしくなり言い返す。
「でも芽衣ちゃんが説得したら行くんじゃない。芽衣ちゃん、なんて誘ったの?」
「いえ、昨日ユニクロの服ばかりだったので、一緒に選ぼうかって言っただけで、説得ってほどのことは別に……!」
「ふーん、この間のコンビニもそうだけど、私の頼みは断るくせに芽衣ちゃんの頼みとか誘いは断らないんだよねー」
「親の誘いと友達の誘いは違うだろ……!」
いい加減恥ずかしくなってきた。芽衣に対しても、母親に対しても弱点ばかりさらしてる気がする。
「そう? でも白山くんとかにも誘われるけど一緒に行かないって言ってたじゃない」
「え、そなの?」
「うるさい……! 服とかに興味持っていいのはああいうイケメンだけなんだって……!」
ああ、もう、卵かけご飯から味がしない……!
「まあこれからはおつかいとかも芽衣ちゃん経由で頼んでもらおーっと。ねー、芽衣ちゃん!」
「はい、まかせてください!」
芽衣が嬉しそうに胸を叩く。
「そうだ。お茶入れよーっと」
「あ、あたしが入れます!」
「いいのいいの芽衣ちゃんはご飯炊いてくれたんだから!」
「すみません……!」
母親が鼻歌を歌いながらキッチンに行く。
「ねえ勘太郎、今の話ほんと?」
「……なにが」
「白山くんに誘われても行かなかった話」
「……だったらなんだよ」
おれが顔をしかめると、
「別に?」
芽衣はニコニコと微笑みながら残りのご飯を食べはじめる。
「今日の朝食は美味しいね、勘太郎!」
「おれは味がしねえよ……!」




