過去の追体験
朝起きると、森本も優希も普通に起きていた。
随分早起きだなと感心して、俺は自分のケータイのスイッチを入れて時間を確認する。
午前8時15分。
昨日何時に寝たのかも分からないが、少なくとも俺よりコンディションが良くなかったはずの森本は、朝からいつも通りといった感じの森本だった。
歯ブラシをくわえながら森本はケータイをいじっている。
「誠起きたし、風呂入りに行かねー?」
「いいなそれ。行くだろ?」
優希が俺に聞いてきた。
優希は昨日と比べるとなんだか吹っ切れた感じに見えて、まだ生きてた頃の優希を少し感じた。
「いく〜」
俺は気怠く答えて、のそりと体を起こす。
頭を浮かせた瞬間、昨日のケガがひどく痛んだ。
「っっ!」
「大丈夫か?」
優希が俺の近くに寄ってきて心配する。
俺は大丈夫と手で応えて、ゆっくり体を起こしていく。
立ち上がってみると、まだ少しフラフラとする。
俺は優希の肩を借りながら、一階の風呂場まで歩いていった。
旅館の風呂場はまるで温泉みたいな雰囲気で、外の景色が一望できる露天風呂までついている。
緑の大きな集合体で形成される山の中に、ぽつりぽつりと桜の花が咲いている。
まだ眩しい朝日が山を照らし、至るところで鳥がさえずる音が聞こえる。
石で掘られた虎だか獅子だかの鼻先に止まる雀を俺はぼーっと眺める。
「どこ見てんの?」
森本が俺のうつろな目を見て言ってきた。
「雀って、気楽そ〜だなぁとか思ってよ」
自分でも分かるくらいのんきに答える。
「そ〜言やさー」
唐突に森本が話し始めた。
「お前、のりちゃんとはどーなん?」
「のりちゃん?」
優希も頭にタオルを乗せながら「そ〜いや俺も気になってんだよなぁ」と閉じた目で言った。
「別に何も〜」
「今はそ〜だろうけど、お前のいた4年後の世界では?」
「こっちも何もねぇ〜。」
「あら?2年後のこっちも何もねぇけど、進展なしか?」
「進展ってなんだよ?別にそんな気ねーし」
石の彫り物の鼻先に止まる雀から、俺は視線を山に移す。
「わっかりやすぅ〜〜」
森本が俺を指差して笑う。
俺は今度は天井に目を移して「何もねーったらねーよ」と凄んでみせる。
森本と優希が二人でニヤニヤとしているのが目の端で見えた。
「こっちの世界じゃ、知らねー誰かと結婚した。それっきり俺はな〜んも知らねー」
「えっ、結婚?」
「そ〜だよ、もともと蓮川の葬式の日から疎遠になったっつーか、会うこともなくなって、そのままあいつは知らねー誰かと一緒んなった。お前らともほとんど会わなくなっちゃったしな」
「まぁたしかに、あの葬式の日から、俺らもほとんど会わずだったもんな…」
優希が頭のタオルを湯船につける。
「誠も健太も、あの日から本当に会わなくなっちゃったもんなぁ」
お湯に向かって語りかけるように、優希はちょっと小さめの声でそう言った。
「これって、そーゆーのも、含めてこーなってんのかな?」
俺が優希に聞く。
「どゆこと?」
「蓮川のことはもちろんそ〜なんだけど、あれから疎遠になったわけだろ俺ら?そこんところも、このわけわかんねータイムトラベルで解決しろ、ってことなんじゃねーの?」
俺はなんだか優希の言葉が、変に重くのしかかった。
「俺らもそ〜だけど、やっぱ過去においてきたものってみんなそれぞれあるわけだろ?悔いを回収するならもうここしかねんじゃねーのか?」
優希の言葉が俺の耳に深く響く。
「なんでこんな時空飛ばしてまで俺ら3人が集まらなきゃならなかったか、俺らにゃそれぞれ、高校卒業して1年経ったこの時代に、何らかの忘れ物をしてきたからなんじゃねーのかな?」
「もし仮に」
俺が言葉を挟んだ。
ここまで言って、何故か言葉が詰まった。
言っていいのか考えたけど、隠すような言葉でもないだろうと思って、俺は優希に向かって言った。
「もし仮に、忘れ物の回収がここに飛んできた理由だとしても、こっちの世界じゃもう蓮川もお前も死んでんだぞ?それを回収できたからって、元の世界で何が変わんだよ?」
優希の表情が曇る。
「何も変えられなかったら、俺らのやってるこれぁ何なんだよ?なんの意味もねーじゃねーか」
「けどよ」
すぐに反論の言葉が返ってきた。
「普通なら、こんな体験絶対できねんだぜ?忘れ物とか、後悔とか、そんな言葉じゃ済ませらんねーことが、今ならまだ取り返せるかもしれねーんだぜ?」
「だから何なんだよ?」
「だから!」
ただでさえ響く風呂場に、優希の言葉が特別大きく反響した。
「それをずっと引きずって生きててもしょーがねーだろってことなんじゃねーのか?」
真っ直ぐに俺を見る優希の目は、高校のときから知ってる優希の目だった。
「自分の生きてる世界で何かが変わればいいななんて、そーゆー事じゃねぇだろ?あの時は分からなかったことを、こうやって知る機会を誰かが俺らに与えたんだろ?誠も健太も、心に引っかかった何かを抱えてずっと生きてたんじゃねーのか?」
「そりゃ同感だな」
森本が言った。
「これはさ、自分の失った何かを探す旅なんだよ。都合のいいように過去を捻じ曲げる旅じゃねー。自分に折り合いをつけるための旅なんだって」
「だったら蓮川なんか放っときゃいいだろ?」
優希がピクリと動いて俺を睨む。
「んだと?」
「だってそ〜だろ?俺らのどの世界でも、蓮川が死ぬことは決まってんのに、それをわざわざ生かして『自分に折り合いつける』だぁ?折り合いつかねーからこーゆーことんなって今なんじゃねーのか?」
勢いでまくし立ててしまったが、優希はそれでも反論してきた。
「俺は別に自分の世界でそうなったらいいなとか思ってるわけじゃねー。ただ、俺はずっと『もしあの時こうしてれば』ってのを引きずって生きてただけだ。それを実現させられるチャンスが来た。ただそれだけだ」
俺はしばし黙る。
「誠はいつもそーだよな。結果がどうなるかでしか物事見ねー。だから昔からどっか冷めてるし、必死にも熱くもならねーもんな」
「お前な」
「そーゆーところ直せってことじゃねーのか?今お前がここにいる理由はよ?」
なんだかイラッと来て、思わず手に持ったタオルを優希に投げつけた。
「こっちの世界じゃ死んだ人間が一丁前に講釈か?ナメてんじゃねーぞテメー?」
「死人にピーピー言われてイラついてんじゃねーぞコラ?」
慌てて森本が割って入ってくる。
「落ち着けって」
俺と優希の間に入って、諭すように森本は言う。
「こーゆーくだらねー喧嘩があとで後悔したりする原因だろー?やり直すチャンスだってのに、逆に悪化させてどーすんだ?」
俺と優希が森本の言葉に思わずあっ。と漏らしてしまった。
「喧嘩したってしょーがねーだろって。今はそれどころじゃねぇんだから」
「そうだな、わりぃ」
森本に諭されて、優希は謝ってきた。
「だからさ」
森本はそのまま俺に話を振ってきて、ニヤッと笑った。
「ちょっとのりちゃんと行ってこいよ?蓮川は俺らで見とくからさ」
「だからそれ関係ねーだろ」
俺は優希に投げつけたタオルを手を飛ばして取る。
「お前この期に及んでまだカッコつけてんのか?」
呆れた優希の顔が見えた。
「別に告白してこいとかそんなこと言ってんじゃねーだろ。好きじゃねぇならそれはそれでいいけど、高岡に言ってねぇことだってあんだろ?お前元の世界戻って、疎遠になってしばらくの高岡とマトモに会話できんのか?せっかくのチャンスなのに使わねーでどーすんだよ?」
のりちゃんの苗字を久しぶりに聞いて、なんか変な気持ちになった。
俺の世界じゃもう高岡じゃなくなって久しいから、久しぶりに聞くのりちゃんの旧姓がやけに新鮮に聞こえた。
優希は顔をゴシゴシしながら、俺の方をチラッと見て言う。
「蓮川の命に比べりゃとか思ってんのか?」
「逆にそれ以外ねーだろ」
「言ってっだろ、悔いを回収する旅なんだって」
「けどそれとは…」
「悔いの大小は関係ねーだろ。やり残したことは全部やっとくんだよ」
優希がそう言って、俺は頭をコリコリかいた。
風呂を上がって部屋に戻って、俺は窓際でタバコをふかす。
手にケータイを握って、のりちゃんに連絡を入れるのをいつまでも戸惑っていた。
自分の中ではとっくに片付いてた問題で、この状況に置かれなかったら、多分俺は思い起こすこともなく、残りの人生を生きていってたんだと思う。
時計が午前10時を指す頃、ずっと握ってたケータイがいきなり震えた。
ディスプレイにはのりちゃんの名前が浮かんでいる。
俺は変にドキドキして、しばらく画面を見つめるだけだったが、意を決して画面に指をスライドさせた。
「もしもし?」
『なにしてんだ〜?』
いつも通りののりちゃんの声。
「いや、別に何も」
『どこいんの?』
「部屋」
『なんだよ、暇だから降りてきなよ』
俺は何でかわからないけどちょっと言いにくそうに「あのさ」と切り出す。
できるだけいつも通りのトーンを意識して。
「ちょっと外行かねーか?」
階段を降りてすぐのところに、のりちゃんが昨日と同じ服を着て立っていた。
「おせー」
「わるいわるい」
階段を降りきって、のりちゃんと一緒に旅館の外に出る。
行き先は特に決めてはいないが、特に理由もなく車に乗り込んだ。
蓮川が心配ではあるが、優希と森本がついてるからとりあえずは安心していいと思う。
エンジンをかけて、のりちゃんを乗せて車は発進する。
しばらく車を走らせる。
山の中にある旅館街を抜けて、さらに上を目指して走っていく。
ポツンと建つコンビニで昨日と同じようにジュースを買って、車に戻ると、のりちゃんは一足先に車に戻っていた。
再び車を動かして、山の上を目指していく。
しばらく走ると、大きな日時計が鎮座する広場を見つけて、俺はそこに車を止めた。
昨日と同じようにギラギラと降り注ぐ太陽に照らされて、日時計は角のような形の影を作る。
時々吹く冷たい風が、広場に植えられた紫色の花をひらひらと揺らす。
のりちゃんは日時計が作る影を見ながら「見方知ってる?」と笑顔で聞いてきた。
「知ってるわけねーじゃん」
「そらそーだよなー」
地面から生える日時計の影を作る大きな刃みたいな針に、のりちゃんが座ってもたれこむ。
それはその様子をタバコを吸いながらぼーっと眺めていた。
「あんたから誘ってくるなんか珍しいじゃん」
ジュースをゴブゴブ飲みながら言ってきた。
「昨日、泥だらけの美織を運んできたときはびっくりしたよマジで」
「あぁ」
「あんた頭から血ぃ流してるしさ」
「色々あって」
「森本なんか飲みすぎて吐いてたし」
「まぁ…」
のりちゃんは俺の方を真っ直ぐに見た。
俺は気付いてないふりをして、目を合わせずにタバコを吸い続ける。
「昔から、大事なことは誤魔化すのは何でだ?」
なんか心の変なところに矢が刺さったような感覚に陥った。
「言えよ。昨日、森本と稲岡と、いきなり飛び出してって、帰ってきてあれじゃん。わかんねーよ、あたしには何があったのか」
いつになく、のりちゃんがすごく真剣に問い詰めてくる。
まだお昼にもなっていないのに、今日はよく問い詰められる一日だ。
「俺はさ」
なんとなく口をついて出た言葉。
「のりちゃんが知ってる俺は、昔からそんなに冷めて見えんのか?」
のりちゃんはしばし考え込んだあと、「冷めてるっつーか、確かに熱くはないなぁとは思う」と答えた。
「達観してるって言うのかなぁ?大事なことは言わねぇし、一人で解決しようとするし、なんか聞いてもはぐらかしたりするし。仲間意識は強いくせに、自分はその仲間をうまく使えないし」
なんかグサッとくる感覚が何度も襲ってくる。
「高校の時はさ、そんなんでも『今なんか悩んでんなぁ〜』とかもうちょっと見てわかる感じだったんだけど、一年会わなくて大人っぽくなって、なんかそーゆーのもあたしから見てもわかんなくなったっていうか」
確かにある意味正解だ。
「見ても何も分かんねぇから聞いてるんだよ。昨日何があったんだって」
のりちゃんはそう言って、ポケットからタバコを取り出して火をつけた。
俺は頭の中で言葉を整理しながら、嘘は言わないように、
「無差別殺人だよ。昨日ラジオでやってたろ。蓮川が狙われた。お前が電話してるのを聞いて、とっさに森本と優希も動いた。あいつと一緒に行動してた女子がバスに乗り遅れたかなんか言ってたから、しらみ潰しにバス停探し回って助けた」
そう答えると、のりちゃんは俺の顔をじっと見て「続けて」と言った。
「無差別殺人犯がこんなとこにまで出現するとは思わなかったよ。昨日のラジオを聞いてなかったら、ピンとこなかったかも」
俺はのりちゃんの目を見てそう言った。
「で。その殺人犯は?」
タバコをピンピンさせて、俺に聞いてきた。
「森本が抑えてたんだけどな。腹に強烈なの食らって、そのスキに逃げられたっぽい」
「ぽい?」
「見てねんだよなぁ。頭ぶつけて気ぃ失って」
「頭ぶつけて気ぃ失ったって今初めて聞いた」
「道路に思いっきりぶつけて」
「道路?」
「ちょーどトラックが俺と蓮川に突っ込んできてさ。マジなんだぜ?蓮川抱えてトラックかわすためにダイビングしてさぁ」
「で、着地を見事失敗?」
「まぁそんな感じ」
「ふ〜〜ん」
のりちゃんが俺から目を逸らした。
俺は何故か言い訳しないといけないような気になって、「マジだってば」と言った。
「信じらんねーかもしんねーけどマジでこれが真実。嘘は何もついてねー」
確かに嘘は何もついてない。
「もういいよ。あんたがなんか嘘言ってんのは分かってるから」
「だからマジだって言ってんだろ!」
思わず怒鳴った。
のりちゃんはこっちを見ることなく、何も言わなくなった。
俺もなんだかこれ以上言い訳しても変だと思って、のりちゃんから目をそらした。
しばらく無言の状態が続いて、少し風が強く吹いた。
のりちゃんの茶色い髪が風でボサボサになった。
うっとうしそうに髪の毛をかき上げるのりちゃんを見て、俺はのりちゃんに近づいていく。
ボサボサになった髪を指先でぐしぐしと直してやって、俺は言った。
「悪いな」
のりちゃんはポカンとした表情だった。
「心配かけてんなぁって思って」
俺の顔を見ずに、地面を見つめたような感じでのりちゃんは「別にしてねーけど」と言ってみせた。
「ただ、あんまでけーケガしてっと、なんで?とはなる」
「でけーケガって…高校のときはたまにあったけど」
「今でもおんなじだよ。ケガした理由だって前から言わねーし」
俺はやれやれと思って、さすがに「ごめん」と謝った。
「これからは隠し事とかしねーようにするよ」
俺の言葉を聞いて、のりちゃんがばっと顔を上げた。
その様子に驚いて、俺は「えっ?」と思わずこぼした。
どことなくウルッとした目で、のりちゃんは俺の目を見て小指を突き出してくる。
「約束」
俺も小指を出して、のりちゃんの小指と絡ませる。
「約束だ」