疑惑の証明
虫の鳴き声が聞こえる暗い駐車場に、俺たちは気が付いたら戻ってきていた。
ここまでどうやって帰ってきたのか、運転していた俺は覚えていない。
気がついたら俺はシートにうずくまるようにしていて、助手席と後ろの鉄板部分でそれぞれ森本と蓮川が眠りに落ちていた。
俺はケータイを取り出す。
時刻は日が変わって間もないくらいだった。
体がひどく重たくて、俺は車の外になだれるように出る。
頭が痛む。
右手で痛みの元を触ってみると、まだ血は止まっていなかった。
擦り傷だらけの体を押すようにして助手席側に回り込む。
助手席のドアを開け、俺は森本の体を車の外へ抱え込んで引きずり出す。
「ふあぇ?」
変な声を出して森本の意識が回復する。
しこたま飲んだ酒の匂いがひどい森本は、起きてもしばらくうなだれるように俺の車にもたれてうつむいていた。
蓮川はまだ後部の鉄板の上で気を失うように寝ている。
俺は森本を叩いて起こす。
「起きろって」
「あぁ……」
意識朦朧な森本だが、受け答えはハッキリしている。
「とりあえず、優希に連絡しよう」
俺は自分のケータイで優希の番号を呼び出して電話をかける。
「無理だよ、繋がるわけねぇ」
森本はそう言って、自分のケータイを取り出した。
「お前には繋がるけど、優希の番号は使われてねぇ。」
「確かにそうかもしれねぇ。けど『こっちの世界』じゃ分かんねぇだろ?」
「『こっちの世界』だから繋がらねぇんだよ。」
俺はそういう森本を置いておいて、優希の番号に電話をかける。
プルルルルル
優希のケータイに着信が届いている音がする。
俺は森本の頭をはたく。
「使われてんじゃねぇか」
森本は叩かれた頭を抑えながら、不思議そうな顔を俺と自分のケータイに交互に見せている。
ガチャ、と音が聞こえて優希が電話口に出た。
『見つかったか!?』
大きな声が俺の耳に突き刺さる。
「連絡遅れてわりぃ。見つけたよ。気がついたら旅館に帰ってきてた」
優希がなんだそりゃと言いながらも、安堵の表情が見えるくらい安心した声だった。
『すぐ戻るから待ってろ』
優希は電話を切った。
森本は何度も不思議そうな顔をしながら何かを考え込んでいるが、「うむ、わからん」とさじを投げてしまった。
俺は蓮川を起こしながら、森本に言う。
「けどこれではっきりしたわけだ。あとの話は優希が戻ってきてからだ」
しばらくして優希が戻ってきた。
蓮川の無事を確認した優希は、気が抜けた顔をして何度も蓮川の名前を読んでいた。
蓮川を松永先生に引き渡して、事情を説明したあと、俺たちは自分の部屋に戻る。
ようやく休息の時間がやってきて、俺たちは自分たちの部屋で座り込んでいた。
3人とも気が抜けたように座り込んでいて、その後の話が始まりそうにはない。
でも、俺は分かっている。
気が抜けたように見せていて、俺たちはこの話を始めるのが怖いだけだ。
多分森本も、優希もそれは分かっているはずだ。
うつむいで誰も一言も発しない沈黙の中を、俺はそれを破るように声をひねり出す。
「言いてぇことも聞きてぇことも山ほどある。だからここにこーやって固まってんだよな?」
森本はだいぶ酔いが覚めてきたのか、腕を組みながらふん、と鼻で笑う。
俺は下の受付で借りてきたポールペンとメモ用紙を二人の目と耳に訴えかけるように、3人の輪の中心へ放り投げる。
「この期に及んでダンマリ決め込んだってしょーがねぇだろ?もう互いが互いに、俺らは何者なんかくらい察しァついてんだろが?」
優希がうつむいたまま、低い声でそうだなと言った。
俺はメモとボールペンを手にとって、優希と森本を交互に見た。
森本はやれやれといった様子で手元においてあった缶ビールを開ける。
優希が森本から缶ビールを奪うが、すぐに森本が奪い返す。
「飲んでる場合か?」
「これが飲まずにやってられっか。ありえねぇだろ?」
森本がイライラした口調で話す。
観念したのか、口が滑ったのか、森本はそのままの勢いでまくし立てる。
「こんなもんが現実だってんならどーかしてるぜ。酔いも覚めてあたりめーだ。」
「俺ら3人とも、過去に飛ばされてるなんて誰が信じられんだ?」
森本が勢いよくビールを流し込んだ。
優希は両手で頭を抱えてうなだれる。
俺は心臓が壊れるんじゃないかって程の動悸に襲われた。
森本のその言葉のあと、俺と優希はしばらく黙ったままだった。
森本は、話さない俺達二人を見かねて、さらに自分で話を続ける。
「マジでビビったよ…説明つかねぇことが多すぎて、目に見える世界はずっとあの時のまんまだ…」
俺は何も言わずにペンをクルクル回す。
「ありえねぇだろ…俺らの世界にいないはずのものがいて、いるはずのものがいねぇんだからな…」
絞り出すような森本の声が部屋の中で不気味に響く。
「だってそうだろ…?誠も、優希も」
優希はまだ頭を抱えてうなだれてる。
「生きてる蓮川の姿なんて見れるわけねぇんだもんな!」
頭を抱えていた優希が変な声を出しながら畳に頭ごと突っ伏した。
俺は目の前がぐるぐる回る感覚に襲われながら、必死に耐える。
「関東無差別殺人で殺された蓮川が、俺らの目の前で何変わりなく動いてんだ…最初は自分だけがおかしいんだと思ってたよ。自分だけが、高校卒業から一年後のこの世界に飛ばされたんだって。」
話を続ける。
「自分の姿形はそのまんまで過去に飛ばされて、飛ばされた過去じゃそれまでの自分が作り上げてきた関係がそのまま続いて、老けたまま飛ばされた過去の世界じゃ俺のことを見ても分からないやつが大半だった」
ビールを押し込むように喉に流し込む。
「けど、学校でお前らを見たときに俺は確信したよ。誠も優希も、『時空を飛び越えてきたわけわかんねーやつ』だってな」
俺はメモをサラサラと書く。
目の前がフラフラするのを我慢しながら筆を走らせる。
「俺の知ってる優希も誠も、今のお前らのとは見た目も性格も違うんだ。死んだ蓮川が、生きてるはずねぇ人間が普通に生活してる…」
「気持ち悪いくらい共通点が多いなぁ?」
俺が一度森本の話を止める。
「けど俺が知りてぇのはそこじゃねぇ」
ポールペンをクルクル回して、俺は優希の方へ向く。
重い口を開く。
ここまで来たからには、俺にも確信があった。
「お前ら、どこから来たんだよ?」
森本が目を丸くする。
畳に突っ伏していた森本がガバッと顔を上げる。
「どういう…」
「だから、何年後の世界から来たのかを聞いてんだよ」
自分自身で言いながら、目の前がクラクラしてきた。
優希は俺の顔を見ながら「2年後じゃねぇのか?」と聞いてきた。
「はぁ!?こっちの世界から1年後だよ!」
森本が優希に怒鳴りつける。
やっぱりな、と俺は小声でつぶやいた。
二人が俺の顔をまじまじと見てくる。
俺は大きく息を吸い込んで、二人に言い放つ。
「俺は4年後、卒業から5年経った世界から来てるんだ。」
二人が口をパクパクさせる。
全員が違う年からここに来ているとは予想していなかったようで、けれど俺には、そこの説明ができるだけの材料があった。
「だっておかしいんだ…もしも俺と同じ、この世界から4年後の世界からお前らが転送されてきたんだとしたら、」
優希と目を合わせる。
言ってしまっていいのか、悩んだがもうここは隠し通す場所ではなかった。
「死んだお前がここにいるはずはねぇんだからな」
優希の目が飛び出そうなほど見開かれる。
「お前はここから4年後の世界では、もう死んじまってる。お前が今ここにいることを説明するには、お前が生きてた年からお前をここに転送するしか方法はねぇ」
俺の言葉を聞いた優希は、力が抜けた人形みたいな座り方で俺の方を見ている。
「優希が生きてる年から優希を転送することができるってことは、少なくとも俺と優希がもともといた世界とは年が違うことになる。てことは、森本だって違う年の世界から飛ばされたと考えたって不思議はねぇ」
「ちょっと待てよ!」
森本が大声をあげた。
「だったらお前、なんで優希に電話かけても繋がらねぇんだよ?俺は繋がるのにお前は繋がらねぇ、それの説明ができんのか?」
俺が森本に言うと、森本は言葉を詰まらせてたじろいだ。
優希は合点がいった様子で、俺の顔を見ながら言う。
「俺が番号変えたからだろ」
「そゆこと」
優希がまるで訳のわかっていない森本の方を向いて、「わかるかなぁ…」と頭を抱えながらも、説明を始める。
「お前が持ってる俺の番号は、俺が番号変える前の番号だ。けど俺は、番号を変えた時点でお前にも誠にも新しい番号で連絡はしてる。俺の過去の番号しか知らねー、俺がケータイの番号を変えたことすら知らねーお前は、少なくとも俺が番号を変える前の世界から来た人間だってことだよ」
森本が頭の上にはてなマークを山ほどつけながら、ひとつひとつ状況を理解しようとしている。
「お前がタイヤパンクさせたときに言ってた『この世界では番号が変わってて繋がらねーやつ』、お前にとってはそれが優希だったってわけだ。」
「マジかよ…」
森本が本当にわかってるのか怪しい言い方をする。
「逆に俺は、森本が持ってる優希の電話番号は持ってねー。いらねーと思って破棄しちまった」
ポールペンをカリカリさせながら俺は言う。
「共通してんのは、3人のそれぞれの世界でも、蓮川が死んでることだ。」
俺はさらに続ける。
「蓮川は関東無差別殺人の犠牲者になって殺された。これは絶対共通してる事実のはずだ」
優希も森本も頷く。
「そしてその事件を、誰よりも念入りに調べ尽くしてたのは優希だったよな」
ここも3人共通。
「優希は蓮川が殺された場所をこれ以上ないほど調べ上げてた。だから俺と森本にすぐに『キビウラのバス停』って指示が出せたんだ」
ここは森本は知らなかった事実らしい。
「でも、蓮川が死体で見つかったのは、あそこからかなり離れた場所のはずじゃ…」
「何ヶ月もかけて調べ上げたんだよ。あらゆる情報を使いまくって、優希は蓮川の殺害現場の場所を突き止めてた。」
優希は森本の方を向いて「多分、健太が生きてた世界の俺は、時期的に考えてもまだその足取りはつかめてないはずだ」と言って、すぐに俺に聞いてくる。
「誠の世界で俺が死んでるのは、無差別殺人を追ってた関係で死んでるのか?」
俺はおっ、と思わず言う。
察しがいい。
「関東無差別殺人を追い続けたお前は、その事件の最後の被害者だ。犯人確保と引き換えに、お前は命を落とした」
やっぱりな、という顔で、優希はふふんと笑っている。
「これが、今俺らが置かれてる現実だ」
俺はそう言って、メモとボールペンを放り投げた。
「俺が知ってる世界じゃ森本はそんなに幼くねーし、優希はとっくに死んじまってるんだ。ここの世界でも優希が生きてるって保証もなかったしな。」
俺は立ち上がって、冷蔵庫の前に移動する。
「けどよ」
「ん?」
「蓮川が命を狙われることは、もうねぇのかな?」
森本が缶ビールを歯でくわえながら疑問をぶつける。
「蓮川を助けたあの場で、俺が犯人を抑えた時点で、蓮川の命は助かってたはずなのに、その後都合のいいようにお前と蓮川の方に向かってトラックが突っ込んでいった。」
「何が言いてぇんだ?」
俺は冷蔵庫からペットボトルのおお茶を取り出してフリフリする。
「タイムパラなんとかだよ」
「?」
優希が首を傾げる。
「本当だったら、今日この世界でも蓮川は死んでたはずだった。それを俺たちが助けたことで、未来に歪みが出た。だからあのトラックが現れたんじゃ…」
「考えらんなくはねーけどなぁ」
俺はお茶の蓋をぷりきと開けて一口飲み込む。
「だとしても、今蓮川をここまで連れて帰ってきた以上、いきなりあいつが死ぬとなったら防ぎようがない。あいつは事件で死んだ、と言うことは、この世界でも事件に関わって死なないと、どのみち未来には歪みが出てくる」
優希がよくわかってない感じでとりあえず頷きながら、「俺はそれ以上に気になることがある」と話を遮るように言い出した。
「たしかに俺は、キビウラのバス停が蓮川が殺された場所だってのは調べがついてた」
「だから何だよ?」
森本が話を遮られたことにイラッとしてる感じにも見える。
「この旅行を仕組んだのは、松永先生だよな?」
俺はペットボトルを置いた。
「殺害の現場になったキビウラのバス停からそんなに離れてねぇここを宿泊先に指定した…歪んだ過去が起こした偶然か、それともあのジジイがなにか握ってんのか…」
「優希」
俺は優希の目をまっすぐ見て、諭すように語りかける。
「俺は無差別殺人のラストを知ってる、一番未来から来てる人間だ。その俺が言うんだから間違いはねぇ。松永先生は関係ねぇよ」
「だったら」
優希が何かを言いかけた時、部屋の外から声が聞こえた。
俺はまた動悸とめまいに襲われる。
森本は驚いた顔で、「松永先生?」と恐る恐るな声で言った。
ガラリと開いた扉、その向こうに立つのは、まぎれもなく松永先生だ。
「松永先生…」
俺がなんとか声を出す。
松永先生は随分と落ち着いた目でのしのしと部屋に入ってくる。
俺たちの目の前まで来て、松永先生はよっこらせと畳に腰を深く降ろした。
「察しがいいなぁ、稲岡は」
ゆっくりした動作でタバコに火をつけながら、松永先生は一つ深呼吸する。
「まさかとは思ってたが、よりによってお前らだったとはなぁ」
「言ってる意味が分かりません…」
森本が松永先生の目の前に移動する。
大きくもう一度深呼吸をして、松永先生は俺たちの前で、いつもよりも太い声で話を始めた。
「この旅行を仕組んだ理由、お前らにしか話せない裏がある、てことだよ」