不審の正体
音楽もひとしきり聞き終えて、俺とのりちゃんはFMラジオを聞き流す。
のりちゃんによると、目的地までは残り30分ほど、数人からはもう到着の連絡が来ていたところだった。
山道に入って結構な距離を走った。
辺りは暗くなってきて、俺はヘッドライトスイッチに手を伸ばす。
春先とは言え、夕方になると空は暗く、雲一つない空には無数の星が薄く見え隠れし、半分に割れた月が不気味な光を放って鎮座する。
車のヘッドライトは暗くなった道を照らす。
ポーン♪という音と共に、時刻は夕方6時を回ったところ。
ポップなBGMと妙に軽快で発音のいい英語から始まるヘッドラインニュースは、良いニュースばかりではない時ほど滑稽なものに聞こえてくる。
ニュースを読み上げる女性のアナウンスの内容はそんなオープニングの軽快さとは打って変わった内容で、その温度差に驚愕する。
『関東全域で起こる無差別殺人事件による犯人の足取りは、未だ掴めておらず……』
俺の左耳がピクリと動いた気がした。
随分と話題になったニュースを聞いて、俺はその事件に思いを馳せる。
この事件が世に出て随分経つ。
日本中を話題で包んだ事件の結末。
俺はよく聞こえるように、もう1段階オーディオの音量ダイヤルを回す。
のりちゃんは「怖いなぁもう」とニュースを聞いて怪訝そうな顔だった。
「無差別殺人だってさ。関東全域。ここもわかんねーよな」
オーディオに映し出されたFM周波数の文字を見ながら、のりちゃんはポッキーを俺の頬にツンツンさせる。
差し出されたポッキーをひとかじりして、俺はヘッドライトに照らされた道に目を戻す。
「この車に乗ってる限りは何も心配いらねー。降りてからは保証はねーけど」
どんなやつが来ても逃げ切れる自信はあるが、それはあくまで車の中の話であって、外に出てしまえばその保証はどこにもなく。
これから旅館に向かうというのに、嫌なニュースを聞いてしまった。
のりちゃんはそう言いながらもラジオで語られる事件の内容を聞いていた。
「もしもあたしらが向かってる旅館に来る、てなったらどーする?」
「どーもこーもねーだろ…逃げる以外の選択肢はないね。やり合っても死ぬ確率と50:50なら無駄な争いは避けるに限るぜ」
相手を倒す確率と、自分が死ぬ確率、比べるまでもなく、最良の道は逃げることだ。
「でもあんた、前にどっかの学校と喧嘩したとき、ナイフ相手に突っ込んで行ってましたけど」
「もうそんな根性残っちゃねーよ。つーかあんなもん半分ハッタリだからな。刺せる奴ならこっちから行く前に向こうからくるぞ」
無差別殺人のニュースが終わり、次は工場地帯での爆発事故のニュースが流れてきたところで、俺はオーディオの電源をオフにする。
「こんな辺鄙なとこまで来るような殺人犯なら、もっと一通りの多いとこ狙うのが普通だと思うけどね」
もっともな意見でのりちゃんが話を終わらせる。
しばらく無言で山道を走る。
どんどん暗くなる山道の中、パーキングとも道の駅とも言えない休憩エリアを見つけて、俺とのりちゃんはトイレに行くことにした。
車から降りて空を見ると、さっきまで明るみのあった空は深い紺色に染まっていて、あと数十分もすれば真っ暗になって星たちも仕事を始めそうだ。
のりちゃんは空を見上げてワーワー言いながらケータイで写真をパシャパシャと撮っていた。
「山ってすごいんだねぇ〜。うちもそんな都会じゃないけど、本物はやっぱり違うっていうか」
「俺は見慣れちゃったけどなぁ」
夜の山道を走り続けてきた俺にとっては、こういう光景はよくあることで、珍しいというよりいつもの光景に近くて、興奮よりも落ち着きという感覚だ。
のりちゃんは写真を何枚も撮っては「やっぱキレーに撮るのは無理かぁ」って残念そうだった。
「滝沢、ケータイ貸して」
俺はのりちゃんにケータイを渡す。
ケータイをまじまじと観察して、不思議そうな顔でしばらく回転させたり月明かりに当てたりしているのりちゃんを見て、俺は思わず「あ、そ〜だよな」とつぶやいた。
「なにこれぇ!?」
大きな声。
「どこの機種?ねぇ、これいつ発売されたの?見たことな〜い!」
あるわけねーだろうなぁと笑ってケータイを返してほしいと手を伸ばす。
「カメラ開くのどーすんの?」
伸ばした手を力なく落として「電源ボタン2回」と言った。
「わっはははは!すっげー!なんだこれぇ〜〜?!画質神すぎて笑えてくんよ!」
のりちゃんはひどく俺のケータイを気に入ったようで、まだ紺色の夜空をバッシャバッシャ撮影する。
俺はそんなのりちゃんを横目にトイレに向かう。
用を足している間も、のりちゃんの大声が外から聞こえてくる。
俺のケータイでそんなにテンション上がってくれるなら儲けものかもしれない。
トイレから出てきても飽きずに色んなものを撮影しているのりちゃんに、俺は早くトイレにいけと促した。
ひとしきり楽しんだのりちゃんは俺にケータイを返してトイレに走っていく。
「あたしのケータイに写真転送しといて〜!」
適当に返事して、俺はケータイを閉じてポケットに入れる。
運転席側のドアにもたれて、俺は空を見上げてみた。
俺はどうなるんだろうか。
なんでこうなったんだろうか。
そんなことばかり考えている今日一日。
おかしいことばかりで、平静を装うのも疲れてきた。
誰にも言えない、言っても理解されないこの事態が、変わるときは来るんだろうか。
ため息混じりに空から目を落とす。
俺の体を支える愛車は、変わらぬ部分と懐かしい部分が共同生活する異様なマシンで、ここまで運転してきてもその違和感は未だ払拭されない。
思い出の詰まる、フロントタイヤにはめ込まれた年代物のアルミホイールを靴のつま先でコンコンと蹴ってみる。
指先から伝わる硬い金属の感覚は、とても夢とは思えないリアルなものだった。
もう一度ケータイを取り出してスイッチを押す。
何度見てもディスプレイに映し出される今日の年月日は変わらない。
のりちゃんの足音がバタバタと聞こえてくると同時に、俺のケータイがフルフルと震えた。
「森本」
指先をスライドさせて、ケータイを耳に当てる。
『おぅ、今どこよ?』
「えっとなぁ、ハラワリ?かなんかって言うパーキング…ていうのかな…?」
『お〜、そこか。俺らも通ってきた道だなぁ。』
「ぁんだ、もう着いたのか?」
『もうあと5分くらいらしいわ。そっからだと、30分はかからねーくらいだろーな。』
「こっちも結構飛ばして走ってたんだけど、同じ道使ってる割には全然追いつかねんだよなぁ。お前何キロで走ってんだ?」
『そこは聞かんでくれ』
「スペアなんだから飛ばすなって言ったろーが。張っついたって知らねーぞ?」
『早く着きたかったもんでさぁ。帰りはちゃんと安全に帰っからよ』
「あと5分ほどだろ?そこから先はゆっくり行け」
『わーったよ、怒んなって』
森本の、あの頃に比べると幾分落ち着いていて、聞き分けが妙にいいのが気持ち悪く感じた。
じゃーなと電話を切ろうとする森本の声を、思わず反射的に「あのさ」と大きめの声で遮った。
『ぁんだよ?』
そう言われて、ちょっとの間黙ってしまう。
『用ねーんなら切るぞ?』
「あっ、いや、そのさ、なんていうか、えーっと…」
なかなか言い出せなくて、森本は笑いながらも変な声を、俺は頭をゴリゴリかいて変なところから声が出ていたと思う。
「その、」
森本はしばらくケラケラしていたが、すぐに何も言わなくなった。
「なんつーか」
森本は何も言わない。
「優希のこと、なんだけどよ」
そこまで言うと、電話の向こうからふん、と鼻笑いが聞こえてきた。
『そーゆー話は、本人も入れて、楽しくみんなでやろーや、な?』
森本のいつも通りの感じで言われて、俺は適当な相槌で電話を切った。
のりちゃんがまだ夜空を見つめてぽーっとしていた。
「いこーぜ」
俺は声をかけて、車に乗り込んだ。
のりちゃんもバタバタと乗り込んできて、「キレイだなぁ」ってまだ言ってた。
車を動かして、俺とのりちゃんは残りの道を進んでいく。
ガタガタと揺れる車内、時々路面から来る突き上げが体をおかしくしていきそうで、残りの道のりは長く感じる。
「こういう道とかで遊ぶのって、何年やってんの?」
のりちゃんの素朴な疑問が俺にぶつけられる。
「結構やってるよ。免許取り立ての頃は毎晩遊んでたし」
「ずっと毎日そうやって遊んでたらそれなりに運転うまくなるもんなのねー」
抑えて走ることを覚えてからは、速さが運転の上手さとは勘違いであると気付いた。
本当なら免許を取得したときには知っているものだろうが、俺は少し気がつくのが遅かった。
「のりちゃん免許持ってるっけ?」
「一応ある。月に一回乗るかどうか…」
「ミッション?」
「オートマ限定」
「だめじゃん…」
運転の交代はできそうになくて、帰りもロングドライブを満喫しなくてはならないようだ。
「免許ってあたしなんか緑色のやつなんだけどさ、滝沢もそ~?」
「俺は単車で遊んでたのもあったから青いぞ」
「へ〜、見せて見せて」
「見せね〜よ、顔ブスだし」
「免許なんかそんなもんでしょ〜?いいじゃんそれくらい」
鋭いんだか偶然なんだか。
「見せれない理由があるから言ってんの」
「ほ〜ん、例えば?」
「住所知られたら突撃されたり」
「あんたの家の場所を知らんと思ってるのが分からんわ」
それもそ〜だと笑って、なんとなく話を終わらせる。
車は止まることなく進んでいく。
目的地も近くなると、少し町明かりが増えてきたようにも思える。
森だけだった景色が少しずつ変わってきて、旅行っぽ〜いとかのりちゃんが言い始めて、気分がコロコロ変わるのりちゃんがおもしろかった。
走り続けて何時間か、休憩も含めながらの長い旅は、ついに目的地に着いて一旦終わりとなる。
車を駐車場に止めるときにエンストしたりして、のりちゃんに「なんで今ここ?」とか言われたりして、まだ体は慣れてないなと実感する。
車から降りると、のりちゃんは誰かと通話していた。
「うん、そう。そっちはもう少し掛かりそうなのか。あ、滝沢降りてきたけど、代わろっか〜?」
少しニヤニヤした顔でこっちを見ていて、電話口に「照れんなって」と言うのりちゃん。
俺は無視するように旅館の入り口に向かって歩き始めたが、のりちゃんはすぐに後をついてきて半ば強引にケータイを折れに押し付けた。
恐る恐るケータイを耳に当てて、振り絞るように声を出す。
「もしもし?」
電話口から聞こえる声は、あの頃毎日聞いていた、蓮川の透き通るような声だった。
『もうついたんだね、そっち』
「お、おぅ。まぁな」
あの頃のように会話が続かない。
『あたしたちも、あと少しだと思うんだ。目標時間に間に合うかは微妙だけど、普通に到着できると思うよ』
「ほーか、オッケ、早く来いよな」
当たり障りのない会話をして、さっさと電話をのりちゃんに返す。
気を利かせてやったのに、みたいなのりちゃんの顔を無視する形で、俺はすたすたと入り口に向かって歩く。
「うん、じゃ、気をつけて」
電話を切って早足で俺の後ろをついてくるのりちゃんは、そのまま通り過ぎざまに俺の頭を軽く叩く。
「何その態度〜?」
「うっせーなぁ…分かったから早く行くぞ」
またほっぺたを膨らませて、のりちゃんは先に旅館に入る。
黄色い古風な雰囲気を醸し出す電球と、木造ならではの木の匂いが旅館っぽい。
入り口にどかっと置かれた獅子舞だかシーサーだかが和風を演出していて、入り口を入ると大きな木彫りの額縁のようなものが目に入る。
受付で名前を言って入れてもらう。
入ってすぐの宴会場で、すでに酒を嗜む同級生たちと話す松永先生が俺たちを見て声をかける。
「予定時間前に結構みんな来るもんだなぁ。とりあえず部屋上がれよ。」
俺は言葉を聞き終える前に、宴会場から立ち去って階段を登る。
また後で〜って手を振るのりちゃんに俺は背中を向けたまま右手で応える。
階段をのしのしと上がって、踊り場に足をかけたとき、目の前には、いまいち仲の良くなかった連中数人が進路を塞ぐ形となっていた。
確か、真ん中に立ってるのはリーダー格だった山口、その左隣にいるのが石山だった気がする。
少し睨みをきかせて、俺はそのまま塞がれている道を強引に割って進む。
チッ、と舌打ちが聞こえた。
俺は立ち止まって振り返り、山口たちにに向かって強めの口調で言った。
「優希どこいるかしらねーか?」
「知らねーよバァーカ」
随分ガキ臭く見えるだけあって、その言動はそのまま見た目通り、といった感じだ。
「久々に会って喧嘩もなんだろ?大人しくしといてくれやガキ共」
俺はそう言い残して、階段を上がっていく。
「ハッ!稲岡と森本がいなきゃ喧嘩もできねーか?大人んなっちまった奴ァこれだからよぉ〜」
「悪かったな大人でよぉ」
大人と言われるとどーかと思うが、たしかに奴らの言ってることが間違いでもない気がした。
俺は奴らを無視して、自分の部屋を探しはじめる。
細い廊下は奥まで続いていて、ところどころに誰が書いたのかわからない水墨画が大きく飾られる。
ひとつひとつをチラリと見ながら、左に曲がってさらに奥を目指す。
ちょっと歩いて、木製の腰掛けに座り込む男の少し手前で、俺は軽く息を吐いた。
笑顔とはいかないけれど、できるだけ優しそうな顔を作って、俺は男に声をかける。
「優希」
うつむいていた顔を上げてこちらを見た優希は、あの頃とは結構変わって見えた。
まだ少し明るい髪色が、黄色い照明と相成って金色にも見える。
何を言うでもなく、優希は俺の目をじっと見つめていた。
「俺にも森本にも声掛けねぇで、なんでそんな小じんまりしちゃってんだ?」
「小じんまりしてるつもりはねぇよ」
聞き慣れた声が、俺の耳に届く。
「なんか、変わっちまったな、お互い」
せっかく話せたのに、なんだか歯切れが悪い。
「老けただけだろ」
「んなジジクセェこと言うなよな。そりゃお互い様だっつーの」
優希は俺の言葉を聞いたあと、すぐに立ち上がって、俺が来た方向へ向かって歩き始める。
「なんでこうなのかはわかんねぇけど、今は誰とも話す気分じゃねんだ、悪いな」
「おい、優希」
俺の静止を無視して、優希は曲がり角の向こうへ消えていく。
頭をゴリゴリかく。
「んなもん俺が一番わからねぇっつーの」
俺の中の不審感は、さらに深みに差し掛かっていく。
自分の部屋を見つけて、中に森本がいるのを見て、また言葉をつまらせる。
「よっ、お疲れ。一緒の部屋だな、俺ら3人」
森本がいつもの口調でお気楽そうに言う。
荷物を部屋の隅において、畳の上にあぐらをかく。
俺の様子を見た森本は、何となく察してくれているようで、多分何もわかっていない。
「疲れてんなぁ?」
「色々あってなぁ」
「優希のことだろ?」
半分正解、半分間違い。
俺はそれでも、森本が用意してくれたシナリオに沿って話をすすめる。
「あいつどーしちまったんだ?」
「さぁなぁ〜。思い当たるフシはないわけじゃねんだけど」
森本の口調が何となく変わる。
「俺もないわけじゃねんだ」
森本は俺の言葉にははっと笑って、洗面台に置いてある飲みかけのビールを手にとった。
「互いが互いに期待はしてねー、て言いてんだろ?」
心をえぐられたような感覚。
森本はビールを流し込むように飲んで、ぷはぁと息を思い切り吐き出す。
「森本…」
思わず何かを言わなきゃと思って、名前を呼んでみる。
「何がどうなのかはわかんねーし、俺の考え過ぎかもしれねー。」
森本は抽象的な言葉しか使わない。
「お前は、俺は、あいつは、何なのかはっきり分かるまで、手の内は見せらんねーよな?」
俺はふははと笑って立ち上がる。
森本の手から残り少ない缶ビールを奪い取って、それを一気に流し込んだ。
偶然にしては出来すぎている。
もしこれが現実なら…
現実だとして…
現実だとしたら…
説明のつかないことが死ぬほどある。
俺は缶をグギリと握りつぶして、それをごみ箱に投げ捨てる。
「気持ち悪りぃ」
部屋を逃げるように立ち去る。
森本はまた新しい缶ビールを取り出したようで、小気味のいい開栓音が部屋の出口まで聞こえてきた。
廊下を歩いて、俺は考えを巡らせる。
俺の仮定が現実ならば、森本の言いたいことも、あの行動も、優希のあの態度も、一応は全てに説明がつく。
それを確かめる手段はない。
高校生活の中でずっとツルんできた親友は、今現在、最も気を許しては相手となっている。
こっちの素性がバレると言うことは、この先の出来事をすべて操られる可能性があるからだ。
そしてそれは恐らく、森本も優希と同じであるはず。
そして、これから先に何が起こるのか、俺はまだ何も掴めていないと言うのが、今わかっていることの全てだった。