009 プロローグ06
自分の体を覆う黒い体毛。自分の体が大きく、それこそ大人と変わらないくらいまで大きくなっている。自分の姿を、全身を見る。長く伸びた爪に気を付けながら顔を触る。
それはまるで伝承にあるかのような狼男の姿。
口から生まれる咆哮。
体の中に抑えきれないほどの強い破壊衝動が生まれる。
うじゃうじゃとあふれるほど蠢いているネズミたちに巨大な爪を振り下ろす。鋼のような爪がネズミを切り裂き、叩き潰す。
強い衝動に動かされるままネズミどもを切り裂く。
刈り尽くしてやる。
殺し尽くす。
破壊する。
殺す。
爪で薙ぎ払う。紙でも引き裂くようにネズミたちの体が裂け、肉片となって辺りに散らばる。脆い、弱い。
そこでネズミたちが動く。
こちらを取り囲んでいたネズミが口を開け、その中にある銃身をこちらへと向ける。
――一斉射撃。
無数の銃弾が、鉄の塊が雨のように降り注ぐ。いくつかの銃弾を黒い体毛が弾く。それでも弾ききれなかった鉄弾が身を、肉を抉る。だが、かすり傷だ。身を抉られたそばから肉が盛り上がり、その傷を埋めていく。恐ろしいほどの再生力。
傷を、怪我を負ったそばからそれが治っていく。無かったことになっていく。再生する。
鉄弾を受けながら――それを無視して爪を振るいネズミどもを切り裂く。
脆い、弱い。
コイツらは雑魚だ。
いくら群れようが、どれだけ数を集めようが――雑魚だッ!
かぎ爪のように伸びた唯一の武器を振るう。
切り裂く。
切り裂く。
叩き潰す。
切り裂く。
切り裂く。
切り裂く。
切り裂くうぅぅぅぅッ!
脆い。
弱い。
辺りに血と肉片が飛び散る。
飛び交う鉄弾。
それらを無視して突っ込み、かぎ爪でネズミどもを薙ぎ払う。
高く飛び上がり、その勢いのままネズミどもに爪を叩きつける。叩き潰す。跳ね、飛び、破壊する。
殺す。殺せ。破壊し続けろ。
弱い。
弱いぞ。
もっと、もっと、もっとだ。
もっと、血と、破壊を。
もっと強い力をッ!
そこにあるのは技も武も無い、ただの力と破壊だ。
ネズミどもを力任せに爪で切り裂く。
破壊の力。
ただの力。
純粋な力。
壊す、壊スッ! 破壊シ尽クスッ!
ハカイ。
が、あ、ッ!
と、そこで俺の中に眠る小さな小さな何かが煌めく。
な、何だ?
ハカイ、破壊……いや、違う。
違うッ!
俺は、俺は……。
武を術る力――これは違う。
師匠が今の俺を見たら何と言うだろうか。
これは違うッ!
深く息を吸い込む、そして、痛くなるほどの強い力で地面へ足を叩きつけ、息を吐き出しながら腰を深く落とす。
息を吸い、吐き出す。
飲まれるな。
力は――強き力は甘美。だから、こそ……それを制す。
伸びた爪、これでは握れないな。だが、それで良い。
薙ぎ払う。先ほどまでの力任せとは違う、技の伴った一撃。ネズミどもが斬り裂かれていく。
飛び交う鉄弾を爪で薙ぎ払う。このネズミどもの攻撃は届かない、届かせない。
あのまま力に任せていても殲滅は出来ただろう。それだけ弱い連中だ。だが、俺はそれを許さない。それは積み上げてきたものに対する冒涜だ。
俺の力を見せてやるッ!
――いつの間にか自分の周囲には動くものが無くなっていた。狩り尽くしたようだ。そして、その間を見計らっていたかのように自分の体が小さくなっていく。全身を覆っていた黒い体毛が抜け落ちていく。
元の少年のような体へと戻っていく。
深く息を吸い、吐き出す。
……。
自分の体を見る。
また全裸、か。纏っていた白衣は最初の鉄弾と狼へ変身する過程でボロボロになってしまったようだ。散らばった布片を探すのは……もう無理だろう。
辺りにあるのは無数のネズミの死骸。
持っていたハンドガン、木の棒も見当たらない。ネズミの死骸の山の中から探すのは――無理だ。せっかくの武器だと思ったが、仕方ない。
今度、似たようなことがあった時は気を付けるようにしよう。
にしても、師匠、か。
ズキリと頭の奥が痛む。俺の思い出せない記憶の中にそういった人が居たのだろうか。それとも自分の妄想が生み出した幻想だろうか。もしそうだとしたら、とても滑稽だ。
つまり、自分は師匠がいる妄想をして、その妄想の師匠なら言うだろうという幻影に縋って、自身の暴走を抑えこんだのだから……笑えるような状況だ。
痛みを、記憶を、追い払うように、頭を振るう。
そのまま砂時計のような巨大な装置へと歩いて行く。ネズミどもはこの装置を守っていたのだろうか。いや、まさかな。
装置の下には巨大なキーボードが置かれていた。キーに書かれているのはアルファベットだ。安堵のため息を吐き出す。どうやらここは……異世界では無いようだ。
にしても、キーボードか。
この装置を動かすためのキーワードを入力しろということだろうか。
キーワード……。
ズキリと頭が痛む。
そしてキーボードに触れる。その瞬間、装置が動き出した。キーワードを入力する必要はなかったようだ。正直、助かる。
薄暗かった室内に明りが灯る。機械が動き始める。
この施設が甦る。
そして耳が痛くなるほどの大きな音声が室内に響く。
『端末まで来るのです』
端末?
……。
もしかして、あの監視部屋にあったディスプレイのことだろうか?
『どの部屋でも良い、端末まで来てください』
また放送が流れる。こちらを呼びかけている……のか? それともあらかじめ設定されていた音声が流れているのだろうか。
分からない。
しかし、だ。
あの部屋まで戻る?
だが、階段は飛び降りた。あの高さを戻るなら、何か踏み台になるようなものが無ければ無理だ。
それこそ、脚立とか、だ。
と、そこで周囲に散らばっているものに気付く。
ははは、これでも出来ないワケじゃあないか。