008 プロローグ05
木の棒を左手に、ハンドガンを血だらけになった布を巻き付けたままの右手に持って、崩れた階段を飛び降りる。木の棒は攻撃の要となる武器だ。怪我をしていた右手よりも、左手で持っている方が安定して扱えるだろう。
崩れ落ちた階段の瓦礫に着地し、振り返る。自分が飛び降りてきた場所を見る。
高い。
飛び跳ねたくらいでは、どれだけ頑張っても届かないだろう。大きめの脚立の天板にでも乗れば手が届くかもしれない。それくらいの高さだ。
ヨシ! これはもう迷わず進むしかない。
幅の狭い、すぐに折れ曲がる階段を降りていく。
進む。
先を目指し、とにかく階段を降りる。
……。
飛び降りた高さと降りている距離を考えると、二、三階層分は降りているかもしれない。
さらに進む。
そして階段は行き止まった。
非常時に閉まる防火戸のようなものによって階段の先が塞がれている。他に道はない。行き止まりだ。
……おかしい。
普通はあるはずのものがない。
この施設は何処かおかしい。緊急時に避難するための道がない。普通の防火戸には閉じてしまった後でも手で開けられる避難扉があるのではないだろうか?
階段もそうだ。他の階層に降りることなく、直通でこの階まで降りた。降りてきた距離を考えると、他の階層がないとは考えにくい。
完全に閉じ込める形で作られている。
もし、何かが起きた場合は閉じ込め、この施設の存在を抹消する――考えすぎだろうか?
薄暗い中で防火戸をよく調べると、下の方に穴が開いていた。先ほど殺した大きなネズミが、ちょうど通り抜けられそうな穴だ。穴に手をかけ、くぐり抜ける。キツくて狭い。太っていない自分の体に感謝する。
にしても……。
穴は鋭い歯で無理矢理噛み千切ったかのように歪だ。防火戸を噛みちぎる、か。それは恐ろしい力と鋭さが必要になるだろう。ここから先は注意して進んだ方が良いかもしれない。いや、違う。ここから先も、だ。
防火戸を抜けた先の通路は、自分が目覚めた場所と同じように配管や剥き出しのケーブルがあらゆる所を這い回っていた。足元を、壁を、天井を――そして、そのどれもが通路の奥へと伸びている。
この奥に何かあるのだろうか。
配管やケーブルで歩きにくい通路を進む。
ん?
配管に囓られた跡がある。いや、食べられた跡だろうか。よく見れば銃弾で傷ついたと思われる跡もいくつか見つかった。千切れて断線した線が、ぶら下がっている。
それは奥に進むほど酷くなっていく。もしかして電気が来ていない理由はこれが原因だろうか。もしそうだとすると発電機のようなものがあり、それを上手く動かすことが出来たとしても――無駄かもしれない。
そして辿り着く。
配管とケーブルだらけの通路の先にあったのは巨大な砂時計のような形をした機械だった。砂時計の中央には円形の良く分からないものがはまっている。大きい。二、三階層分くらいをぶち抜いた大きさだ。
この装置は何だ?
配管が、ケーブルが、その装置に繋がっている。
もしかすると、この装置が施設の電源ユニットなのかもしれない。形は異常だが、その可能性はある。
と、そこで何かが動く気配を感じた。
気配の方を見る。それは今にも飛びかかってきそうな巨大なネズミだった。すぐに木の棒を構える。
しゃあと威嚇するように鳴き、飛びかかってくるネズミ。それを木の棒で下から上に打ち上げる。巨大なネズミが吹き飛び、倒れる。ピクピクと痙攣している。攻撃する前に鳴いて行動を教えてくれるとは――それも動物だから仕方が無いのかもしれない。このまま殺してしまおう。
痙攣しているネズミに近づく。
ネズミが口を開け、こちらを威嚇する。そのまま踏み潰そうとして――異常に気づく。
ネズミの口の奥から何かが迫り上がって来ている。
な、何が……?
それは覆っていたぐちゃぐちゃの粘膜を突き抜け姿を現す。
それは――ネズミの口の中から現れたのは金属の銃身だった。
え?
ネズミの喉の奥から飛び出た銃身から何かが放たれる。とっさに手で防ぐ。痛み。何かが手に突き刺さっている。それは金属を無理矢理固めたような弾丸だった。
ネズミの口に生まれた銃身から弾が次々と飛ぶ。体に突き刺さり肉を抉る程度で貫通するほどの威力はない。だが、今の白衣を着ただけで裸同然の姿で喰らい続けるのは不味い。手で顔と急所を守り、痙攣しているネズミまで走り、そのまま足を上げる。ネズミの体の中で銃身がどうなっているのか、どう繋がっているのか分からないが、構わず踏み潰す。
ぐちゃり。
生の足の裏に嫌な感触が広がる。だが硬い。先ほどまでのネズミよりも硬くなっている。
それでも――倒した。殺した。
……。
と、そこで気付く。
ネズミの気配。
ネズミの気配が一つではない。次々と気配が――こちらへと集まってきている。ここは、ネズミの巣だった。
何匹もの、周囲を埋め尽くすほどのネズミが姿を現す。大小様々なネズミ。そのネズミたちが口を大きく開け、体を痙攣させる。
ネズミの喉の奥から銃身が迫り上がってくる。
何だ、何なんだ、このネズミは!?
そして、こちらを取り囲んだネズミから一斉に弾が放たれる。
顔と急所を守る。次々と無数の弾が飛んでくる。一発一発の威力はそれほどでもない。だが、数が――多すぎる。
弾が肉を削り、抉る。あふれる血、飛び散る肉片。そしてネズミの放った弾のいくつかが心臓に刺さる。
え?
心臓を守っていたはずの手は、弾によって抉れ、隙間だらけになっていた。
あ?
血が、肉が……。
さらに無数の弾が飛び、刺さる。
自分の体はボロボロだ。
自分の命が――命の炎が消えようとしているのが分かる。体から、何か、生きるための何かが消えようとしている。
倒れる。
動けない。
死ぬ。
このままネズミに喰われる? だが、その前に自分の命が消えそうだ。生きたまま喰われないだろうことだけは救いかもしれない。
死ぬ。
ここで終わる。
どくん。
死を覚悟した、その時だった。
自分の中で何かが跳ねた。
どくん、どくん、どくん。
何かが動いている。体の中で何かが動いている。
蠢いている!
体が造り替えられていく。
抉れ、削られていた肉の内から何かが盛り上がり、その隙間を埋めていく。体を覆うように黒い体毛が伸びていく。
小さかった自分の体が膨れ上がっていく。
鋭い牙が、大きな爪が生まれる。
死にかけだった体に強い命の炎が灯る。
自分の口から大きな咆哮が――再誕の喜びが生まれる。
2022年8月29日誤字修正
非難扉 → 避難扉