078 賞金稼ぎ15――『……撤退だ』
グラスホッパー号を守っている見えない壁に張り付いた大きな蚊に液体ブマットを吹きかける。倒した側から蚊が飛び込んでくる。本当に数が多い。この森の中にどれだけの数の蚊が潜んでいるのだろうか。
……。
ん?
森?
蚊の幼虫のボウフラは水辺で育つはずだ。この森の何処かに水源があるのか? それともこの世界の蚊は水がなくても大丈夫なのだろうか。
むわっと何かが発酵したかのような匂いが漂ってくる。そして、その匂いを追いかけるように炎が吹き荒れる。グラスホッパー号を守っている見えない壁は迫る炎の侵入をも防いでいる。
炎の発生源を目掛けて液体ブマットを投げつける。容器が砕け、液体が飛び散る。火元の蚊がギニャアと嫌な羽音を立ててひっくり返る。ちまちまとスプレーのように液体を吹きかけている暇はない。大型サイズの火を噴き出すタイプの蚊には液体ブマットを投げ当てた方が早そうだ。幸いにも数だけはあるから在庫切れの心配はないだろう。
『ああ、くそっ、火を噴く蚊がいるなんて世も末だ』
『ふふん。良いことを言うじゃない。今は世紀末なんでしょ』
機銃の掃射が飛び交っている蚊を容赦なく撃ち抜いていく。機銃とシールドが使える限りは何とかなりそうだ。
だが――パンドラの残量は50を切ろうとしている。回復よりも消耗の方が大きくなったままだ。このまま戦闘が続けば不味いだろう。
コイツらが蚊と同じ生態をしている前提にはなるが、水が――水源のあるところが、この蚊たちの本拠地だろう。
『ふふん。この付近に水なんて無いから』
『……撤退だ』
俺はセラフの言葉を聞いて撤退を決める。蚊の数が多すぎる。液体ブマットの数は問題ないだろうが、パンドラの残量がヤバい。
パンドラ、か。
便利なエネルギーなのは分かるが、移動にも、攻撃にも、守りにも、全てに消費されるのは問題だ。それは、つまり……一度、じり貧状態に陥ってしまうと立て直すがの不可能に近いということになる。
ここにはお金稼ぎに来ているだけだ。命をかけるような場面ではない。
敵の親玉――この蚊を操っているボスを倒せるならまだ話は違うが、水源が見つからない以上、それも難しいだろう。
撤退、撤退、撤退しかない。
『セラフ、もう一度言うぞ。撤退だ』
『ふふん。馬鹿なの?』
グラスホッパー号が機銃を掃射しながら蚊の群の中を走り抜ける。向かっているのは森の奥――逃げるのとは逆方向だった。
と、そこで気付く。
先ほどから鼻をつくすえた臭い。嫌な気分になる。
これは何かが発酵しているのか?
あの火を吐く蚊からも同じような臭いがしていた。そして、その臭いはある一定の方向から強く香っている。
まさか。
『セラフ』
『ふん、分かっているから』
グラスホッパー号が臭いの元へと走る。
群がってくる蚊に機銃を撃ち放ち、俺も液体ブマットを容器ごと投げつけ液体を散布する。そして、すえた臭いを吸わないように、液体ブマットがかからないように、口と鼻に服の袖をあて、極力呼吸しないようにする。
そして、森の中にそれが見えてくる。
倒れた巨木の根元が天然の器となって、そこに謎の液体がたまっている。そして、その液体の中には蚊の幼虫――ボウフラの姿が見えた。
液体は時々、ぽこ、ぽこ、と小さな泡を生み出しはじけ飛んでいる。そして、弾けた泡から生み出されるように、巨木の根っこの周囲には気分が悪くなりそうな臭いが充満していた。
何か――果物でも発酵しているような臭いだ。いや、腐敗、か。
とにかく、ここが蚊どもの巣のようだ。
ここに……。
と、そこで、俺は何かの気配を感じて上を見る。頭上から巨大な何かが降ってくる。
それは、長く伸びた口吻のくっついた四つの頭、虫の羽を持った――蚊だった。その蚊は人の二倍くらいの大きさがある。
三つの頭を持った巨大な蚊……いや、もはやこれは蚊ではない。化け物だ。
『オフィスの情報に照会。該当一件。ふん、千コイルの賞金首、ブードラクィーンね』
さっきの蚊どもの女王か。
いや、それよりも、だ。
『セラフ、お前、オフィスの情報を照会出来るのか』
『だから何?』
この森は湖のほとりにあるオフィスとはかなり離れているはずだが、それでも問題無いのか。
『いや、凄いなと思っただけだ。で、こいつが親玉だな』
『間違いないでしょ』
『にしても随分と賞金額が安いな』
『そうね。熟練のクロウズには安すぎ、駆け出しには金額の割りに辛すぎる、ということで放置されていたみたいね。雑魚なのに馬鹿みたい』
『はいはい、それじゃあ、パパッと雑魚狩りをしますか』
パンドラの残量は心許ない。パンドラがなくなってグラスホッパー号が動けなくなる前に、このブードラクィーンとやらを頑張って倒しますか。




