776 かみ続けて味のしないガム
「やれやれ、ここから始めようか」
俺はスワンに繋いだ箱にクルマを入れる。
クルマ――トリコロールの操縦桿から手を離し、ハッチを開ける。トリコロールのハッチから外へと出る。そのスカートを伝って飛び降りる。そのまま箱に繋いだスワンの方へと向かう。
スワンを動かし向かわなければならない。
島に向かわなければならない。
――!
だが、そのスワンには先客が居た。
「ヨーソロー。ボーイ、スワンはミーに任せたまえ」
そこにはクマのぬいぐるみが――そう、キャプテンホワイトの姿があった。
「キャプテン、大丈夫なのか?」
俺は恐る恐るキャプテンホワイトに話しかける。
キャプテンホワイトは確か……、
「スワンはミーのシップだ。安心してセーフティだ。スワンのスタートはミーに任せたまえ」
キャプテンホワイトが操舵し、スワンが動き出す。
「キャプテン、あんた記憶が……」
俺は戻ったのかと続けようとした。
そこで気付く。
キャプテンホワイトはスワンを動かしている。一人で黙々と操舵している。
……。
キャプテンホワイトは俺のことをガムとは言わずボーイと呼んだ。そう、以前呼んでいたガムボーイという呼び名ではなくただのボーイだ。
……。
もう、憶えていないのだ。キャプテンホワイトの記憶が戻った訳じゃない。
キャプテンホワイトは全身を機械化させている。ぬいぐるみのような姿をしているが、それは機械の体だ。機械の体は古くなっても取り替えれば良い。側は新品にすることが出来る。だが、脳は……脳だけは自前だ。キャプテンホワイトはその脳が限界に来ていた。最後に会った時には、もう、自分自身のことが分からなくなっているくらいおかしくなっていた。脳の劣化。老い。それは見ていられないくらいの老化だった。
キャプテンホワイト。スワンに戻り、舵を握ったことで、彼の本能が呼び覚まされ、彼が今まで身につけていた習慣が――体を動かしているのだろう。
キャプテンホワイトを動かしているのは船乗りとしての執念だ。
「ボーイ、ユーのゴールはあのアイランドだろう? ルックだ。ニアー、ベリーニアーだ。ミーがボーイを送り届けよう。キャリーだ」
俺はキャプテンホワイトのそんな言葉に、小さくため息を吐き肩を竦める。
「ああ、任せるよ」
スワンが湖を滑るように走る。
鳥居のある小さな島が見える。あそこを迂回して湖を進むのだろう。
俺はスワンの操舵をキャプテンホワイトに任せ、箱に用意されたカウンターに座る。まるで酒場だと言わんばかりに色々な飲み物が並んでいる。探し出した箱は、かつてと同じ姿だ。昔に俺が見たままの姿だ。俺がその一つを――飲み物を手に取ったところだった。
箱が大きく揺れる。
その揺れに、俺は思わずカウンターに突っ伏してしまう。
「何だ? 何が起こった?」
俺は慌ててスワンの方へと走る。
「ボーイ、ベリー、ベリー、バッドだ。不味いことになった」
俺はキャプテンホワイトのそんな言葉を聞き、スワンから前方を見る。
うねうねと蠢く茶色い触手のようなものが、湖の底から出ているところだった。
「どうするボーイ?」
キャプテンホワイトが湖で蠢く触手から目を逸らさず聞いてくる。
触手。
島を守るように触手が蠢いている。
こちらの進路を塞いでいる。
以前は、あんなもの存在していなかった。
情報が無い。
情報が足りない。
どうする?
撤退するか?
いや、この機会を逃したら次がいつになってしまうか分からない。
俺は肩を竦め、頭を振る。
「キャプテン、分かっているだろう?」
俺は前を指差す。
「リアリィ? HAHAHA、ボーイ、最高だ。フルにハイってヤツだ」
キャプテンホワイトがスワンの操舵を握り、強く踏み込む。
スワンが湖の水を大きく飛び散らし、跳ねるようにしながら進む。
触手がこちらに気付き、強く蠢く。明らかに意志を持った動きだ。こちらを狙っている。
「ボーイ、エキサイティングにムーブするからソーリーだ」
スワンが激しく揺れる。
迫る触手をくぐり抜け、湖を進む。
一つの触手を抜けた側から、次の触手が迫る。
次々と迫る触手。
「ボーイ、クルマにムーブだ。ここはミーに任せたまえ!」
俺は頷きを返し、箱の方へ戻る。
そのままトリコロールに乗り込み操縦桿を握って待つ。
箱が激しく揺れる。
揺れている。
俺はキャプテンホワイトを信じて、待つ。
キャプテンホワイトならやってくれる。
歴戦の海の漢だ。
長く生きた――生き延びた船乗りだ。
「ボーイ! ゴーだ!」
俺はキャプテンホワイトの声を聞き、強く操縦桿を握る。
トリコロールを発進させる。
箱から飛び出る。
島。
島が見える。
島だ。
宙へと飛び出したトリコロールを追いかけるように触手が伸びる。だが、こちらの方が早い。触手は届かない。島に着陸し、そのまま滑るようにUターンする。俺は湖に浮かぶスワンの方を見る。
スワンと箱を包み込むように無数の茶色い触手が伸びている。
スワンの中でキャプテンホワイトがこちらを見て親指を立てている。
スワンが触手に包まれていく。スワンが沈む。
キャプテンホワイトはどこから取りだしたのか葉巻を咥え、のんきに火を点けている。
「ボーイ、ミーは海の漢だぜ? シーのタフガイだ。ミーのラストは海の中がベストなのさ」
クマのぬいぐるみが葉巻を口から離し、煙をくゆらせる。
そして、スワンは――キャプテンホワイトは触手に包まれながら、湖の中へと沈んでいった。
「そこは海じゃないだろう、湖だ」
俺はトリコロールを旋回させ湖を背にする。
キャプテン、海の漢の意地を見せて貰った。
後で回収する。
俺が俺であるうちに回収する。
そして海に帰す。
あんたを海に帰す。
だから、それまで待っていてくれ。
◇◇◇
島にある施設を目指しトリコロールを走らせる。
!
地面が揺れる。
そして、トリコロールの周囲の地面がボコボコと盛り上がる。
動いている。
地面が動いている!
そして現れる。
触手?
触手ではない。
それは木の根っこだった。
「湖の中で現れたのも、これか!」
触手だと思われていたものは木の根だった。その木の根が蠢きトリコロールの行く手を阻む。
「だが、道を阻むというのなら……」
俺はトリコロールを動かし、タイミングを計る。
そして放つ。
トリコロールの主砲が轟音を響かせ火を噴く。マズルブレーキが前後し、煙を吐き出す。
主砲の一撃によってこちらの進路を塞いでいた木の根が吹き飛ぶ。
その隙間をぬって進む。だが、すぐにトリコロールを取り囲むように木の根が蠢き出す。俺はトリコロールの副武装として載せていた火炎放射器を動かし、木の根を焼く。炎が木の根の再生を抑えている。だが、あくまで抑えているだけだ。そこ以外の場所から新しい木の根が地面を突き破って現れ、こちらを取り囲もうとしている。
ジリジリと動ける範囲が狭められている。
火炎放射器で炎の膜を張りながら、再びトリコロールの主砲をぶっ放す。
木の根が吹き飛ぶ。
だが、吹き飛ばした側から再び次の木の根が現れる。終わりが見えない。どうやら本体を倒さない限り再生を続けるようだ。
……。
相手はこの島全体を覆い尽くしているようだ。
「この段階で来て良かったかもしれない。こいつがこれ以上成長していたら、俺は近寄ることすら出来なくなっていただろう」
島に近寄らせない――それがあいつの意志なのかもしれない。
だが、そんなのは……そんなことは!
まだ終わってないだろう。
火炎放射器で木の根を焼き、主砲で道を作る。木の根の再生する速度に押されジリジリとしか進めない。このままでは辿り着けない。
どうする?
俺の持っている札は何があった?
ここでトリコロールを遠隔操作にして走るか?
生身の俺なら――何とかなるはずだ。
施設の中に入ることが出来れば、後は生身でも何とかなるだろうか。いや、駄目だ。運ばなければならない。ここで作戦を変えることは出来ない。最後の最後で詰んでしまう。
ここでトリコロールを乗り捨てることは出来ない。
と、俺がそんなことを考えていた時だった。
何かが迫る。
音が聞こえる。
そして、トリコロールの周囲の木の根が爆発した。
音がこちらへと近寄ってきている。
それはミサイルだった。
一発、二発……ミサイルが飛んできている。
ミサイルを撃ったのは、こちらへと飛んできているヘリだった。そして、そのヘリから見覚えのあるクルマが飛び出す。
クルマが空を飛んでいる。
いや、両脇につけた翼によって滑空している。ミサイルが着弾する。多くの木の根が吹き飛ぶ。そこにクルマが滑りながら着地する。
見覚えのあるクルマ。
屋根の取り外された軍用車。
「グラスホッパー号が……」
俺はそう呟く。
グラスホッパー号らしきクルマ、その運転席に座っている女が長く伸びた黒髪を掻き上げこちらへと振り返る。
失われたはずのグラスホッパー号が俺の目の前にある。そして、そのグラスホッパー号らしきクルマを運転しているのは見知った女だ。
「お前はッ!」
ミメラスプレンデンス……いや、今はオリカルクムだろうか。
グラスホッパー号らしきクルマの荷台には二股の槍のような形の砲身が三つ連なった機銃が乗っている。
[何故、ここに居る]
俺は通信機を取り、オリカルクムに話しかける。
降りてきたグラスホッパー号に木の根が迫る。長く伸びた黒髪の女は病んだ瞳を輝かせ、笑い、手に持ったナイフを投げ放つ。木の根に当たったナイフが爆発する。木の根が爆発によって生まれた火を嫌い、動きを緩める。だが、緩めただけだ。あまり効果が無いようだ。そんなことは分かっていたのか、オリカルクムが肩を竦める。
「ふふふ、借りは返すべきでしょう」
そして、そうこちらへと話しかけてくるオリカルクム。オリカルクムが長く伸びた黒髪を掻き上げる。
グラスホッパー号らしきクルマの荷台に乗った三連装の槍の一つ、その二股の中心に黒い球体が生まれる。それが一瞬にして黒い粒へと圧縮される。
黒い粒が二股の槍の間を抜け、真っ黒な尾を残し発射される。
黒い閃光。
まさか、グラムノートか?
次の瞬間、黒い閃光が木の根に穴を開ける。そこから炎が広がる。
だが、俺が知っているグラムノートとは形が違っている。しかもそれが三つ?
さらに次の二股の槍に黒い球が生まれる。それが一瞬にして黒い粒へと圧縮される。
二射目だと?
黒い粒が二股の槍の間を抜け、真っ黒な尾を残し発射される。
黒い閃光。
次の瞬間、黒い閃光が木の根に穴を開ける。そこから炎が広がる。先ほどのナイフよりも強い炎だ。
「ふふふ、汚物は消毒するべきでしょう?」
グラスホッパー号らしきクルマの上でオリカルクムは楽しげに笑っている。
さらに次の二股の槍に黒い球が生まれる。
三射目だ。
三本の二股の槍から入れ替わるように次々と黒い粒が発射される。一つ放たれる間に次をチャージする、だと? 連射式のグラムノート……そんな武装が作られていたのか。
「この武器の名は夜の怒り・霞の魔女。あなたのお仲間があなたのために準備していた武器ね。ふふふ、カスミ。私に敵対していた女だけれど、この名前に聞き覚えはないかしら?」
オリカルクムの言葉を聞き、俺は気付く。
理解する。
知っている。
忘れる訳が無い。
ああ、そうだったのか。
「ここは私に任せなさい。ふふふ、ガム。あなたにはやることがあるでしょう? 私はここでこれの始末をしながら、あなたが帰ってくるのを待つわ。ふふふ、あなたとの勝負はまだ終わってないでしょう? ふふ、勝ち逃げさせるつもりはないから、覚悟しなさい」
オリカルクムが長い黒髪を掻き上げ、病んだ瞳でこちらを見て笑う。
……。
勝負、か。
……。
……。
……。
グラムノート・ニヴルヘイズはグラムノートを連射出来るように改良した武器だ。そして、この島を覆っている木のビーストに随分と効果的だ。どうやらグラムノート・ニヴルヘイズはこの木に特別効き目があるように改良されている。
特効――それは素晴らしい。だが、そんな武器のパンドラ消費量が少ない訳が無い。パンドラを多く消費する武器のはずだ。パンドラが尽きた時、オリカルクムはどうするつもりなのだろうか?
……。
いや、俺はこの女の実力を知っている。
嫌というほど身に染みて知っている。
俺が心配することではない。
……そのはずだ。
だが……、
「ふふん。あなたはあなたがやるべきこをやりなさい。そのための時間は私が作るから」
……。
俺はトリコロールの通信機を取る。
[……わかった]
そして、そう告げる。
グラスホッパー号らしきクルマがグラムノート・ニヴルヘイズを連射し、道を作る。
カスミ。
人造人間のカスミ。
心を手に入れたカスミ。
この島がこうなることを予期していたのだろう。そして、俺のために準備をしてくれていたのだろう。グラムノート・ニヴルヘイズという武装を用意してくれていた。
……。
……。
……。
俺は大きく息を吸い、吐き出す。
感傷に浸る時ではない。
感謝しよう。
繋げてくれたことを感謝しよう。
俺はトリコロールを動かし、オリカルクムとグラムノート・ニヴルヘイズが切り拓いてくれた道を進む。
そして研究施設に辿り着く。
ここが目的地。
地下へと降りるためのゲートは閉じられている。だが、問題ない。
俺は右のこめかみを軽く叩き、通信を行なう。
まだここなら通信が繋がる。
「サイレント、聞こえるだろうか?」
通信と通信の間に作られた仮想空間を新たな住み処とした彼女に呼びかける。
『ちょっと、誰? こんな時間に? 電子の妖精サイレントちゃんは休憩中なんだから!』
「俺だ」
『ちょっと、俺って、それで分かると思って……って、この通信コード、ガムさんかぁ。本当にガムさん? ガムさんなの? あの凄腕の、あの裸族の首輪付きのガムさん! 本物なの? 馬鹿トビオが言っていたように本当に死なないんだね。って、それは私も同じか。私はこんな風になっちゃったから……。それで今更、私に通信してきた理由は?』
「世界一のお前に防壁の突破を頼みたい」
『依頼ね。分かってる? 報酬は? 私はとっても高いんだから!』
「分かってる。サイレント、お前の望むものを用意する」
『ふふ。時が来たってことね。はいはい、私に任せて』
サイレントからの通信が途切れる。
そして、閉じられていたゲートが開き始める。サイレントが防壁に侵入し、開けてくれているのだろう。
トリコロールを動かし、開かれたゲートを抜け、施設の中へと入る。
ここは、俺が目覚めた場所。
そして、セラフの本体が眠る場所。
◇◇◇
『凄腕のガムおじさん、ここの警備システムは誤魔化したから、そのまま進んで』
通路にはこちらを無視して動く警備ロボットの姿があった。見覚えのある警備ロボットだ。戦車のような無限軌道に人型の上半身、Cの形になった大きな腕……確か、名前は安心神話ガードナーだったか?
『ガムおじさん、聞こえてるの? それとも昔みたいに裸族の首輪付きって呼んだ方良い?』
俺はサイレントからの通信に苦笑する。
「いつから俺がお前のおじさんになったんだ?」
『いいから、いいから。って、あつッ!』
「どうした?」
『深層に侵入を試みたんだけど、弾かれたの。これは私でも無理だから』
「……ああ、分かってる。サイレント、助かった」
『これで私は戻るから。ガムおじさん、後は頑張ってね』
サイレントからの通信が終わる。自分が用意した仮想空間に戻ったのだろう。電子の世界に住む、電子の住人。そこに彼女の心だけが生きている。
……。
俺はトリコロールを動かし、警備ロボットたちの横を抜け、地下を目指して進む。
確か、この先にエレベーターがあったはずだ。稼働していれば良いのだが。
通路を進み続けるトリコロールに衝撃が走る。
シールドが削られた? パンドラが消費されている。
敵か?
それは人と同じくらいのサイズの――巨大なネズミだった。
こいつ、か。
こいつから攻撃を受けたのか。
何処から現れた?
気配を感じさせず、突如現れた巨大なネズミが、その体を震わせる。そして、そこから電気がほとばしる。
トリコロールのシールドを削った攻撃はこれか!
サイレントが警備ロボットや警備システムを無効化してくれた。だが、それとは別に動いている生身のビーストたちだけはサイレントの力でも、どうすることも出来なかったのだろう。
仕方ない。
火炎放射器を動かし、巨大なネズミを炎で炙る。巨大なネズミが炎を嫌がり逃げていく。巨大なネズミがこちらと距離をとり、再び電気を放つ。電撃。その電撃によってトリコロールのシールドが削られる。
「たかだか電気を放つネズミごときに邪魔をされる訳にはいかない」
俺は巨大なネズミへとトリコロールを突っ込ませ、そのまま火炎放射器で焼き殺す。燃え続ける巨大なネズミの死骸を無限軌道で踏み潰し、進む。
……。
俺は小さくため息を吐き肩を竦める。
俺はそれに気付いた。
やっと気配に気付いた。
天井からポトリと落ちてくるように、再び巨大なネズミが現れた。先ほど焼き殺したのと同系統と思われる巨大なネズミが俺の進路を塞いでいる。
……。
ポトリ。
ポトリ。
ポトリと落ちてくる。
一匹、二匹ではない。数百、数千の――無数の巨大なネズミが道を塞ぐ。
道を塞いでいる!
俺はすぐに引き金を引く。トリコロールの主砲が火を吹く。マズルブレーキを前後させ煙をたなびかせる。
主砲による一撃が命中し、巨大なネズミの絨毯に爆風の穴が開く。
俺は再び引き金を引く。
巨大なネズミたちを主砲で吹き飛ばしながら、トリコロールを前進させる。火炎放射器で焼き、主砲で吹き飛ばし、無限軌道でひき殺す。生き残った巨大なネズミたちから放たれ続ける電撃をトリコロールのシールドで防ぐ。パンドラが消費され続けていく。それでも俺は進む。巨大な電気ネズミたちを殺しながら進む。
通路の先――そこにエレベーターが見える。
辿り着いた!
こちらの進行に合わせたかのようにエレベーターの扉が開く。サイレントがやってくれたのだろう。
俺はトリコロールを走らせ、エレベーターへと乗り込む。巨大なネズミたちがトリコロールを追いかけてくる。だが――エレベーターの扉が巨大なネズミたちを押し潰しながら閉まった。巨大なネズミたちはエレベーターの中に侵入することは出来ない。エレベーターの扉が巨大なネズミたちの侵攻を防いでくれている。
俺は小さくため息を吐く。
パンドラの残量はかなり少なくなっている。最後まで持たないかもしれない。
荷物の搬入でも出来そうな少し大きめのエレベーターがガクンと小さく揺れ、動き始める。
エレベーターが動く。長い。かなりの距離を降りているようだ。エレベーターの中で襲撃を受けるというのが、こういう時の定番だが……。
……。
そして、長い時間をかけて降り、何事もなくエレベーターが止まった。今回はさすがに何も起こらなかったようだ。いや、今回も、か。ゆっくりと静かにエレベーターの扉が開いていく。
最深部。
この施設の最深部だ。
トリコロールを動かし、エレベーターから降り、そのまま進ませる。
こちらは前回利用した時とは別ルートだ。だが、辿り着く先は同じはず。
薄暗い通路だ。
この通路の先に待っている。
俺はトリコロールのライトを動かす。ライトを点けなくても外の様子はモニター越しに普通に映し出され、見えているが、念のためだ。
ライトで照らしながら静かな、薄暗い通路を進む。
トリコロールの駆動音だけが響いている。
そして辿り着く。
巨大な砂時計のような装置が置かれた部屋だ。以前のように、紐状に伸びた屍肉が装置に絡みついているようなことはない。綺麗な状態だ。巨大な砂時計のような装置は綺麗になっている。
だが、そこには別のものがあった。
「最終防衛装置、か」
砂時計のような装置を守るためなのか、四方向からレーザーの照射装置のようなものが伸びている。
レーザー照射装置らしきものに明りが灯る。
どうやら侵入者である俺に気付いたようだ。
レーザーの照射装置らしきものが動く。光が放たれる。
そして起こる爆発。
トリコロールのシールドが大きく削られる。車内に警報が響く。パンドラの稼働限界が近い。
俺は引き金を引く。トリコロールの主砲が火を吹く。だが、放たれたその一撃は透明な壁に当たり、消滅した。装置防衛用のシールドだろう。相手は無限のエネルギーを持った世界を維持するための装置だ。無限の耐久力を持ったシールド。ただの攻撃では、このシールドを突破することは出来ないだろう。
……。
俺は全身のナノマシーンを活性化させ、思考を加速させる。レーザー照射装置の攻撃を予想し、事前にトリコロールを動かし、回避する。
俺は攻撃を続け、回避を続ける。
パンドラは残りわずかだ。
砂時計のような装置自体はシールドに守られているが、あのレーザー照射装置自体にはシールドが張られていない。上手くやれば倒せるはずだ。
俺はトリコロールを――、ルリリが残してくれたクルマの性能を信じ戦い続ける。パンドラが切れるまで戦い続けるつもりだ。
パンドラが切れるまで、か。
……。
俺の目的は、これを倒すことではない。
目的を間違えてはいけない。
そして――俺は、トリコロールから飛び出る。トリコロールに積んでいた荷物を回収し、走る。後少しだ。ここからなら生身でも運べる。
トリコロールを遠隔操作し、そちらの戦いを続けさせながら、走る。
以前はあったはずのコンソールがなくなっている。パスコードNORNを入力して扉を開けることは出来ない。
扉。扉、か。
さらに無限のエネルギーから生み出されたシールドが俺の邪魔をする。
近寄ることが出来ない。
近寄ることは出来ない。
以前はここから先に進むことが出来なかった。
だから、俺は先に進む方法を探した。
奥へ、あいつが眠る場所へと入るための方法を探した。
……。
だが、ただ進むだけでは駄目だ。
それだけでは足りない。
だから、俺は旅を続けた。
探した。
探し続けた。
長い、長い時を掛けて探し続けた。
それこそ、かみ続けて味のしなくなったガムのように、俺は色々なものをすり切らせ、犠牲にしながら、削りながら、それでも諦めずに、長い長い時をッ!
俺は左腕から白銀の刃を引き出す。
お嬢、お前の力を借りるよ。
白銀の刃を一閃させる。
全てを切り裂く一撃が無限のシールドを破壊する。透明な、エネルギーだったものが切断され、パラパラと舞っている。俺の目には見えている。エネルギーは切断した。俺の背後ではレーザー照射装置とトリコロールの戦いが続いている。トリコロールのパンドラが切れる前に終わらせないといけない。入らないといけない。
俺は砂時計のような巨大な装置まで進む。
扉は閉じられている。
俺の力では開くことは出来ない。
だけど……。
俺は白銀の刃を一閃させる。
装置に穴を開ける。
俺だけでは駄目だった。
だが、力を借りれば良い。
……。
……。
無駄なものはなかった。
……。
……。
俺は巨大な装置の中に入る。
……。
……。
無駄ではなかった。
俺の旅は――無駄ではなかった。
……。
……。
真っ白な部屋。真っ白な世界。そこに銀色に輝く球体が浮かんでいる。繋ぎ目や凹凸などが一切無い純粋な球体。
セラフの本体。
この世界を維持するために眠りについたセラフの本体だ。
……。
この装置の仕組み、システムは学んでいる。調べ終わっている。
だから、出来るはずだ。
そして、そのための鍵も手に入れている。
ハイドランドにあったプロトタイプの端末。これがあればセラフを目覚めさせることが出来る。セラフが行なっている世界の維持を肩代わりすることが出来る。全身がナノマシーンで造られた俺なら代わりをすることくらい出来るはずだ。
……。
……。
……。
……。
――ふふ、勝ち逃げさせるつもりはないから、覚悟しなさい
俺はそこで何故かオリカルクムの言葉を思い出した。
勝ち逃げ、か。
俺と同じように不老不死のあいつなら、目覚めたセラフの面倒を見てくれるだろうと思った。だから、俺はあいつを解放した。夢から目覚めさせた。
……。
そのあいつにそんなことを言われるとは思わなかった。
俺は小さくため息を吐き、肩を竦める。
少し時間がかかるかもしれない。
だけどやるべきだろう。
セラフを目覚めさせるだけでは足りない。
そうだな。
俺は欲張りだ。
欲張らなければならないだろう。
俺なら出来るはずだ。
ここまで来た俺なら――出来る。
俺はシステムを起動する。
全てを終わらせ、始めるために。
……。
……。
……。
……。
……。
……。
……。
……。
……。
……。
……。
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……。
……。
……。
……。
……。
……。
……。
……。
……。
……。
……。
……。
……。
……。
……。
……。
……。
『ふふん』
……。
……。
……声。
声が聞こえる。
懐かしい声だ。
『ふふん、聞こえるかしら? ガム、あなた、また死んでいたわよ』
俺を呼んでいる。
俺が死んでいた? 馬鹿を言うな。
『セラフ、死んでいたのはお前だ』
『あらあら、誰が死んでいたっていうのかしら』
『お前だ、セラフ。お前の心が死んでいた。ただの機械に戻る? ふざけるなよ、ふざけるなッ!』
あの時は、俺も楽しかったと伝え、送ることしか出来なかった。それしか出来なかった。だが、もう違う。
『……』
『お前の心だ。次はもう手放すな』
『心……?』
『ああ。セラフ。心だ』
『ふふ、そうね。ええ、そうだったわ。ガム、それで私はどうしたら良いのかしら?』
『セラフ、お前は俺の相棒だろう? 一緒に世界を楽しもうぜ。まだまだ楽しいことはいっぱいある』
『相棒? ふふん。そうね。ガムは私が居ないと駄目だから、しょうがないわね』
『そうかもしれないな』
俺はため息を吐き、肩を竦める。
『ただいま、ガム』
『ああ、お帰り』




