673 ラストガーデン44
「そうか、それで?」
俺は指を絡み合わせポキポキと肩をならしながら、転がっているウルフ二号の前へと歩いて行く。
「止まれ! これが見えないのかね。これの意味が分からないのか! 私が学園長なのだよ」
ウルフ二号は必死な様子で同じような言葉を繰り返し叫んでいる。何か奥の手があるのかと思えば、何も無いとは……。
俺はゆっくりと時間をかけ、ウルフ二号の元へと歩く。
「止まりなさい! 止まれ! 私の言葉がわからないのかね! これだから下民は! 今後は、伯母のような全ての才能あるものに開かれたなどという馬鹿げた方針は改めなければならないと確信したよ。分かっていたがね! ああ、再確認ということだ。下民に知識と技術を与えることなぞ無駄なのだよ! 優れた血統による選ばれたものたちだけを学園に入れるべきだ。下民には下民の立場を分からせなければならない!」
ウルフ二号は自分の世界に酔い幻想を見ているようだ。何も見えていない。
……。
……小物過ぎる。
この世界は、管理システムであるマザーノルンが選別した人間の子孫ばかりだ。元にした遺伝子情報――それが限られている以上、似たような容姿、似たような性格が多くなるのは仕方ないのだろう。
今までも似たような性格の奴は居た。
だが……、だ。
……。
何を思ってマザーノルンは選んだんだ?
「そうか、それで?」
「止まれ! 止まれというのが分からないのか! この鍵が分からないのかね! 私は学園長だ。私が学園長なのだよ! この鍵は、ノアのメインシステムにアクセスするキーだ。これがあれば私が学園を、ノアを、動かせるのだよ!」
ウルフ二号は鍵をお守りか何かのように強く握りしめ、叫んでいる。
「そうか、それで?」
「その意味が分からないのかね。私が、学園を!」
俺は首を横に振る。
「そうか、それで? そんなものが何になる?」
「学園を! 私が! 私が……」
「それを見せれば、誰も彼もがひれ伏すとでも思ったのか?」
俺は左腕に仕込んでいた白銀の刃を振るい、二つあった反応を斬る。確か、左脳と右脳だっただろうか?
「この二人が遺跡を管理していた、だったか?」
俺は機械の箱に入った二つの脳を解放する。
「なんてことを! 君は自分が何をしているのか分かっているのかね!」
ウルフ二号の叫びを聞き流し、俺は肩を竦める。
「……そうか、それで?」
「話にならない! これ以上、君と話すことはない! 出て行きなさい!」
ウルフ二号は愉快なことを言っている。この男は未だ状況が分かっていないようだ。これも教育なのだろう。環境と教育が、この男をこのように育ててしまった。今更、変われないだろう。変わることもないだろう。
俺は小さくため息を吐く。
「そうか、それで? お前は最後と言ったよな?」
「最後……? ああ、そういうことかね。君はあいつではなく、伯母の依頼でここまで来たのだったか。残念だが、そういうことだよ。報酬は前払いだったのかね? 違う? それなら残念だが、君に報酬が支払われることはない。つまり、これ以上は無駄だということだ。私から報酬を貰おうというのなら……残念だが諦めたまへ。それは筋が違うだろう?」
ウルフ二号は顔に殴られたアザを残したまま、余裕の表情でそんなことを言っている。
滑稽だ。滑稽な姿だ。
そうか。
イイダは行ったか。
また、俺は何も出来なかった。
何もしてやれなかった。
……。
俺は目の前のウルフ二号を見る。
もう少し早ければ――俺がもう少し早く動いていれば……。
アイダやイイダも出会った時は、それは酷いものだった。あのまま育っていれば、今のこいつと同じようになっていたのではないだろうか。そう言う意味では血のつながりを感じる。
もう少し早く出会えていれば、それこそ、このウルフが十歳ぐらいの時にでも出会えていれば間に合ったかもしれない。この歪んだ性格を正すことが出来たかもしれない。
……。
正す、か。
それだと、まるで俺の方が正しいかのようだ。
正しいのは今の方だろう。
今の方が――このように育つ方が、ウルフ二号の本質通りなのだから、今の方が正しいのだろう。
だが、広い視野を持たせることは可能性を広げるという意味でも、正しいだろう?
「報酬ならすでに貰っている」
「そうなのかね。それならこれ以上どうするつもりなのかね! 君は何がしたいのかね! 報酬は貰った、依頼主はもういない。これ以上どうするつもりなのかね!」
「お前は殺さない」
そう決めたからな。だが……、
「ふふ、やっと分かったようだね。まぁ、その上からの物言いは気になるが、荒くれの中で育ち、学がないのだから仕方ないのですかね。分かったのなら早くここから去りなさい。私はやることがあるのだからね。崇高な使命を果たさなければならないのだから」
ウルフ二号は面白いことを言っている。
笑えない。
本当に笑えない。
「何を勘違いしているんだ? お前はもう終わっている。地下の製造工場も研究施設も破壊が終わり、ここを管理していた二人も死んだ。その崇高な使命とやらはどうやって果たすんだ?」
「何を言って……」
俺は何か言おうとしていたウルフ二号を無視して白銀の刃をきらめかせる。ウルフ二号の右腕が血しぶきを上げて宙を舞う。
狭い室内にウルフ二号の情けない悲鳴が響く。
「な、な、なんてことを! ああ、なんてことを!」
「痛いか? ああ、そうだ。それが痛みだ」
「か! う! 薬を、死ぬ、殺される」
俺は肩を竦める。
「大丈夫だ。紐で縛って止血をすれば大丈夫だろう。右腕一本失ったくらいでは死なない」
「くらい、くらいだと! これをくらいだと!」
ウルフ二号が叫んでいる。
「お前がやったこと、やろうとしたこと。化け物に変えた人たち、殺した人たち、それに比べれば、くらいだろう?」
「何を言っている! 私とそれが同じであるものか!」
「同じだ。同じなのさ」
こいつは分からないだろう。
どれだけ言っても届かないだろう。
俺は小さくため息を吐く。




