635 ラストガーデン06
無駄に時間を取られてしまったが、わざわざ人目がない場所にまで誘い込み、俺からどういった目に遭わされたか分からないようにし、こいつらのちっぽけな誇りを守ってやった。余程の馬鹿でなければ、これ以上俺に絡もうとしないだろう。俺にとっては無駄でしかないこんなことはこれで終わりにしたい。
今後のことを考えれば、この無駄な時間は無駄にならないだろう。
俺は校舎に戻り、その中を歩く。そのまま人気の無い道を――隔離されている場所を目指し歩く。俺以外に生徒の姿は見えない。真新しかった壁が古いものへと変わっていく。誰も居ない。こちら側に来るものは居ないのだろう。
俺は廊下を塞ぐように立てられていた看板をどかし、古くなった校舎を歩く。
俺は静かに、身を潜め、誰も居ない古びた校舎を探索する。俺は右のこめかみをトントンと軽く叩く。ここに監視カメラのようなものが無いのは事前の調査でわかっている。だが、油断することは出来ない。こんな時こそ、予想外の出来事が起こるのだから――
「こんな場所に何の用だね」
通路の先から男がスッと現れる。
そう、こんな風に。
俺は男の存在に――小さくため息を吐き、肩を竦める。
「ここは?」
現れた男は顔に手をあて、やれやれという感じで首を横に振る。
「君は例の転入生か。こんな場所に何の用だね」
俺は小さく頷く。
「ああ。その例の転入生さ。迷子になってしまってね」
「ここには何も無い。学舎は向こうだ。このまま真っ直ぐ進み、右手に曲がれ。そこだ」
男は俺の後ろを指差す。来た道を帰れと言っているのだろう。
「そうか」
俺は現れた男の背後を見る。
「その態度、口の利き方、君はずいぶんと勘違いしているようだ。前の場所で目上には敬意を払えと習わなかったのかね」
現れた男は呆れた顔で俺を見ている。呆れてはいるが、俺の態度に腹を立ててはいないようだ。俺のような態度をとる生徒はいくらでも居たということだろうか。それともその程度、どうでも良いと思っているのだろうか。
「敬意? 必要か?」
「君は色々と足りていないようだ。よく私の学園に……いや、そうだったか」
現れた男は一人で自問自答して何やら納得している。
「君の実家が裕福であろうと、ここでは君以上の家門の子も居る。痛い目に遭う前にその態度は改めた方が良い。これは年長者からの助言だ」
俺は現れた男のそんな言葉に肩を竦めて返答の代わりにする。
「それで、ここには何の用で来たのかね」
「言っただろう、迷子になったと。学生らしく好奇心旺盛でね。ふらふらと学園を探索していたら、ここに来た。それだけだ」
俺はもう一度肩を竦める。
男は大きなため息を吐く。
「ここはこの学園が設立された時に作られた校舎だ。いつ崩れてもおかしくないくらい古くなっている。そのため、とても危険だ。君は転入生で知らなかっただろうが、そういうこともあって、ここは立ち入り禁止になっている。立ち入り禁止の札を出していたはずだが、見えなかったか? まさか文字が読めないとは言わないだろう? 君の好奇心を満たすようなものはここに何も無い。わかったかね」
「そんな場所であんたは何を?」
「本当に……君はまず目上に対する態度を学ぶべきだね。私はこの学園の学園長だ。ここには取り壊し前の調査に来ている。これで君の好奇心は満足したかね。満足したなら戻りなさい。ここは古くなって危険だからね」
目の前の男はそんなことを言っている。
思わず口角が上がる。
「学園長? そうか。わかった。戻るとしよう」
俺は男に背を向け、来た道を戻る。
学園長が代わったという話は聞いていない。俺がこの学園に転入するにあたって会った教師たちの中にこの男は居なかった。
では、この自称学園長は誰なのか?
俺は大きくため息を吐く。
男の顔に見覚えがある。
似ている。
そう、よく知っている顔に似ている。
正直、また現れたのかという気持ちが強い。それだけ飽き飽きとしている。こいつが本人では無いということは分かっている。アレと同一視しては駄目だとわかってはいるが、これだけ似ているとどうしても同じ人物のように考えてしまう。
それだけ俺の中で忘れ難い記憶なのだろう。
子は親に似るという言葉もあるが、行動まで似る必要は無いだろう。いや、こいつの場合は孫になるのだろうか。母親側の遺伝子がずいぶんと強かったようだ。容姿だけでなく、性格や行動まで似るとはずいぶんと皮肉だ。皮肉なことだ。
俺は足を止める。
男は未だこちらを見ているようだ。背に視線を感じる。俺が消えるまで動かないつもりなのだろう。
「なぁ、学園長、あんたの名前を聞いても良いだろうか?」
俺は振り返らず、学園長を名乗った男に聞く。
「何故、そんなことが知りたいのかね」
「ただの興味さ」
俺は肩を竦める。
「そうか。私の名前は……ウルフだ」
……。
俺は思わずため息が出る。
名前まで同じか。
もうその名前には飽き飽きとしている。聞きたくなかった名前だ。
あの女は自分の子どもに、尊敬する父親の名前をつけただけなのだろう。ただ、それだけのことだ。
だが――
本当に、ずいぶんと皮肉なことだ。




