634 ラストガーデン05
俺は少年を見ながら、かつての自分を思い出していた。それは俺が俺である前の俺ではない俺の時の記憶。
俺ではない。
それは俺ではない。
今の俺はただのガムだ。
だが、俺ではない俺の記憶も、今の俺を作った要素の一つだ。それを否定する気は無い。俺はガムとして目覚めてから長く生きてきた。その流れからすれば、それは――その時の記憶は、一瞬に近い時間の、出来事でしかない。だが、それでも俺という根源を作ったのは師匠との出会いであり、その時の俺の記憶だった。
俺がこの学園にやって来た理由の一つが、この少年だ。少年の方から俺に接触してきてくれたのは助かった。
……本当に勇気のある奴だよ。
俺は少年に俺の技術を叩き込む。戦うための技術を叩き込む。この少年の才能が格闘技術に無いだろうことは分かっている。俺が少年に出来ることはこれしかない。俺が連中を追い払うのは簡単だ。だが、それは違うだろう。それは少年が自分の力で行なうべきことだ。そう、そして、それを手助けすることは出来る。これが少年の状況を変える一助になれば幸いだ。
いつものように少年を鍛え、戦うための技術を教える。
……。
その後、俺は普通に学園を歩く。そして、小さくため息を吐く。
俺が気付いていないと思っているのだろう。気配を隠すことなく、ただ物陰に隠れているだけの愚か者が――愚か者たちが俺を尾行している。
俺はあえて人気の無い場所へと歩いていく。
一人、二人……三人、か。
誰が俺を尾行しているのかわかっている。わかりきったことだ。
学園の裏庭と呼んだ方が良いだろう薄暗い場所へと向かい、俺はそこで足を止める。
「たくよぉ、何処に向かうかと思えば、こんな場所に来てどういうつもりだ?」
「おいおい、おあつらえ向きな場所だなぁ、おい」
「可哀想によぉ、俺らがお前を追いかけてるなんて気付かなかったんだろうなぁ」
現れたのは予想通り三馬鹿だ。
俺はリーダー格の少年を見る。この少年のご先祖とは縁があり、よく知っている。だが、それはあくまでそいつとの関係であり、このクソ餓鬼とではない。俺がこいつに躊躇する理由にはならない。
だが――
こいつはあいつが自分の力で越えるべき壁だ。糧だ。今後のことを考えても、ここで俺がやってしまうのは不味い。
「面倒なことになったな」
俺は大きくため息を吐く。
「はぁ? たくよぉ、何が面倒だ」
「自分がどうなるかの心配をしたらどうだ?」
「おいおい、スカした顔しやがって、状況がわかってんのか、状況が」
三馬鹿は楽しそうにニヤニヤと笑っている。これから自分たちが振るう暴力を想像して楽しくなっているのだろう。
「時代が変わっても、こういう輩は変わらないな。人の遺伝子に組み込まれたエラーなのだろうか」
俺は何度目になるかわからないため息を吐き、肩を竦める。
「ああ? 何をワケの分からないことをよぉ!」
取り巻きの一人が俺に殴りかかってくる。型も何も無い、ただ己が力に任せた一撃だ。なんともまぁ、お粗末なものだ。
俺はその一撃を躱す。
「たくよぉ、避けやがったな。避けたな。良いのか、避けてよぉ!」
「おいおい、避けんじゃねえよ」
「死にさらせ」
取り巻きの二人が殴りかかってくる。俺はその場から動かず、上半身の動きだけでその攻撃を避けていく。あえて反撃はしない。
「お前の後ろに何が居るか調べたけどよぉ、何も無いようだな。たくよぉ、クソ、紛らわしい下民が。下民ごときがさぁ、お前みたいな下民が避けて良いのか? 俺に逆らって良いのか? 今後、どうなるかわかっているのか? 俺たちに逆らって生きていけると思っているのか? 俺はあの大商会ビッグエスの生まれだぞ。俺のバッグにはビッグエスがあるんだぞ。お前も、お前の家族も外を歩けなくしてやろうか? 何が面倒だ。お前のそのスカした面がいつまで保つか見てやるぜ」
リーダー格の少年がそんなことを言っている。バッグ? 袋に入れていると言いたいのか?
……。
にしても、こいつは、ずいぶんとずる賢い奴だ。
口では下民だなんだとそう言いいながら、俺のことを疑っている。何かあるのでは無いかと探っている。そして、言い訳が出来るように自分からは――自分だけは手を出さないようにしている。そんなこともわからない取り巻きの二人は、リーダー格のこいつの権力をあてにして俺に暴力を振るい続けている。
なんともまぁ、滑稽な姿だ。滑稽な話だ。
「避けんじゃねえよ!」
「おいおい、面倒な奴だぜ。はぁ? 面倒とかワケの分かんないことを言いやがって、こっちの方が面倒だってぇえの!」
取り巻きの二人は一生懸命に攻撃を続けている。
「面倒? 俺が面倒だと思った理由が知りたいのか? 俺が手を出さず、残しておかないと駄目だとわかっていても、降りかかる火の粉をそのままに出来るほど、俺は我慢強くない。だから面倒だと思った」
俺は殴りかかってきた取り巻きの一人の――その拳を掴み、強く握る。
「ぐ、は、放しやがれ」
「な、何やってんだよぉ!」
殴りかかってきたもう一人の拳を躱し、顔面を掴む。
一人は俺に拳を握られ、そのまま手を押さえ、地面に押さえ付けられている。もう一人は顔面を握られ、持ち上げられている。二人を捕まえ無力化した。
このままこいつらを握りつぶすのは簡単だ。
……。
俺は大きくため息を吐き、掴んでいた手を放す。
「が、はぁ」
「はぁ、はぁ、な、何しやがる」
「次は無い。これ以上、俺に関わるな」
俺はそう言い、二人を転がす。そして、リーダー格の少年の横を抜け、その場を去る。
リーダー格の少年は怯えた表情で――だが、怒りに震え、拳を強く握りしめていた。




