006 プロローグ03
巨大なネズミが飛びかかってくる。
はじめて出会った生き物は敵対的で、しかも大きなネズミ、か。今年はねずみ年だったか? そんなことを考えている間にもネズミの鋭い牙はこちらに迫っている。普通に猫くらいは噛み殺しそうな大きさのネズミだ。自分の腕くらい簡単に噛み千切られてしまうだろう。狙っているのは血だらけの手、か。血の匂いに惹きつけられたのだろうか。
とっさに血だらけの手を引き、巨大ネズミの噛みつきを回避する。
ネズミは襲いかかってきた。
ネズミが大きく口を開け、こちらを威嚇している。大きいと言ってもネズミの大きさは4、50センチほどだから、馬鹿でかいというほどではない。それでも今の自分には脅威となる大きさだ……脅威、だよな?
ネズミがこちらを威嚇している。
何で、このネズミはこんなにもやる気に満ちているんだ。何を食べていたらこんなにも大きくなるんだ?
……。
白骨化していた死体を思い出す。
食料、か。コイツからしたら自分は食料、か。
その巨大なネズミが再び飛びかかってくる。
何か武器は? 何か戦う為の道具はないか!?
周囲を見回す。あるのはとても動かせそうにない良く分からない機械の山と配管だけだ。
武器は――無い。
それならッ!
左手の指を二本だけ伸ばし、握る。そのまま指を飛びかかってきた巨大なネズミの瞳に突っ込む。目玉をえぐり出すように下から中へ深く突っ込む。そのまま奥の柔らかい部分までぐちゃりと指を突き刺し、かき回し、すぐに引き抜く。
飛びかかってきた巨大なネズミが自分の横を抜ける。
着地したネズミがすぐにこちらへと向き直る。片方の瞳から血の涙を流し、威嚇するように叫ぶ。そして、再び飛びかかろうと動き、その足をもつれさせた。
倒れたネズミは口から何か汚らしいものを吐き出し、ピクピクと痙攣している。
まだ生きている。野生の動物だけあって恐ろしい生命力だ。
痙攣しているネズミの近くまで歩く。ネズミは口から何かを吐き出し続けている。
……このまま生きていても辛いよな。
ゆっくりと自分の足をあげ、その頭に落とす。ぐちゃりという嫌な感触とともにネズミの頭が潰れる。汚れた足を嫌な臭いのする白衣を引き裂いて作った布で拭く。この白衣、本当に酷い臭いだ。ネズミの悪臭にも負けていない。何かまともな服が見つかったらすぐに着替えよう。それに、このまま着続けていると、ネズミが大きくなったような、何か嫌な副作用が起きるかもしれない。
出口を求めて部屋の中を歩く。
そしてついに見つける。
扉だ。部屋の外への扉だ。
だが、その金属製の扉は何か外から強い力を受けたかのように中程から折れ曲がり開かなくなっている。
……。
その開かない扉の横にはタッチパネルのようなものがくっついていた。多分、本来はこれを操作すれば扉が開くのだろう。
……。
扉は壊れているので開かない。まぁ、扉が無事だったとしても、だ、電源が来ていないので開かなかっただろうな。
ここから出るのは無理だ。
他に出口はないのだろうか。
この部屋は広い。薄暗く、しかも機械や配管が邪魔で全体が分からなくなっている。だが、いくら広いといっても、ちょっとした体育館程度の広さしかない。それらしいところは全て見てまわったはずだ。だから、今、ここで、外への扉を見つけることが出来たとも言える。
つまり、他に出口はない。
出口が一つなのも、この部屋が特殊だから、だろう。良く分からない棺が並んだ部屋だ。良く分からない? いや、何となく予想は出来ている。だけど、それを信じたくないだけだ。記憶が殆ど残っていない今、それを信じるのは酷く……辛い。
管理するために、守るために、出口は一つ。当然だ。
その出口が開かない。
……。
詰んだ、か。
ここで何も出来ないまま、何も思い出せないまま、餓死するしかないのか。いや、それよりも先に出血死か。
……。
こんな、酷く寒く、悪臭の充満した密室で、白骨死体やネズミの死骸と一緒に死を待つだけ、か。
……。
いや、待てよ。
ネズミ。
そう、ネズミだ。
生きているネズミが、何処から? ネズミが一緒に閉じ込められていた? 違う。違うはずだ。では、何処から?
天井を見る。
薄暗い室内になれてきた目で天井を見る。そうだよな。この部屋の換気は? 換気の行われない部屋があるとは思えない。
天井を見ながらもう一度室内を探索する。
そして、見つける。ネズミの死骸の近くにある壁の上部分に穴が開いていた。それこそ、先ほどのネズミが何とか通れるほどの穴だ。以前は換気扇のようなものがくっついていたのかもしれないが、今は何も無い。何か強い力で削られたかのようにボロボロの穴が開いているだけだ。
もしかすると、あのネズミは、自分の――人の気配に気付いて、ここからこの部屋にやって来たのだろうか?
その可能性もある、か。
配管に手をかけ、壁を上る。布を巻いた血だらけの手が滑りそうだ。歯を食いしばり、配管を登っていく。そして、穴に手をかける。
これで穴の中で新しいネズミと『こんにちは』なんて状況になったら……。
壁の穴の中に自分の体を押し入れる。自分の小さな体でギリギリだ。これが、もし、もっと大きな大人の体であったら……穴の中には入れなかっただろう。
芋虫のように腹ばいで穴の中を進む。そして、抜ける。着地する。
新しい部屋だ。そこまで広くない。あるのは机と椅子、か。その机の上には四角く奥行きのある古くさいデザインのディスプレイが置かれている。ブラウン管だろうか。
……いや、ブラウン管のディスプレイよりも気になる物が、ある、な。
白骨死体だ。
椅子の上には机に突っ伏した形の白骨死体があった。その頭蓋骨は何かの衝撃によって破損していた。何かの衝撃? 分かりきっている。
その白骨死体の垂れ下がった手の先にハンドガンが落ちている。
ハンドガンを拾い、マガジンを外す。残弾は、なし。多分、自殺用に銃弾を一発だけ入れていたのだろう。
自殺、か。
……。
初めての武器だ。拾っていこう。もしかしたら、何処かで弾が見つかるかもしれない。
やっと部屋の外には出られた。まぁ、また部屋だけどさ。