059 クロウズ試験26――婉曲巨人
巨体がまた腕のようになった観音像を振り回す。それだけで建物が揺れる。こいつが動いているだけで、この廃工場はどんどん崩壊していく。終わりが近づく。
だが、どうする?
くっ。
一旦後退――逃げるしかない。
歪な巨人はだだをこねる赤ん坊のように腕を振り回している。俺は巨人を無視して逃げる。くそっ、このまま破壊され続けたら本当に工場が倒壊してしまう。
くそッ。
だが、命の方が重要だ。出来れば倒したいが、それにこだわって命を失ってしまえば本末転倒だ。
走る。
動いているものが気になるのか、逃げる俺を追いかけるように腕が振るわれる。巨人の腕が追いかけてくる。大きく質量があるからか、その単純な動きが速い。油断すると叩き潰されそうだ。巨人の腕をすり抜け、躱し、滑り抜け、走る。
走る。
走り、巨大な腕の攻撃範囲を抜け、そのまま逃げる。
階段の辺りまで戻ってきたところでガタイが良かっただけのおっさんとドレッドへアーの女に出くわす。
「おい、どうしたんだ」
「逃げろ」
おっさんに忠告する。このおっさんは建物が揺れているというのに危機感が足りていない。いや、おっさんを気にかけている場合ではない。俺は階段に足をかける。そのまま駆け上がろうとしたところで、その俺の腕が掴まれる。
「何が起きているか言え」
ドレッドへアーの女だ。
俺は足を止め、振り返る。
「この揺れが分からないのか。巨大なマシーンが暴れている。このままだと建物の崩落に巻き込まれるぞ」
「巨大なマシーン? はぁ?」
ドレッドへアーの女が馬鹿にするような目で俺を睨んでいる。俺は女を睨み返す。
……。
「餓鬼らしく逃げるのかよ」
何処か病んでいるような瞳になったドレッドへアーの女がこちらを煽るように笑う。
ちっ。
俺は階段にかけていた足をおろす。
俺だって倒せるなら倒したい。だが、武器がない。
だから、逃げても仕方ないだろうが。
だろう……が。
……。
……。
……。
逃げる、か。
違う。
違うよな。
……随分と弱気になっていたようだ。この性根の腐ったドレッドへアーの女に煽られて、それに乗った――という訳ではないが、ここで逃げてどうするというのだろうか。
勝てなさそうだから、と諦め逃げだしたのは自分らしくなかった。状況判断や戦力分析は重要だ。生きていれば逆襲するチャンスだってある。だが、敵が強そうだからと何もせずに尻尾を巻いて逃げるのは違うだろうよ。
試したか、俺は何か行動したか。
ただ、手がないと逃げただけだ。
俺は頭を振る。
「見た方が早い。こっちだ」
俺は二人を連れて来た道を戻る。
そして、赤ん坊のように腕を振り回して暴れている巨体が見えてくる。破壊が進んでいる。残された時間はあまりないかもしれない。
俺は二人の方へと振り返る。
「お、おい。なんだよ、あれは! あんなの無理だろうがよ!」
ガタイが良かっただけのおっさんが巨人を見て叫んでいる。ドレッドへアーの女は馬鹿みたいに大口を開けて呆然と立ち尽くしていた。
「聞きたい。何かあれを倒す手段があると思うか? あれを止めないと、この建物は崩れるだろう」
二人に聞いてみる。あまり期待していないが、もしかすると何か良いアイディアが生まれるかもしれない。昔から言うからな、三人集まればなんとやらだ。
「分からねぇ、分からねぇよ。あんなのを倒せないとクロウズになれないのかよ。狂ってるだろ」
おっさんは現実から目を背けるように頭を振っている。
俺はドレッドへアーの女を見る。そのドレッドへアーの女がゆっくりと口を開く。
「ロッドが、私のロッドがあれば……」
ロッド? この女が持っていた長い棒のことだろうか? それがあったところで何か変わるとは思えない。だが、この状況でもそれを求めるくらいだ、何かあるのだろう。
「それがあれば、この状況がなんとかなるのか?」
ドレッドへアーの女がゆっくりと頷く。
「分かった」
『ふふん、信じるのぉ?』
セラフの声が頭の中に響く。
『信じる、信じないではないさ。あれを倒す可能性があるなら、それを試してみるというだけだ』
『ふーん』
それだけ言うとセラフは黙る。何が言いたかったのだろうか。
いや、今はセラフよりも、そのロッドとやらを見つけることが先か。何処にある? そのロッドとやらはフールーが隠したと思われるが……何処だ? 隠すなら何処だ?
俺が上の階層で新人殺しを倒して戻って来るまでの間しか隠す時間はなかったはずだ。何も難しいことはないはずだ。単純に目覚めた二人が武器を持たないように――この二人の手が届かない場所に武器を隠しただけのはずだ。
きっとこの周辺にあるはずだ。
『ふふん。お前の探しているものなら、そこにあるから』
セラフの声と共に右目に光点が灯る。
ぽつんと小さな赤い光が一つ。
その場所は……まさか。
「おい、死ぬつもりか」
俺はおっさんの制止を無視して巨人の方へと踏み込む。
そして見つける。
巨人の胴体部分に、ここからだと爪楊枝にしか見えないものが刺さっている。棒だ。あのドレッドへアーの女が持っていた長い棒だ。
冗談じゃないぞ。何故、あんな場所に……。
……。
そうか。
あの巨人がこの階層を破壊した時にこぼれ落ちたのか。それがたまたま、巨人の胴体に刺さった、と。
「おい、小僧!」
おっさんの叫び声で俺の目の前に巨人の腕が迫っていることに気付く。巨人の薙ぎ払い――逃げられない。
俺はとっさに手を伸ばし、巨人の腕とぶつかる瞬間、その巨人のパーツになっている観音像の頭を掴み、飛び上がり、薙ぎ払われた腕を乗り越える。そのまま地面へと落ち、転がる。体に衝撃が走る。それでも無理矢理、立ち上がり、体勢を整えようとした瞬間、右肩に激しい痛みが走る。右腕が動かない。
無理な体勢で飛び越えたからか、着地に失敗した時に右肩を打ち付けてしまったようだ。肩が上がらない。動かない。
『くっ』
だが、足は無事だ。走る。
逃げる。
巨人から距離を取る。
二人の場所へと戻る。
「ロッドは見つけた」
「何処!」
ドレッドへアーの女が食いついてくる。
「あそこだ」
俺は動く左腕で巨人の胴体を指差す。




