536 その後・前
彼が私の隣に居るのはいつの間にか当たり前になっていた。
彼がやって来たのはいつだっただろうか。
彼はふらっとこの街にやって来た。
知人を訪ねに来たということだった。
「……スミ、協力して欲しい」
「必要でしょうか? ……様は自分の意志で礎となり、眠っているのです。復讐を終え、旅を終えられたあの方を呼び覚ますというのですか?」
「そうかもしれない。そうなのだろう。これは俺の自己満足かもしれない。だが、眠っているだけなんだろう? いつかは起きる、起こしてやる必要がある。あいつにまだまだ見せたいものがある。知りたいこと知って欲しいことがある。この地を囲っていた壁は崩れ落ちた。外の世界への道が開けた。一緒に行きたいんだ。俺の旅には相棒が必要だ」
「……分かりました。後は死を待つだけのこの身ですが、私で出来ることなら協力いたします」
彼女は私の母親代わりの人。いいえ、母だった人。バンディットにさらわれていたところを父が助け出した。だけど、その時のショックで体が動かなくなっており、喋ることしか出来なくなっていた。笑うことも出来ない。表情の変わらない顔で、動かなくなった顔で私を教え、導いてくれた人。表情がなくても、私には分かった。母の気持ちが伝わった。
動かない体――それでも母は私に色々なことを教えてくれた。
外の世界のこと――本当に沢山のことを教えてくれた。
戦い方は父に学んだ。父はそれしか出来ない人だった。ただ敵を斬る、それだけの人だった。私への接し方が分からないのか、ただただ、私を鍛え、敵の斬り方を見せてくれた。
ただそれだけだった。
心が荒む。
私を見て、私を見ていない。
心が荒んでいくのが分かった。
私は父の配下を連れ、父から得られないものの憂さを晴らすように暴れていた。父は何も言わない。何もしない。ただ、敵を斬るだけだった。
街を支配している父の娘。そんな私に逆らえる人は居なかった。ただ一人を除いて。
それが母だった。
母が居なければ、私の心は折れていたかもしれない。
母だけが私を見てくれた。私を支えてくれた。動けない体で、それでも私を諭し、私を私にしてくれた。
だから、私は私として生きる道に進めた。
人の道に戻って来ることが出来た。
――母が死んだ後は彼が私の親代わりだった。
ただ敵を斬ることしか出来ない父に代わり、彼が私の親となった。彼も最初はただ戦うことしか出来ない人だった。だけど、父とは違い、私を見てくれた。
「うーん。ここでカレー粉を入れるんだったか? 分からない。どうだ?」
「情けな。そんなことも分からないの?」
「今まで料理をしたことがなかったからな。食事なんて栄養が取れれば充分だろう?」
「ふん。美味しい料理を食べたら心が幸せになるの。母が言っていた。そんなことも知らないの?」
「心……、そうか、あいつはそんなことを言っていたのか」
何も言わない父。私に関心を持たない父。母が死んでからは、それは特に酷くなった。ただただ敵対する者を斬り殺す、ただそれだけの人になった。
私は親代わりになった彼と二人で暮らしているようなものだった。
「私を置いてかないよね? 一人にしないよね。母みたいに私を置いていかないよね?」
「一人に……か」
私の言葉を聞いた彼は、凄く寂しそうな顔をしていた。そして、何か決意した様子で私を見た。
「分かった。俺は一緒に居る。居なくならない」
彼は何か目的があって、この街に来たはずだ。母と話をしていたのも、その目的のためだったはずだ。
だけど、彼は私の我が儘で、それを……。
私が彼を縛った。
私の言葉が彼を縛ってしまった。
だけど、それからの毎日は楽しかった。
本当に楽しかった。
抜け殻のようになった父。
「お前はここにいろ。お前の居場所はここにしかない」
それでも私を抑えつけ、私を街に閉じ込めようとした父。
その父から反発するように私は街を出た。
私を縛るものはない。
心さえあれば、何処にだって好きに行ける。
自由になれる。
私が彼の自由を奪ったのに、私は自由になり、自由を満喫したのだ。
「気にするな。俺も楽しかったよ」
「そうかい。それは良かったよ。ふふ、ありがとう」
私はゆっくりと、だがしっかりと、彼に感謝の言葉を告げた。




