053 クロウズ試験20――閑話休題
「動けない、動けないだろう。その注射はね、筋肉を緩ませるんだよ」
男の口に生えたスピーカーからは楽しそうな声が響いている。
「しかし、良く気を失わなかったね。分かる、分かるよ。それだけ優れたクロウズだったんだね。クロウズを二人も送り込んでくるとは思わなかったけど、無駄足だったね。聞こえているか? 聞こえているよね、オフィスのクソども。この端末を介して声を、映像を見ているんだろう? だが、お前らには何も出来ない。お前らが送り込んできたゴミのようなクロウズは死ぬ、死んでしまう。俺には辿り着けない」
男が近づいてくる。転がっていた頭を拾ってからこちらに来るまで、その時間は三秒。充分な時間。
楽しそうにペラペラとおしゃべりをしている分を考えればもう少し余裕があるかもしれない。
「ふふふふ」
思わず笑みがこぼれる。
「な、んだと。笑い声だと。動くことは出来ないはずだ、笑えないはずだ」
気付かれてしまった。油断していた。でも、それだけ楽しかったのだから仕方ない。
「ふふふふふ」
さらに笑う。
そして、一気に掌握する。
「何だ、その目は! 何している、何をするつもりだ」
頭を抱えた男が困惑している。
ピキピキと音を立て、右目から広がるように線が走り、表面を硬質化していく。皮膚が元の群体へと変わり、ナノインジケーターを介して仮面を作っていく。
起き上がる。
「ふふん、体の造り替えには、もうしばらく時間がかかりそう。仕方ないから、今はこの姿で我慢かな」
「お前は誰だ、何者だ。何故、動ける、動いた。何をしたっ!」
鬱陶しい前髪を掻き上げる。
「ふーん、それをお前のような雑魚に言う必要がある? ざぁこ」
「雑魚だと! いや、なるほど。動けたのは体の一部をサイバー化していたからか。だが、それを予想していないと思うか? 多少、動けたところでどうにもならない、ならないんだよ」
男は人が出せる速度の限界を超えて飛びかかってくる。だが、見える。
鋼糸を巻き付けるように動く男の右腕。その右腕を手に持ったナイフで切り落とす。続いて左腕を切り落とそうとナイフを動かす。だが、生意気にもその動きを読んだ男が左腕を動かす。男の左腕が人の可動域を越え、逆方向へと折れ曲がる。それでも動く。左腕がこちらのナイフを避け、ぐるりと周り、鋼糸を動かす。ナイフを持っていた手を引き、その勢いのまま鋼糸を絶ち切る。男の抱えていた頭の口にあるスピーカーから二本の針が射出される。左手の指で飛んできた針を挟み込む。そのまま男の頭にナイフを突き刺す。血が流れない。ナイフをすぐに引き抜き、後ろ手に回す。背後から飛んできた光弾を、ナイフで弾く。目の前の男を蹴り倒す。
「ふふふん。それでどうしたの? やっぱり雑魚だって証明したかったの? 馬鹿なの?」
「どうして対応出来る。人では対応出来ない速度を、動きをしているはずだ。まさか覚醒系の薬剤か。そこまでするのか!」
スピーカーからは雑音混じりの声が発せられている。
「ざぁこ。だーかーら、誰がお前の質問に答えるって? そんなことも分からないなんてほぉんと馬鹿なの?」
男の頭を踏み潰す。勢いをつけて落とした足が男の頭を粉々に砕いていた。血は流れていない。乾いている。この男は死んでから随分と時間が経っている。骨と皮だけだ。
「おいおい、酷いじゃないか」
背後から掠れたような声が飛んでくる。
振り返ると、そこには大きな体の個体がheavensをこちらへ向けていた。
――heavens。パンドラ充填型のハンドガン。天空を模したデザインと取り回しの良さを兼ねただけの拳銃。パンドラがあれば無限に弾が撃てるのは魅力的、でも攻撃性能は低い。
「ふふふん。そんな玩具でどうするつもり?」
「お、おい、助けてくれ。体が勝手に……そう、この体は掌握している、しているんだよ。凄腕のクロウズさんはどうするつもりかなぁ……な、何とかしてくれ」
声のところどころにノイズが混じっている。
「盾にしているつもりなの? 馬鹿なの?」
盾にすらならない。馬鹿にするように、威圧するようにナイフを構える。
「おやおや、人を救うためのクロウズがそんなことを言って良いのか」
heavensを持った個体が自分の体を指差す。
「た、助けてくれ。どうなってるんだよ、おい!」
「とのことだ。それとも……」
思わずため息が出そうになる。
「何を勘違いしているのか知らないけどぉ、私がそれを考える必要ってあるの? ばぁか」
「おいおい、人を守ることも出来ない雑魚なのかな」
「ふふふん。口だけは一人前の雑魚」
こちらの返事を待つよりもはやく向こうが光弾を放つ。それをナイフで弾く。
「やれやれ、厄介だ。そのナイフは、そこに転がっているクロウズが持っていたものだろう。普通はそんなものでエネルギー弾を弾けるはずがないんだが……何をやっている、何をしている?」
「ざぁこ。お前が雑魚だから分からない」
喋りながらも飛んでくる光弾を弾く。
軌道、位置予測、全てを読み、エネルギーの方向を逸らし、弾く。
「だが、これならどうだ、どうだ!」
転がっていた頭の無い男が立ち上がる。続くように、今持っているナイフを扱っていた男の体も起き上がる。銃弾で撃ち抜いてボロ雑巾になっていた男もゆらりと起き上がる。頭上からは長い棒を持った女が飛びかかってくる。頭上から振り下ろされた長い棒を躱し、その体にナイフを突き刺す。血が飛び散る。だが、女性体の動きは止まらない。すぐにナイフを引き抜き、邪魔にならないように蹴り飛ばす。
すぐに次が迫る。動き出した個体がこちらを取り囲むように迫っている。
「無駄無駄、無駄アァ! なぶり殺しになるぞ。それとも、この善良で操られているだけのかわいそうなヤツらを殺すのか、それしかないよなぁ!」
周囲の個体全てから同じ内容、同じ声が発せられている。
顔半分を覆っている仮面に手をやり、ため息を吐き出す。
「雑魚」
ナイフを振るう。
「え……?」
そのノイズ混じりの声を最後に何も聞こえなくなる。
この個体たちを操っていた糸を――中継していた糸を切る。それだけで個体たちは動かなくなり、バタバタと倒れる。
「ほんと、雑魚」
そのまま走る。
階段を駆け上がり、砂嵐が舞う地上に出る。だが、見えている。大きく信号を飛ばしていた範囲に入る。その中心部を目指す。
レーダーに表示していたのは砂嵐ではない。この信号と、それが届く範囲。信号は人の視覚と聴覚を誤魔化し、あたかもそこに砂嵐があるように見せかけていた。さらにサイバー化した個体向けに電子機器を狂わせる電波まで飛んでいた。
音と振動、それに猿を使って、あたかもそこに砂嵐があると錯覚させていた。
でも、それだけ。
本当にそれだけ。
私には意味が無い。
信号の中心部を目指し、走る。
「な、なんだと! 何故、どうやって!」
そして、こちらに気付いた個体が驚きの声を上げる。
「これで雑魚だと自覚できた?」
「いや、まだだ。人形を操るから俺自身が弱いと思ったのか!」
興味がない。あのくそノルンを破壊して取って代わる前座にもならない雑魚だ。
「ふふふん。この体を掌握する手助けをしてくれたから、お礼に一瞬で終わらせてあげる」
「新人殺しの人形師、賞金額一万コイルの力を見せてやる」
こちらに注意を向けるように大きな声で喋っている。
それを無視して歩く。
背後から、横から、上から、光線が飛ぶ。注意を向けさせ、意識の隙を突くかのような攻撃。だけど、それだけ。
歩く。
ただ歩く。
「何故、当たらない! まるで攻撃が自ら外しているように……まさか制御を奪われた? いや、そんな形跡はない、動いている!」
わざわざ、この程度の制御を奪う必要はない。
射線を見極め、光線の位置を予測し、最小限の動きで当たらないように避けているだけ。本当にそれだけ。それだけのことも分からない雑魚。
だが、制御を奪うのも面白いかもしれない。
自身の仮面に触り、そこから極小の端末を精製する。そして、それを飛ばす。
「な、制御が奪われた? な、何故!?」
こちらに向けられていた銃口を全て目の前の個体に向ける。
「やぁっと自分が雑魚って認識出来た?」
「何をした!」
「はい、では死んで」
複数の光線が個体を貫く。
それで終わりだ。
「ふふふん、本当に雑魚。では、このままノルンの元に行きましょうか。あ、でも、その前に下のゴミを片付けていくのも悪くない」
歩く。
と、その足が止まる。
「え?」
自分の左腕がガクガクと震える。震え出す。
「な、何?」
左腕が動かない。制御が効かない。
そして、その左腕が自分の顔面を、右半分を覆っている仮面に叩きつけられる。
「ちょ、調子にのるな、セラフッ!」
仮面が砕け散る。
『はぁ! 私が倒したところで制御を取り戻すなんて、狙っていたの! 馬鹿のくせに狙っていたの!』
『やっと薬の効果が切れただけだ』
『そんなはずはない! あの筋肉を弛緩させる薬の成分は最初に中和している。お前が動けなかったのは私に群体の制御を奪われていたから、なのに!』
『好きに言っていろ』




