005 プロローグ02
薄暗い室内に浮かび上がった立体映像――まるでギリシャ神話に出てくる女神のような姿をした長い髪の少女の映像が浮かび上がっている。整った容姿の……整いすぎた人形のような少女。
映像の少女が口を開き何か喋っている。だが、その声が聞こえない。映像だからだろうか。
映像に手を伸ばす。手が映像を貫通し、浮かび上がった立体映像が揺らぐ。
立体映像の少女は何かを喋っている。唇の動きから何を喋っているか分からないだろうか?
……。
言葉?
何故、自分は、この立体映像の少女が何処の国の言葉を喋っているのかも分からないのに、唇の動きで言葉が分かると思ったのだろうか。それが分からない。
そして、自分がそんなことを考えている内に電池が切れたかのように映像はかき消えた。映像が浮かび上がっていた辺りを見ると、そこに円形のガラス板のようなものが落ちていた。仕組みがどうなっているのかは分からないが、これが先ほどの立体映像を映し出していたようだ。
円形のガラス板を拾い、よく見てみる。ただのガラスの板にしか見えない。中に配線などの類いは見えない。どうやって映像を出力していたのか良く分からない。もしかすると、これは映像の受信機なのだろうか。でも、何故、急に映像が浮かび上がったのだろうか。自分が目覚めたから? だとすると、先ほどの映像の少女は自分に関することを何か喋っていたのだろうか。
分からない。
分からないことだらけだ。
歩きにくい大きめの白衣の裾を切り裂く。そして機械と配管によってごちゃごちゃとした薄暗い室内を調べる。すぐに調べられる範囲で見つかった棺の数は八つだ。一つだけ空っぽの棺があり、その他には全て人骨が入っていた。空っぽなのは自分が出てきた棺と、その一つだけ、か。
この棺は何なのだろうか?
自分が割って出てきた棺からは冷気が漏れている。棺の下の方には無数の配管が伸びている。もしかすると、この配管が冷気を中に送り込んでいるのかもしれない。
と、そこで棺の横に金属製のプレートがくっついていることに気付く。名札だろうか? これは自分が何者だったのか――自分のことを思い出す手がかりにならないだろうか?
自分が入っていた棺のプレートを見る。
年月が経ちすぎているのか文字が掠れていて殆ど読めなくなっている。それでも何とか分かる部分を読み取る。
――gam
アルファベットが使われている。ガム? 名前だろうか。
他の棺も確認してみる。いくつかは読み取ることが出来なかったが、それでも分かったものは……。
――tan
――chal
――less
タン、チャル、レス……この棺に眠っていた人たちの名前だろうか。そうなると自分の名前はガムになるのか?
……。
他に何かないだろうか。
薄暗い室内をよろよろと歩き、探す。
扉。そうだ、扉だ。探すなら扉だろう。
とりあえず、この部屋から外に出ることが重要な、そんな気がする。
外に出るための扉を探す。
地面の至る所に広がっている配管に足を引っかけて転けないように注意しながら歩く。その途中で白骨死体を見つける。棺の外に出ている骨はこれで二つ目だ。こちらは何も身につけていない。骨だけが残っている。
本当にここは何処なのだろうか?
あるのは骨になった死体ばかりで生きている人が居るようには思えない。
……これは不味い。
まずは寒さだ。白衣を身につけたと言っても裸よりはマシという程度だろう。次に出血、怪我。そして、ここにはまともな水も食べられそうな食糧もない。水は、最悪、配管に付着している水滴を舐めても良いかもしれない。だが、それは本当に最後の手段だ。良く分からない配管――どんな有害な物質がにじみ出ているか分かったものではない。
食べ物と水、外に出るための扉を探して歩く。人がすっぽりと収まるほどの棺が並んでいただけあって部屋はかなり広い。ちょっとした体育館くらいの広さはあるような気がする。あくまで多分、だが。
積み上げられた良く分からない機械の残骸と鉄骨、配管。それらに仮組みのような形で道を塞いでる鉄骨が邪魔して部屋の様子が良く分からない。
そして三つ目の人骨を見つける。今度は白衣の袖部分だけが残されていた。
何故、袖だけが残っているのだろうか?
いや、待てよ。おかしい。
最初の白骨を見つけた時に、自分は、何故、疑問に思わなかったのだろう。
残っていたのは骨と白衣。
そう、白衣だ。
白衣だけが残されている? そんなことがあるのだろうか。下着は? 服は? つまり、その人物は全裸に白衣だけを身につけていた変態になる。
そんなことがあるだろうか?
そして、この白骨死体だ。何故、袖部分だけが残っている?
おかしい。
白衣の袖部分を拾う。ここだけが残っている理由は何だ?
ん?
よく見ると残っている袖部分には大きな染みのようなものがある。
染み?
何か薬品が付着していたのだろうか?
匂いでも分かれば……。
匂い?
そうだ、匂いだ。
何故、匂いのことを意識していなかったのだろうか。
そうだ、この白衣の袖からは匂いがする。染みた薬品の匂いが残っている。どれだけの年月が経っているのか分からないが、それでも分かるほどの強烈な匂いが残っている。
あ、ぐ。
思わず自分の鼻をつまむ。臭い。
それは、今、自分が身につけている白衣の匂いだった。白衣全体から何か強烈な刺激臭がする。何か、長い年月をかけても取れないほど強い薬品が染みこんでいる?
何故、分からなかったのだろうか。
こんなにも臭いのに。
怪我と出血で必死だったから分からなかった? そんなことがあるのだろうか。まるで匂いのことを認識したから嗅覚が生まれたかのような、そんな急激な変化だ。
そして気付く。
周囲からは酷くかび臭く、すえたような匂いが漂っている。腐った臭い、腐敗臭。
そして、その匂いが、酷く強い匂いが漂っている場所がある。
匂いの元を見る。
そして、それと目が合う。
匂いの原因。
今にも飛びかかってきそうな様子で待ち構えていた、それは巨大なネズミだった。