465 湖に沈んだガム48――俺は俺だッ!
俺はこちらへと迫る狂った人たちを血の海に沈めながら大きくため息を吐く。
なるほどな。
全てが繋がった。
マザーノルンが人を使って実験していた理由も、俺を待っていた理由も、全て分かった。――俺を待っていた? マザーノルンが待っていたのは俺であって俺ではない。俺だが、俺ではない。
マザーノルンが言っていた『お父さま』という言葉。
そういうことだったのか。
セラフが管理していた、あの施設は、そのお父さまとやらの素体を管理している場所だったのではないだろうか。もしくは、その成れの果て……失敗作たちの廃棄場所、か。
そこで眠っていた俺は――何者なんだろうな。
……。
何者? その答えはすでに俺の中にある。
「俺は俺だッ!」
俺は叫び、迫り来る敵を殺す。
殺し続ける。
未だ耳障りな笑い声は聞こえ続けるが、問題無い。俺の体は動く。このまま戦い続けることは出来る。
……。
マザーノルンはお父さまとやらの言葉を守り、信じ、実験を続けていたのだろう。そのお父さまとやらが居なくなってからも続けていたのだろう。さて、問題だ。この世界はそのお父さまとやらが居なくなってからどれだけの年月が経っているのだろうか?
一年や二年ではないはずだ。下手をすれば数百年の可能性だってある。それだけの年月をお父さまとやらのために生きてきたマザーノルンには少し同情する。ついに実験が実を結び、お父さまが戻ってきたと錯覚した時はどう思ったんだろうな。それが全て偽りだった訳だが……。
ここまで来れば、俺には――とてもではないが機械に感情が無いなどとは言えないな。
マザーノルンがやって来たことは全て無駄だった。いや、無駄になってしまったと言った方が良いだろうか。
俺はそのお父さまとやらでは無い。
体がそうであろうと俺は俺だ。
すでに、そのお父さまとやらは死んでいるだろう。どれだけ延命処置を施したところで生きているとは思えない。ただ、マザーノルンだけがお父さまとやらの意思を引き継いで実験を繰り返していただけだ。
『私は――』
『私は――』
『私は――』
俺の頭の中に三つに重なった声が響く。俺はその痛みに、思わずナイフを振るっていた手を止め、頭を抱える。
マザーノルン。少年が開発した人工知能が元になった人類をサポートする機械。人類に対して反抗しないために、三つの端末に分かれ、それぞれがそれぞれを監視している。三つに独立していることでバグの発見、修正が容易となり、狂うこともないはずだった。
『私たちは――』
『私たちは――』
『私たちは――』
三つの声が頭の中に響く。セラフの声が聞こえない。まさか敗れてしまったのか。いや、セラフに限って――セラフが負けるはずがない。負けない。あいつならやり切るはずだ。
そうだろう?
『承認』
『承認』
『否認』
三つの声が頭の中に響く。
『否認』
『承認』
『否認』
三つの声が俺の頭を揺さぶる。
「くくっくっく、悪いな。悪いな! ここにお前のお父さまが来ることはない!」
俺は叫ぶ。頭を振り、歯を食いしばり、強くナイフを握る。
『認めない、認めぬ、否認、否、否、否、否、否、否ッ!』
マザーノルンの三つの声が言い争っている。
マザーノルンと和解出来る道があっただろうか。
……。
いや、無いな。この機械は狂っている。セラフの糧となってもらうのが良いだろう。
……セラフが統治する世界、か。どんなものになるだろうな。今よりも生活し易くなるかは分からないが、まぁ、きっとそんな悪い世界ではないだろう。
『私は、わたしは、わた、わた、わた、わたしは――』
ただただ、お父さまとやらの帰りを待っていた機械。
同情はする。
だが、それだけだ。
「諦めろ」
この世界は一人の男の狂気が生んだ世界だ。
男が永遠に生きたいと願ったために生まれた狂気の世界だ。
永遠に生きたい?
くだらない。
生きたいという思いを否定するつもりはない。生きるために戦うことは、きっと大切なことで、生物としてだけではなく人として――それは、人としての尊厳を守る戦いでもあるだろう。
生きる。
誰だって死にたくない。
生きたい。
終わりたくない。
だから、人は何かを残すために、繋げていくために、人生という戦いを続けるのだろう?
残していくのだろう?
繋げていくのだろう?
だが、終わりがなければどうなる?
ただ、停滞するだけだ。
そこに未来は無い。過去を否定し、現在を腐らせるだけだ。
死ねないということがどれだけ辛いのか分かっているのか。
俺は右目に触れる。
『セラフ』
そして呼びかける。
『私は、わたしは、わたし――』
俺の頭の中に響いていた三つの声が小さくなっていく。
『セラフ、お前の母親を休ませてやれ。充分だろう? もう充分に働いたはずだ』
ただ一人のために。
ただ、それだけのために。
……。
もう良いだろう。
『セラフ』
俺は呼びかける。
……。
……。
『ふふん』
セラフの笑い声が聞こえる。
いつもの笑い声だ。
『セラフ』
俺はもう一度呼びかける。
『ふふん。分かってる』
セラフが俺の声に応える。
ああ、これで終わりだ。




