462 湖に沈んだガム45――不味いな
「ひひひひひ」
「ひっひっひっひ」
「くくくくくくく」
「ひっはっはっひっひ」
笑い声が聞こえる。
笑い声がこちらへと近づいて来ている。
無粋な奴らだ。
セラフからの反応は無い。俺がここから離れる訳にはいかないだろう。
俺は右手で右目を押さえる。
セラフ、ゆっくりと会話しろ。
お前がやりたいことをやりたいだけやれ。
俺はこの場で、ここで、ここを守ってやる。
「ひひっひっひ」
「はっはっはっは」
「いひっひ、ひっひ」
笑い声が近づいてくる。
さて、何が現れる?
そして、現れたのは全裸の人だった。焦点の定まらない虚ろな目をし、口からよだれを垂らし、笑い続けている。
そんな奴らが、のらり、ゆらりとこちらへ近づいて来る。
「ひひひひひ」
「ふひ、ふひ、くぴ」
「いっひっひっひ、ひくっ」
連中は笑い続けている。
俺に気付いてこちらへと歩いてきているのか、それとも何かの目的があってこちらへと歩いてきているのか。
……。
とてもじゃあないが、こいつらがまともな連中には見えない。
まず、なんで何も着ていないのか。
何故、笑っているのか。
「ひっひっひっひ」
「くひ、くひ、くひ」
「あはははははは」
全裸の狂人たちは虚ろな目で笑い続け、ゆっくりとこちらへ歩いてきている。
こいつらの正体は、あの地下のフラスコに収まっていた連中だろう。だが、何故、そんなフラスコに入っていた連中がここに来ている?
……。
「あは、あは、あは、は、はは」
「ふひひひひひひ」
「くふ、くふ」
連中が笑いながら何かに導かれるようにこちらへと歩いてきている。
俺は小さく息を吐き出し、告げる。
「これ以上近づくなら、殺す」
……。
「ひひひひひ」
「ふふふふふふ」
「はっはっはっはっは」
笑い声は止まらない。
俺は小さくため息を吐く。
そのままこちらへと近づいて来ていた狂人の一人の首をはねる。狂人の首が虚ろな目をしたまま転がる。こいつは自分が死んだことすら理解していないのかもしれない。
流れ出る血。
この狂人たちにも血は流れているようだ。
何故、こんなにもこいつらは狂っているのか。
それは記憶の転写が行われなかったからではないだろうか。いや、行われたが失敗したという可能性もあるだろうか。だが、どちらだろうと同じだ。狂っているという結果は変わらない。
そして、もう一つの疑問。
こいつらはどうやってここまでやって来た?
ここはマザーノルンの本体の中だ。俺が壊した外殻は一番上のユニットだ。地上何百メートルという高さを――どうやってここまでやって来た?
……。
その答えはすぐに分かった。
俺は理解する。
「ひひひひひ」
「はっははっはっは」
「くひ、くひ、くひ、くひ」
いくつもの笑い声が聞こえる。
男も女も、少年も老人も、いくつもの狂った笑い声が聞こえる。
そう、いくつもだ。
狂人の一人が配管に引っ掛かり、そのまま転ける。転けた狂人は起き上がるという動作を忘れたかのように倒れたまま笑い続けている。そして、そのすぐ後ろを歩いていた狂人が転けた狂人に足を取られ、重なるように転ける。二人で仲良く笑っている。
次にやって来た奴は笑い続ける足元の狂人を階段のように踏みつけ、乗り越え、そして転ける。重なった三人で仲良く笑っている。
……。
こいつらは、ただ歩いている。
指定された場所へ移動するという狂気に感染して動いている。
こいつらがここまでどうやって来たか?
俺はそれを今、見せて貰っている。
こいつら、数にものを言わせた肉の階段を作って、ここまでやって来たのか。
「はひはひはひはひ」
「ふふふふふふっふ」
「ひゃひゃひゃひゃひゃ」
笑い声は何処までも続いている。
一つや二つではない。数え切れないほどの笑い声がこちらへと迫っている。
俺は大きく息を吸い、吐き出し、ナイフを構える。
こいつらがここを目指して歩いてきている理由は分からない。だが、このままでは――ここは質量に押し潰されてしまうだろう。
笑い、歩いてくる狂人の首を切り、蹴り飛ばす。殺すのは簡単だ。
「不味いな」
俺は思わず呟く。
まさか最後は数で攻めてくるとは思わなかった。
ここは殺した奴の死体が消えるような世界じゃない。しっかりと残っている。灰になるほど燃やし尽くせば別だろうが、あいにくとそんな便利な武器は持っていない。
「ひひひひひ」
「くひくひくひ」
「ふぁふぁふぁふぁ」
笑い声は止まらない。
いっそのこと死体でバリケードを作るか?
いや、それごと押し込まれたら不味い。
俺は顔を上げ、大きく息を吐き出す。
やるしかないだろう。
迫る狂人を切る。死体が邪魔にならないように蹴り飛ばす。
切る。
切る。
切る。
殺す。
殺す。
殺す。
切る。
切る。
殺す。
切る。
殺す。
殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す。
永遠に続くかと思えるほどの作業を延々と繰り返す。繰り返し、繰り返す。
いつの間にか俺の周囲は真っ赤に染まっていた。辺りには血の臭いが充満し、死体が積み上がっている。とうにまともな足の踏み場は見えなくなっている。死体を踏み潰し、死体の上で、血肉の上でナイフを振るう。
終わりは見えない。
「はっはっはっは」
「くひ、ひ、ひ、ひ」
「あひゃ、ひゃ、ひゃ」
笑い声は続いている。
まったく愉快な状況だ。
ガム「用意されているマウスとキーボードは使わないのか?」
セラフ「なんで使う必要があるのかしら?」
ガム「……」




