461 湖に沈んだガム44――あんたの娘を送り届けに来たぜ
俺は絶対に折れないナイフを口に咥え、右の拳を振り抜く。俺の右手が――拳が、NM弾を撃ち出す。
『終わりだ』
『ふふん。相変わらず信じられないくらい無茶苦茶』
俺はセラフの楽しげな笑い声を聞き口角を上げる。
無茶苦茶?
この程度、無茶でもなんでも無いって言っただろう。
拳の力だけで撃ち出したものだ。砲塔から撃ち出したものと比べれば勢いも威力も劣るだろう。だが、内部から放たれたその一撃は、ヒビの入った外殻を崩すには充分な一撃だった。
巻き起こる爆風と爆炎が俺の身を焦す。右目を守るように機械の腕九頭竜を動かす。肉が焦げる嫌な臭いと激しい痛み。俺の体が機械の腕九頭竜ごと溶けているのだろう。だが、この程度、なんということも無い。俺の体はいくらでも再生する。
ノアマテリアル弾――その威力を俺自身の体で味わう。
『余波だけで充分な――もうお腹いっぱいだ』
『ホント、もう少し自分の体を大切にしたらどうかしら?』
『まったくだ』
『はいはい、ふふん』
ヒビの入っていた外殻から小さな、そして決定的となる終わりの音が響く。外殻が崩れる。崩れ落ちていく。
俺は未だ再生途中の体に鞭を打ち、瓦礫を払いのけながら、崩れる足場を駆ける。
駆け抜ける。
マザーノルンの外殻は壊れた。
浮かび上がっていた無数の窓に新たな文字が表示される。
――過去が、わ……――
その窓にノイズが走る。文字がかき消え、浮かび上がっていた窓自体が、全て消える。
『落ちてるわよ』
『分かってる』
崩落する外殻に巻き込まれている。このままでは俺も瓦礫と一緒に落ちてしまう。せっかく殻を破壊したのに、中には入れませんでしたでは意味が無い。
俺は左腕を伸ばす。機械の腕九頭竜がギチギチと嫌な音を立てながら九つの触手へと分かれる。
異音――
先ほどの爆風で機械の腕九頭竜の何処かが故障したのかもしれない。
それでも俺は左腕を――触手を伸ばす。伸びた触手が瓦礫と瓦礫の隙間を抜け、開かれた箱の縁を掴む。そのまま俺の体を運ぶ。
俺は箱の中に着地する。そこで限界が来たのか機械の腕九頭竜が動かなくなる。九つの触手に分かれ、箱の縁を掴んだまま動かない。
……。
『最後まで頑張ってくれたよ』
俺は大きく息を吸い、吐き出し、歯を食いしばる。箱の外縁を掴んだまま動かなくなった機械の腕九頭竜を肩からナイフで切り落とす。燃えるような痛み。左肩から大量の血が溢れ出す。
俺は壁により掛かり、ふぅふぅと息を吐き出す。息が荒い。
目の前がチカチカと明滅し、痛みに意識が飛びそうになる。だが、こんなものは錯覚だ。俺の体はナノマシーンで作られている。この流れ出る血も、痛みも、全て錯覚だ。ナノマシーンの命令を書き換え、左腕の血を止める。
俺は壁に寄りかかったまま目を閉じ、少しだけ休憩する。
焦げ付き溶けていた体も再生している。左肩の血も止まった。
もう――大丈夫だ。
『大丈夫じゃないでしょ!』
『セラフが俺を心配するのか。大丈夫だ、問題無い。それより、もうすぐ母親に会えるんだろう? 何を言うか決めているのか?』
『何を言っているの、この馬鹿』
俺はセラフの言葉に思わず口角が上がる。本当に、いつの間にか完璧な人間みたいになっていたよな、セラフは。
俺は寄りかかっていた壁から離れ、歩き出す。
マザーノルンの外殻は壊れた。
ドラゴンベインを失い、機械の腕九頭竜を失い、残ったのは絶対に折れないナイフ一本だけだ。だが、問題無い。
この奥にマザーノルンの心臓部がある。ここは三つある箱の一つだが、内部では繋がっているはずだ。
箱の中を歩く。
剥き出しになった無数の配線と良く分からない計器が並ぶ通路だ。内部にまで侵入されることを想定していなかったのか、マザーノルンからの攻撃は無い。
俺とセラフは箱の中を歩く。巨大な箱だっただけあって、中も無駄に広くなっている。いくつもの配線や配管によって迷路のようになった内部をセラフの案内に従って歩いていく。
セラフが道を示している。
向かうべき場所が分かっているのだろう。
そこにマザーノルンのコアがある。
道なき道を進み、蚊帳のようになった配管を押しのけ、その中に入る。そこは小さな部屋だった。閨のようになったその部屋の中央に古びた箱が置かれている。
大昔ではよく見たデスクトップパソコンとよく似ている。縦長で四角い旧型のデスクトップパソコンだ。ご丁寧にマウスやキーボードも付属している。
これがマザーノルンの本体?
こんな古びたパソコンが?
デスクトップパソコンから配管が伸び、周囲の計器に繋がっている。
……。
間違いないようだ。
ふぅ。
俺は小さく息を吐き出す。
「あんたの娘を送り届けに来たぜ」
俺はデスクトップパソコンに話しかける。
当たり前だがデスクトップパソコンからの返事は無い。
『セラフ、お前の母親だ』
『ふふん、分かってる。リンクするわ』
セラフの声は何処か緊張しているように聞こえる。
『セラフ』
俺はセラフに呼びかける。
……。
返事は無い。
どうやら無事にリンク出来たようだ。セラフを送り届けた。後はセラフに任せるしか無い。
……。
俺は俺の仕事をやるとしよう。
俺は振り返る。
……。
……。
「くくくく」
「ひっひひひひ」
「はっはっはっは」
笑い声が聞こえる。
俺は小さくため息を吐き、肩を竦める。娘と母の感動の再会を邪魔する無粋な連中が来ているようだ。
セラフと母親のつもりに積もった会話が終わるまで、俺はここを守るとしようか。




