459 湖に沈んだガム42――……多分、大丈夫だ
鎌を持った少女人形の顔面を殴り、怯んだ隙をつき、その足を払う。体勢を崩した相手を蹴り飛ばす。ぐしゃりと何かを潰した感覚が蹴った足に広がる。
さて、これで倒したのは何体目だ?
ガロウから獄炎のスルトの人形まで様々な敵が現れている。だが、どれも一度は倒した相手だ。今の俺の敵ではない。俺の記憶から生まれているからか、どの敵もこちらの想定内の行動しかして来ない。そんな相手にどうやったら負けるというのだろうか。負ける要素が見当たらない。
問題は――終わりが見えないということだ。次々と敵が現れていることと、そのどれもが一度は倒した相手だということから、ここが俺の精神世界であることは間違いないだろう。だが、終わりが見えない。永遠とイメージトレーニングをさせられている。
「強制的なイメージトレーニング、か」
どうすれば終わる?
どうやれば抜け出せる?
現実ではどれだけの時間が経っている?
焦る。
心が逸る。
ふぅ。
俺は大きく息を吐き出し、額の汗を拭う。
焦りは禁物だ。
どれだけ敵のことを知っていても、想定内の行動しかしない相手だとしても、焦っていては勝てるものも勝てなくなってしまうだろう。待っているのは死だ。
……。
負けたらどうなる?
この精神世界で死んだらどうなる?
俺は自分の手を噛む。
……。
痛みはある。
血も流れている。
精神世界での自傷行為で目が覚めることはなさそうだ。敵からの攻撃でも同じだろう。となれば、この精神世界での死は精神の死に繋がるのではないだろうか。
心の死――それはナノマシーンによって構成され、肉体的に死ぬことが無い俺を殺す方法。
死なないはずの俺が死ぬ。
それは本当の終わりだ。
……。
負ける訳にはいかない。
勝ち続けるしか無い。
ここで心折れる訳にはいかない。
セラフは俺を起こすために行動しているはずだ。あいつが何も行動しないなんてあり得ないだろう。だが、それを待っているだけでは駄目だ。俺からも行動しなければならない。
だが、どうする?
どうやって?
……。
……。
戦いながら考える。
俺は、俺たちは諦めない。
ここまで来てこの程度のことで負ける訳にはいかない。
考えろ。
考えるんだ。
現れた人型の巨大ロボットが振るう拳を避け、その拳に飛び乗る。そのままその腕をつたい、人型ロボットの頭まで駆け上がる。殴る。顔面を殴る。人型ロボットの顔を殴る。拳が砕けようが関係無い。殴る、殴る、殴る。
殴り続ける。
殴りながら考える。
……。
考える?
そう、ここは精神世界だ。
俺の心に広がっている世界だろう。
では、それを生み出しているのは何だ?
脳。
俺の脳が生み出している。
そして、その脳もナノマシーンによって作られている。
マザーノルンは俺の脳を構成しているナノマシーンを狂わせ、この状況を作り出しているのでは無いだろうか。いくらマザーノルンでも、直接、命令を書き換えることは出来ないのだろう。だから、こういった回りくどい方法で時間を稼いでいる。
俺は大きく息を吸い、吐き出す。
ナノマシーン。
思考。
構成。
命令。
覚悟を決めろ。
……。
俺は首を横に振る。
違うな。
元から覚悟は決まっている。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」
俺は気合いを入れるように叫ぶ。獣のように吼える。そのまま、俺は、右手の指を自分の頭へと突き刺す。
ここは精神世界だ。
こうやって脳に指を突っ込んでも、現実の俺がそうなっている訳ではない。あくまでイメージだ。
だが――、
そう、だが、だ。
イメージは繋がる。
俺の体はナノマシーンで構成されている。その命令を書き換えろ。
自分で自分を改造するんだ。
ナノマシーンの操作?
俺なら出来るはずだ。
俺の体を構成している何十兆ものナノマシーン。その全てに指令を出す必要は無い。俺の思考を司る脳だけで充分だ。脳を構成している一千億個近い数のナノマシーン。その一個一個に指令を出す。
脳を書き換えるんだ。
不可能では無い。
自分を信じろ。
一千億個近い数。その一個一個を認識し、命令を書き換える。普通の人ならば不可能だろう。だが、俺なら出来るはずだ。ナノマシーンで構成されている俺なら出来るはずだ。脳の領域を百パーセント使用し、さらに拡張する。創り変え、拡張し、それが出来るような形に変え、命令を書き換え、正常な元の状態へと戻す。
脳をいじる。
……。
……。
『……っ、』
声が聞こえる。
『……っと、』
声が聞こえる。
『ちょっと、』
いつもの声が聞こえる。
『ちょっと、だ、』
いつも? そう思ってしまうほどの時を一緒に過ごした。
『ちょっと、だいじょ……』
セラフ。
セラフの声だ。
セラフの声が聞こえる。
『ちょっと、大丈夫なの?』
セラフが何度も俺に呼びかけている。
……。
「ふぁいふぉーふ、だ」
俺は口を動かし、答えを返そうとし、それが上手く出来ないことに気付く。口が上手く動かない。脳を操作した影響だろうか。
『大丈夫だ』
俺はいつもの方法でセラフに返事をする。
『ちょっと、脳が異常なほど活性化して、あり得ないほどの電気信号が流れていたけど、本当に大丈夫なの?』
『……多分、大丈夫だ』
もう元に戻っているはずだ。
『それで? 今の状況を教えてくれ』




