454 湖に沈んだガム37――セラフ
警報が鳴り響く中、ナイフを振るう。その全てが道化の少年に紙一重で躱される。どうやら俺の動きが見切られているようだ。
『なるほどな』
『あらあら、何がなるほどなのかしら。こんなことをやっている場合じゃないと思うんだけど、馬鹿なの?』
俺はセラフの言葉に苦笑しながらナイフを振るう。
「はっは、随分と余裕があるようだね。笑っている余裕は無いと思うんだ。ほら、すぐそこまで迫っているよ」
警報は止まらない。
「そうか。それは大変だ」
俺はナイフを振るう。道化の少年はその一撃を紙一重で回避する。道化の少年の顔にこちらを小馬鹿にするような笑みが浮かんでいる。
『なるほどな』
『何がなるほどなのかしら』
俺は道化の少年が躱したと思った瞬間を狙い、上体を捻り、肩を動かす。ナイフを持った腕が少しだけ伸びる。紙一重で回避したと油断している道化の少年の頬をナイフが裂く。
……かすっただけか。
「おやおや、見切れなかったのか?」
だが、一応、煽っておく。
「はっは、面白いことを言うね。それじゃあ、こちらもやっちゃおうか」
道化の少年が頬の血を拭い動く。こちらを掴もうとしているのか手を伸ばす。俺はそれを右手で払いのけようとし、すぐにその右手を引っ込める。無理な体勢のまま大きく飛び退く。
俺は自分の右手を見る。払いのけようとした右手――その手の甲の皮が無くなり、真っ赤な肉が見えていた。皮が剥がれたのではない、その部分だけが抉られ無くなっているようだった。
『なるほど』
『ちょっと、大丈夫なの?』
俺の体はナノマシーンで構成されている。そして、どうやらこの道化の少年は触れるだけでナノマシーンの命令を書き換えることが出来るようだ。触れられた部分の命令を書き換えられ、その部分がえぐり取られたのだろう。再生が始まる気配も無い。
『どうやら俺の方が油断していたようだ』
この道化の少年がナノマシーンの操作に長けていることは分かっていたはずだ。それを考慮しなかったのは油断でしか無いだろう。
「はっは、やっちゃうよ、やっちゃうよ」
道化の少年が楽しそうに笑いながら両手を振るう。攻守が入れ替わり、今度は俺がそれを避ける。
「はっは、そんなに大きく避けていると逃げ道がなくなっちゃうよ」
「確かに、な」
俺は左腕を前へと突き出す。
『セラフ』
『ふふん。任せなさい』
左腕が九つに分かれ、鞭のようにしなり道化の少年へと襲いかかる。
「はっは、これが奥の手かい。驚いちゃったよ」
道化の少年が鞭のようにしなる九つの触手を指で弾き、防ぐ。防いでいく。変則的に動く九つの鞭をあっさりと防がれたことには驚きだが、さすがにそれだけで手一杯のようだ。俺は圧を掛けるようにジリジリと近寄っていく。
その道化の少年がニヤリと笑う。
『セラフ』
『ふふん。分かっているから』
俺は攻撃を止め、大きく飛び退く。その俺の横をミサイルが抜ける。巻き起こる爆発。俺は機械の腕九頭竜を盾のように広げ、爆風から身を守る。
「はっは、音で気付いたのかな」
爆炎の中から無傷の少年が現れる。
「お前の間抜けな表情で気付いたのさ」
俺がそう言うと道化の少年は不機嫌そうな顔になった。
「はっは、うっかりやっちゃったよ。でも、どうするのかな? 次々とやってくるよ。もう逃げ道はないよ」
未だに警報は鳴り響いている。
そして、この道化の少年が言うように警備の機械たちが集まり始めていた。先ほどミサイルを放った機械だけではない。何体もの機械がこちらへと迫っている。
集まってきた警備機械がミサイルを放つ。俺はその軌道を読み、躱す。躱しながら道化の少年を殺すためにナイフを振るう。奴からの攻撃は九つに分かれた機械の腕九頭竜で受け止める。
警備機械のミサイルは俺の横を抜けていく。まるで俺を援護しているかのように俺が居ない場所へと着弾している。道化の少年がミサイルによる爆炎を鬱陶しがっている。
『ふふん』
セラフの笑い声が頭の中に響く。
『セラフ、得意気なところ悪いが、この機械連中を支配することは出来ないのか?』
『あらあら、行動予測しているだけ感謝して欲しいんだけど』
この機械連中は別にセラフの支配下にある訳では無い。ただ、機械の行動を予測し、こちらに有利になるように誘導しているだけだ。だが、そんなことはこの道化の少年には分からないだろう。機械が自分と敵対したと思っているはずだ。
「はっは、雑魚は敵と味方の区別がつかないんだね。壊しちゃうよ、構わないよね、構わないよね!」
道化の少年が叫んでいる。道化の少年が俺から離れ、集まってきた機械の破壊へと向かう。
『ふふ……ふーん。ちょっと数が多すぎるかも。それに近接型も来たみたいだし、そろそろ限界だから』
セラフの余裕の無い声が頭の中に響く。どうやら不味い事態のようだ。それを肯定するように右目に映し出されていた敵の行動予測が全て埋め尽くされ真っ赤に染まる。
俺は覚悟を決める。
右目は真っ赤に染まっているが、それは無数の線が重なった結果に過ぎない。全て埋め尽くされているように見えても攻撃が同時だという訳では無い。
道化の少年は、敵だと見なしたのか集まってきた機械を壊している。
俺は走る。
爆炎を躱し、道化の少年と距離を詰めるために走る。
集まってきた機械の機銃が掃射され、ミサイルが飛び交い、鉄の刃が迫る。俺を飲み込み、次々と爆発が起こる。
道化の少年は身を守ろうと動き――それを俺は捉えた。
「はっは、ここで僕と相打ちになるつもり? 無駄だよ、無駄なんだよ!」
道化の少年は俺の行動を自爆覚悟の特攻だと思ったのかもしれない。
爆発と爆炎が俺を容赦無く飲み込む。体が焼け、溶け、爛れる。普通なら命は無いだろう。だが、俺の体はナノマシーンで構成されている。爆撃に飲まれた方が、この道化の少年に掴まれるよりも余程安全だ。
爆炎の中から道化の少年が現れる。どうやったのかしっかりと生き延びている。だが、それはお前だけではない。
俺は体を再生させ、ナイフを握り直す。再生が間に合うように着弾のタイミングは見切っている。そして、生き延びた安堵で油断している道化の少年の首へとナイフを振り抜く。
「俺はアマルガムではなく、ガムだ。地獄に行っても忘れるな」




