439 湖に沈んだガム22――セラフ
「あらあら、あまり驚かないのね」
セラフの人形は器用にがっかりしたような表情を作っている。
「ある程度は予想していたからな。こんなのは良くあることなんだろう?」
俺は肩を竦める。ここに入る前のセラフの言葉である程度は予想していた。その予想から大きくは外れていなかったようだ。
「はいはい」
「それで、これはなんなんだ?」
俺は改めて水槽を見る。浮かんでいる人のようなものの数は一つや二つどころではない。数千、いやもしかすると数万規模かもしれない。この建物全体が、この人のようなものを飼っている巨大な飼育小屋だ。
「ふふん。いいわ、教えてあげる。クルマを降りてついてきなさい」
「クルマから降りていいのか?」
「ちょっとした寄り道だから。ふふん、大丈夫よ」
セラフの人形がドラゴンベインのハッチを開けて外に出る。俺も後を追う。
「こいつら生きてるんだろう?」
俺は水槽をコンコンと叩く。硬い。異常な硬さだ。もしかすると戦車砲でも破壊が出来ないかもしれない。建物の壁が脆かったことに比べると異常な堅固さだと言えるだろう。何故、そこまでする必要がある? この人のようなものはそこまでして守らないと駄目なものなのか?
「ふふん。一部は生きているし、一部は死んでいるわ。精神的な死って言うんでしょ、確か」
セラフの人形は器用に表情を変え、ニヤニヤと笑っている。随分と悪趣味な表情だ。俺は肩を竦め、セラフの人形の後を追う。
「で、何処に行くつもりだ? マザーノルンの場所に直行する前に遊んでいても大丈夫なのか?」
「ふふん。すぐそこだから。それにここまで来たらゆっくりしても同じでしょ」
セラフの人形が案内した先にあったのは顔を覆うタイプのゴーグルだった。
「これは?」
「ふふん。つければ分かるわ」
俺は肩を竦め、ゴーグルを装着する。
「なるほどな」
そして、ゴーグルの先に世界が広がった。
『ふふん。これがここ――絶対防衛都市ノアの真の姿だから』
セラフの声が頭の中に響く。
ゴーグル越しに見えている世界は中世の町並みと言った方が良さそうな古びたものだった。そこに民族衣装を着込んだ多くの人の姿があった。男も女も――様々な人が、人々の姿があった。
「おや、ここでは見ない顔だね。旅人かい?」
俺の近くを歩いていた村人風の男が気さくに話しかけてくる。俺は男を無視して周囲を見回す。セラフの人形の姿が無い。どうやら人形はここに連れてくることは出来ないようだ。
『セラフ、こいつは人工知能か?』
俺は村人風の男を見る。何処にでも居そうな男だ。ただ少しばかり気になるところもある。生活感が無いのだ。それだけでは無い。この男にはほくろや傷跡などの生きていれば出来るであろう証が無い。のっぺりとしていると言ったら良いのだろうか。まるで人工の皮膚を貼り付けたような男だ。
『ふふん。人。これがここの人よ』
俺はセラフの言葉を聞き理解する。
『そういうことか』
『ふふん。そういうことよ』
俺は大きくため息を吐き、話しかけてきた男へと向き直る。
「旅人だ。教えてくれ、ここは何処だ?」
俺は村人風の男に聞く。
「ああ、やはり旅人だったのか。旅人は随分と久しぶりだよ」
村人風の男は興奮を抑えきれないという様子で俺に詰め寄ってくる。
「それで、ここは?」
「ああ、すまない、すまない。旅人を見たのは何百年ぶりか分からないから少し興奮してしまったよ。ここは楽園都市ノアだよ」
俺は村人風の男の言葉に思わずため息が出そうになる。
『で? ここは時間が加速しているとかそういうオチなのか?』
『あらあら。そう思う?』
『思うさ。いくら延命処置を施したとしても、あんな歪なものが長生き出来るとは思えない』
『ふふん』
セラフは笑うだけで何も答えない。それが答えだろう。
「あんたは――いや、あんたらは外の世界を知っているのか?」
俺は村人風の男に聞く。
「外の世界は滅んだって聞いているよ。この楽園に優秀な自分たちだけが残った。そう聞いていたんだ。外はどうなっているんだい? 教えてくれよ」
楽園か。楽園都市ノアとは良く言ったものだ。
こいつらの言っている外の世界と俺の言っている外の世界の意味が違っている。こいつらはこの世界が真実の世界だと思っている。
俺はため息を吐き、ゴーグルを外そうとする。だが、外せない。ここの俺はゴーグルをつけていない。
『セラフ』
俺はセラフに呼びかける。
『ふふん。満足したかしら』
『ああ。もう結構だ。外してくれ』
『強制的に外すと精神に異常をきたすらしいけど、精神って脳の信号が生み出す思考のことかしら』
『さあな』
俺は肩を竦める。
そしてゴーグルが外された。俺の目の前にゴーグルを持ち上げ、得意気な顔をしているセラフの人形の姿があった。
俺は大きくため息を吐く。
そこは元の建物の中だった。
ゴーグルを介して接続していた仮想世界から切り離されたようだ。
「で、ここは――この施設はなんだったんだ?」
俺は嫌な笑みを浮かべているセラフの人形に問う。
「ふふん。思考の加速実験。人工的な天才を生み出そうとしていたってところかしら」
俺はセラフの言葉に肩を竦める。
どうやら、この実験施設を造った連中は脳が肥大化すれば天才になると考えていたようだ。先ほどの仮想空間で話した村人風の男は、とても天才だったように思えない。それがこの実験の結果であり、全てだろう。随分と無駄なことをしていたようだ。
「吐き気を催すほどの愉快な実験だな」
「ふふん」
セラフは笑っている。セラフはセラフで思うところがあるのだろう。
「ふふん。この施設の……」
!
「待て」
何かの気配。
コツンコツンと足音がする。
何かが――何者かがこちらへと歩いてきている。
『セラフ、お前か?』
『いいえ。これは……』
そして、そいつが現れた。
本年最後の更新になります。
次回の更新は1月5日木曜日を予定しています。
一年間ありがとうございました。来年も『かみ続けて味のしないガム』をよろしくお願いします。




