436 湖に沈んだガム19――セラフ
――CHORD:SINMARA――
右目に文字が表示される。それに合わせたかのように、いつの間にか俺の人狼化が解けていた。元の少年の姿に戻っている。
俺は背後に立っていた人形を蹴り飛ばす。吹き飛ぶ人形。俺は胸を見る。そこに刺さっていた黒い刃が消えている。どうやら、この人形の手を離れると刃は消えるようだ。
「ネ、ネネネネ、姉さま、サマサマサマサマサマサマサマサマサマサマサマサマサマサマ」
俺が蹴り飛ばした人形がガクガクと奇妙な動きを繰り返している。
『セラフ、どうなっている?』
『取り戻されたわ! ええ、取り戻された』
セラフの焦りの混じった苛つくような声。
取り戻された?
お辞儀をしていた姉の方の人形が顔を上げ、クワッと大きく目を見開く。
「こちらをハッキングするなんて死にたいの? ううん、殺す。殺すの」
姉の方の人形がブツブツと呟いている。
「ネ、ネ、ネ、ネエさ、ネエサマ、ネエさま、姉さま」
俺が蹴り飛ばした妹の方の人形が重力を無視したかのようにスッと起き上がる。
「姉さま、蹴ったわ。この人間、私を蹴ったわ」
「殺しましょう。人間は殺しましょう」
再び姉妹の前にある空間が裂ける。そこから武器を取り出す姉妹。
『セラフ、ノルンの端末の攻略に失敗したのか?』
『まさか! 私を馬鹿にしているの? 支配は成功したから』
『では、これはお前のお遊びか?』
『はぁ? そんな訳ないでしょ。もう一体がバックアップとなっているの! エラーを感知して、そのバックアップから修復したんだから』
バックアップ?
エラーの修復?
なるほど。
ノルンの端末が二体居た理由がそれか。片方が片方のバックアップ。となれば……、
『つまり、同時に倒さないと駄目ということか』
『はぁ? 馬鹿なの? 端末が使っている人形を壊したからってどうにかなるとでも思っているの? もう一体――スルト本体がバックアップになっているから。本体をどうにかしないと人形を壊しても無駄ね』
セラフの呆れたような声が頭の中に響く。どうやらこの人形を倒したからどうにかなる問題では無いようだ。
『となると獄炎のスルト本体を叩くのか。それをクルマ無しでやるのか』
結局、獄炎のスルトの本体も倒さないと駄目なようだ。甲板から殴って壊していくのか、それとも斬鋼拳で削っていくのか。とにかく大変そうだ。
「姉さま、姉さま、狼だった人間が動かなくなったわ」
「死にたくなったのね、殺しましょう。殺すの、殺すわ」
姉妹が俺を狙い動き出す。
!
俺は妹の方の人形が投げ放った双刃の鎌をギリギリで躱す。
『ゆっくりと考えている暇は無さそうだ』
姉の方の人形も動く。黒い光弾。俺は姉の方の人形が放った黒い光弾を回避しようとし――その一撃を体に受け、そのまま吹き飛ばされる。俺の体が甲板を転がる。転がりながら体勢を立て直し、すぐに動く。回避したつもりが回避しきれなかった。人狼化が解けたことで身体能力が落ちている。今の俺の運動能力では黒い光弾を回避するのは難しそうだ。
『ふふん、聞きなさい。私がもう一度、姉妹を攻略するから』
『それでどうするんだ?』
戻ってきた双刃の鎌を転がりながら回避する。
『連中がバックアップから復活するまでの間にスルトのコアに到達して、それを破壊しなさい。それで何とかなるから』
バックアップ用のスルト――その心臓部を破壊する。外から壊すよりも何とかなりそうだ。
『なるほど。ルートは任せた』
『ふふん、任せなさい』
俺の右目に獄炎のスルトの情報が表示される。コアまでのルートが表示されている。俺はここを目指して走るだけで良いだろう。
俺は身を屈ませ、一気に駆け出す。
「姉さま、姉さま、馬鹿な人間がまた無駄なことをしようとしているわ」
「殺して全てが無駄だと分からせましょう。あら? でも、死んだら分からないかな」
姉妹は手に持った武器を構えながら好き勝手なことを言っている。
「少し、黙れ」
俺は姉妹へと右手をかざす。この距離ならセラフがやってくれるはずだ。
楽しそうに呟いていた姉妹がガクンと動きを止める。セラフの支配が完了したのだろう。これでしばらく攻撃は止まる。この間に獄炎のスルトのコアまで駆け抜ける!
甲板に設置された扉を開け、船内へと入る。そのままセラフが指示するルートを通り、コアへと走る。
金属の管が這う通路を走る。
コアを目指し、走る。
……。
通路を走る。
通路……?
何故、人が通れるようになっている?
通路の途中には何も無いがらんとした部屋もあった。
メンテナンスのためだとしても人が通れるようにする必要は無いはずだ。メンテナンス用の機械が通れるだけの隙間があれば充分なはずだろう? 何故、道になっている? 部屋もあった。人が通ることを、住むことを想定しているのか? それは何故だ? この獄炎のスルトは人が造ったのか? それをマザーノルンが改良して活用しているのか? この獄炎のスルトは人が機械よりも上位だった時代のものなのだろうか。
船内を走る。
『セラフ』
『ふふん、分かってる。任せなさい』
コアに近づいたからか、船内の防衛システムが起動したようだ。
通路の前方から機銃が現れ、こちらを狙う。
俺は突っ込むように走る。
セラフの示したルート通りに走る。
現れた機銃が火を吹く。
次々と飛んでくる銃弾。九つの触手に別れた機械の腕九頭竜が銃弾を撃ち落とす。
飛んでくる銃弾の中を走る。回避する時間すら惜しい。
次々と飛んでくる銃弾をひゅんひゅんとしなり上げて動く機械の腕九頭竜が撃ち落としていく。
俺はただ駆ける。
コアを目指し、示されたルート通りに走る。
――ERROR――
――ERROR――
――ERROR――
――ERROR――
再び右目にエラーが表示される。頭の中に警告音が鳴り響く。
エラーによって右目に表示されていた地図が消える。ルートが消える。
「うるさい!」
俺は右目を押さえ走る。地図は頭の中に入っている。問題ない。
――ERROR――
――ERROR――
走る。
『そこだから!』
セラフの声。
そして辿り着く。
その部屋には黒い球体が浮かんでいた。これが獄炎のスルトのコアなのだろう。
その獄炎のスルトのコアに寄り添うように少女のホログラムが浮かび上がる。
「どうやって人間がここまで来たの! 死ね、死ね、死んでしまえ!」
少女の声に反応して部屋の中に無数の機銃が現れる。俺は機銃に取り囲まれた。逃げ道は無い。だが、逃げる必要は無い。
こちらの方が速い!
『ふふん、やってしまいなさい』
『ああ』
俺は黒い球体へと右腕を向ける。
「斬鋼拳!」
拳が消える。
そして黒い球体に大きな穴が開いた。




