405 時代の風39――聞こえたか?
俺は誰だ。誰だったんだ?
俺は誰だ?
あの冷たい棺から目覚めた俺は誰なんだ? 生き返り、再び活性化した脳で考える。いくつもの記憶が甦る。死を実感するたびに、いくつもの記憶が甦る。
あの白い壁に包まれた部屋。あそこで俺は何を学んでいた? 友人? いや、学びを同じくするだけの者たち、か。師匠。俺に戦う術を教えてくれた人。色々な記憶が甦る。
今の俺は、あの冷たい棺から目覚めた時の俺と同じなのだろうか。
死なない体。死んだとしても、壊れたとしても、俺の体を構成しているナノマシーンがあるべき姿に、元の姿へと――再生するために動き出す。そういう命令が仕組まれている。
生き返るたびに、死ぬたびに、記憶が、俺を塗り替えていく。
あの目覚めた時の俺は、今の俺みたいな、こんな性格だっただろうか。本質は変わらないのかもしれない。だが、何故か変わってしまったような気がする。
壁を殴る。
空気が、酸素が足りない。生き返ってすぐの時は動いていた脳が、酸素を欲して悲鳴を上げ、まともな思考が出来なくなっている。
考えが――
そして、俺は、また死んだ。
死因は酸欠だ。
そして、甦る。
ここは腐臭で酷いことになっているのだろう。もう臭いを感じることもなくなった。分からなくなった。いや、酸素がなくなっているくらいだから、死体は意外と綺麗な状態なのかもしれない。こんな密室で菌がまともに活動が出来るとは思えない。
暗い。見えない。見ようとも思えない。
死体が……、
ああ、そうか、死んだのか。
こいつらを出来る限り生存させて、ここのマスターに辿り着くつもりだったのに、駄目だったのか。失敗してしまったのか。餓死と酸欠、どちらが苦しいのだろうか。どれほど苦しいのだろうか。答えは両方、死ぬほど苦しい、だ。大昔には戦国武将が敵の籠城した城を包囲し兵糧攻めを行ったらしいが、それはなんと無慈悲で残酷な所業だろうか。
餓え。
苦しい。
ああ、酸素が足りないからか、まともな思考が出来なくなってきている。
同じようなことをぐるぐると考え始めている。どうやら、俺の死期が近いようだ。
壁を殴る。
殴る。
殴る。
殴る。
そして、死んだ。
俺は死んだ。
ここにはナノマシーンが無いようだ。そのため、セラフでも外との通信が行えない。つまり、外の状況がまったく分からない。あれから何日が経過しただろうか。死にすぎて分からなくなっている。
死。
生命の維持が出来なくなった状態。俺の場合は、ナノマシーンが活性化して自然に甦るのだから、死というよりは仮死だろうか。だが、死んでいる。
俺の体から離れない限りは、命令を変えない限りは、体を構成しているナノマシーンの総量はほぼ変わらない。減ることは、殆ど無い。だから、こんな状況でも生き続けることが出来ている。
逆を言えば、本当に死にたくなったら、終わらせたくなったら――ナノマシーンの命令を変えて、切り離していけば良い。
俺は、俺の意思で、いつでも終わらせることが出来る。
本当の意味で死ねる。
それが分かっているから、俺はまだ生きている。生きる意思をつなぎ止めておくことが出来ている。
もし、死にたくなったら、終わらせたくなったら、一か八かで斬鋼拳を連打してみよう。右腕だけではなく、体全体を使って、身を削りながら、試してみよう。
……。
異常な空間だ。
俺はまた死んでいたようだ。壁を殴り、そして死ぬ。
ここの広さは――意外と広い。測った訳では無いので正確ではないだろうが、一キロ四方くらいはあるのではないだろうか。広いから気付かなかった。酸素が限られていることに気付かなかった。
こいつらは酸欠で死んだ方が楽だったのだろうか。餓死と酸欠、どちらで死にたかっただろうか。
分からない。
俺は壁を殴る。
分からない。
壁を殴る。
こんな状況でも発狂しないのは、発狂出来ないのは、発狂する前に異常を感知したナノマシーンが脳を元の状態に戻しているからだろうか。
分からない。
壁を殴る。
そして、俺は死ぬ。
最近、セラフの声を聞いていない気がする。呼びかければ答えてくれるのだろうが、俺から呼びかけるつもりはない。
多分、セラフは、この状況を打破するためにどうすれば良いのか考えてくれているのだろう。それを邪魔するつもりはない。いや、もしかするといざという時のために体力を温存しているのかもしれない。
……。
人工知能が、体力を温存?
馬鹿なことを考えている。
俺は壁を殴る。
流れ出た血、飛び散った肉片、それらは俺が甦る時に吸収されているようだ。多分、ナノマシーンの命令が書き換わっていないから、可能なのだろう。それが無ければ、俺は殴るたびに、少しずつナノマシーンを減らし、死に近づいていたかもしれない。
俺は壁を殴る。
と、その時だった。
――。
――――。
小さく、聞こえるはずのない音が聞こえた。
音?
『聞こえたか?』




