399 時代の風33――『これは……俺のミスか?』
『あからさまだな』
『あらあら、どうするつもりかしら』
このピンク色の煙で混乱した奴が天井の脱出口を見つけたらどうする? 無理矢理壊してそこから逃げるだろう。
だが、他に選択肢があるだろうか。
いくらピンク色の煙が無害だとしても視界を覆うほどの量が充満し続けて、まともで居られるとは思えない。
「見え、見えない」
「これ、大丈夫なのかよ」
「おい、アブジル、おい」
緊張感が高まる。いつ暴発してもおかしくない。
壁は……。
俺は飛ぶ。壁を蹴り、光刃を抜き放つ。脱出口を塞いでいた蓋を斬り落とす。
『あら、普通に開ければいいのに』
『中から開けられるようには見えなかったから仕方ない』
ピンク色の煙が脱出口から抜けていく。だが、俺もこれだけで換気されるとは思っていない。
「な、何の音!」
「攻撃か!」
俺が脱出口の蓋を落としたことでさらに疑心暗鬼になったようだ。
「静まれ! 皆、落ち着いてください」
そこにアブジルが大きな声を出す。
「落ち着けってよぉ」
「これ、どうするんだよ」
「み、見えねぇ、敵か、敵が来るのか」
落ち着けと言っただけで落ち着けるような状況では無い、か。それはそうだろう。
どうする?
俺はもう一度壁を蹴って、飛び上がり、脱出口から箱の上にでる。
「こっちだ。引き上げる、掴め」
俺はそこから狙撃銃の銃身を持って下へと伸ばす。何か紐でもあれば良かったが無いのだから仕方ない。煙で視界が閉ざされているが、俺の声で方向くらいは分かるだろう。
「凄腕か」
「お、おいなんとかしてくれるのか」
「上から凄腕の声が聞こえたぞ」
さあ、早く狙撃銃を掴んでくれ。
「掴んだぞ」
俺が伸ばした狙撃銃にグッと重さが加わる。そのまま引き上げる。
「お、おい、俺も頼む」
連中を次々と箱の上に引き上げていく。
「皆を優先して引き上げてください。自分は一番後で良いですよ。皆、彼の声の方へ、急いでください」
軍師君がそんなことを言っている。
『自分は最後で良い、か』
『ふふん』
セラフは軍師君の覚悟を笑っているようだが、俺は正直、少しだけ見直した。自己犠牲としか思えないくだらない覚悟だが――くだらないとしか思えない俺には持てないものだ。人には尊いものだろう。
「はぁ、はぁ、何だよ、あの煙」
「毒ガスか? 俺吸っちまったよ」
「凄腕、助かったぜ」
「はぁはぁ」
四人ほど引き上げる。残り三人。
さて、これは問題だ。
『あら、何が問題なのかしら?』
『こいつら全員が箱の上に登ったとしよう。さて、問題だ』
『はいはい、それで何が問題なのかしら?』
『今、俺たちが居る場所はなんだ?』
『エレベーターのカゴの上でしょ』
『そうだ』
外に出て分かったが、やはりこの箱は動いていなかった。奥の壁にこの箱を動かしているであろう大きなベルトが見える。それは固定され動いていない。気付かれないほどゆっくりと減速し、そして登っている途中で止まったのだろう。
そう止まっている。
ピンク色の煙は無害だ。そして、わざとらしくカゴの上への脱出口が用意されている。そのカゴは止まっている?
さて、どういうことが起きるだろうな?
俺の考えを読んでいたかのように何かのロックが外れるような音が響く。
『予想通りだな』
『あら? 言っている場合?』
箱が上昇していく。
急激な加速による負荷が体にかかり、俺は指一本動かせなくなる。恐ろしい勢いで箱が上昇していく。
「お、おふぅ」
「だ、だず……」
俺が持ち上げた四人も急激な加速で動けなくなっているようだ。
さて、このまま一番上まで行ったらどうなるだろうか。俺は気合いを入れ、顔を上げ、見る。
『見通せないな』
『あらあら、光が無いと見えないなんて不便ね』
俺は左目を閉じ、右目に集中して上を見る。このセラフの目なら暗闇の中でも見通すことが出来る。
天井は――ある。どうもこの箱は天井の少し手前で止まるようだ。天井に棘などは見えない。このまま押し潰されて死ぬようなことは無いだろう。
そして止まる。
どうやら到着したようだ。動き出せば一瞬だ。
その急停止した勢いに耐えきれなかったのか、這いつくばっていた連中が転がる。
「だぶ、へ」
多分、助けてと言おうとしている男を掴み、箱から転がり落ちないように支える。持ち上げた男たちは死にそうな顔で荒く、ぜえぜえと呼吸を繰り返していた。このまま急下降が始まると本当に死んでしまうかもしれない。
「降りるぞ」
俺は脱出口から箱の中へと降りる。すでにピンク色の煙は綺麗さっぱりと消えている。
そして、箱の中に横たわる三人。軍師君も倒れている。軍師君は大きく目を見開いたまま固まっている。俺は近寄り、口元に手を近付ける。
……。
そのまま胸に耳を近付ける。
息をしていない。心臓も動いていない。
死んでいる。
俺は軍師君のまぶたを閉じる。
何が起こったか分からないが、俺たち五人が残れば充分だと、上の連中が判断したのかもしれない。
『やれやれだな』
『ふふん。少しは気が晴れたかしら』
俺はセラフの言葉に肩を竦める。
確かにこの軍師君には色々と苛々させられた。だが、こうやってあっけなく、あっさりと殺されてしまうと、さすがに俺も思うところがある。
生きていなければ思い知らせることも出来ない。
文句も言えない。
「おい、早く降りて来るんだ」
俺は箱の上の連中に呼びかける。
上の連中が恐る恐ると降りて来る。
「ひっ、何だよ、これ」
「まさか死んで……」
「あのアブジルが」
「うそ、だろ」
転がっている死体を見て降りてきた連中が固まっている。
「早く外に出るぞ」
俺は連中に呼びかける。
のんびりしている暇はない。
上の連中は、このエレベーターを自由に動かせるようだ。このままここに居ては何をされるか分からない。
「いや、でも、こいつらを」
「そうだ。このままにはしておけねぇよ」
「少し待ってくれよ、それくらいの時間はあるだろ」
連中は好き勝手なことを言っている。
時間?
上の連中が好き勝手なことが出来るのに、そんな状況で時間があると思っているのか?
「死にたいなら好きにしろ」
俺は大きくため息を吐く。
「待ってくれ、こいつらを運ぶんだ」
「あんたも手伝ってくれよ」
「このままにしておくなんて酷いことは出来ねぇ」
「あんた、人の心がねえのかよ」
俺は肩を竦め、開いたエレベーターの扉から外に出る。
次の瞬間、その扉が閉まった。
俺は慌てて振り返る。
激しい落下音が聞こえる。
……。
エレベーターの箱が下へと運ばれている。中の人が耐えられないような速度で下へと降りているようだ。
『これは……俺のミスか?』
『ふふん。階段の連中が無事なのを祈りましょ』




