351 おにのめにも35――『何を食べたらこんなに重くなるんだ?』
瀕死の鬼灯を肩に担ぎ、オフィスを目指し歩く。鬼灯の方が大きいからか、若干引き摺るようになってしまっているのはご愛敬か。にしても、本当に重い。俺は体を構成しているナノマシーンを操作し、筋肉を増やしているのに、それでも運ぶのがやっとだ。
「何を食ったらこんなに重くなるんだ」
「すま、ぬ……」
鬼灯が青い顔のまま謝る。
謝っている場合か。
「謝っている暇があったら死なないように意識をこちらに引き留めろ」
「……ふ、む。あ、ああ」
鬼灯は虚ろに返事をしている。いよいよヤバそうだ。
俺は鬼灯を担いだまま歩く。周囲の荒くれたちは、こちらに手を貸す訳でも無く、俺達を静かに見守っている。これも鬼灯の人望だろう。攻撃されないだけマシだと思うべきか。
とにかく戦闘は終わりだ。
カスミは……?
俺は鬼灯を運びながら周囲を見回す。カスミはグラスホッパー号を停車させ、困ったような顔でこちらを見ていた。荒くれたちが壁になって俺達に近付けないようだ。戦闘が終わった以上、荒くれたちを蹴散らしてこちらに来ることは出来ない。これは仕方ないだろう。
幸運なのは次の狙撃が無いことだ。超長距離からの狙撃だ。かなりの集中力が必要なはず。すぐには次を撃てないのだろう。それとも、次弾の装填に手間取っているのか。視認が出来ない距離でも威力が落ちない銃だ。まともな代物ではないだろうからな。
俺は肩に担いだ鬼灯を見る。目的を達したと思って逃げた可能性もあるか。
荒くれたちは困惑した様子で俺達から距離をとっている。これなら鬼灯が命令を出せば従ったかもしれない。だが、その鬼灯は生死の境を彷徨っている。いつ死んでもおかしくない。
俺は荒くれたちが見守る中を歩き、オフィスの扉をくぐる。ここまで来れば、もう安全だ。
「んだ、そいつは」
「おい、その死にかけの……」
「チョーチンの奴らかよ、殺せ」
と、そこにオフィスの中で待ち構えていたクロウズたちが絡んでくる。
……こいつらが居たか。
ここに残っているのはリバーサイドから出向している連中だ。連中からしてみれば鬼灯は敵のトップ――一番殺したい相手だろう。だが、同じミュータント同士で争っている場合だろうか。
『セラフ』
『ふふん、任せなさい』
俺の言葉にセラフが得意気に笑う。
「皆さん、お下がりください。全裸のガムさんは、こちらに」
殺気立つクロウズたちを掻き分け、オフィスの職員がやって来る。セラフが手配したのだろう。こんな時でも俺を全裸呼びする職員にため息が出そうになる。
やって来たオフィスの職員は、俺と一緒に鬼灯を運ぼうとするが、その重さに耐えられなかった。こいつの重さ、百か二百……キログラムくらいはあるのではないだろうか。
『何を食べたらこんなに重くなるんだ?』
『ふふん。ミュータントだから筋繊維の質が違うんでしょ』
俺はため息を吐く。
「こいつは俺が運ぶ。案内をしてくれ」
「分かりました。こちらです」
オフィスの職員が俺を案内する。
「おい、待てよ」
「そいつを置いて行け」
「オフィスだからって、そんな横暴が許されるか、あ?」
クロウズたちが騒いでいる。
ここに居る連中はミュータントばかりだ。顔の爛れた男、異様に肩が大きな男、首から蛸の足のような髭が生えた男、ネズミや豚、猿などの動物の特徴を持った男たち――様々なミュータントが居る。
「こいつは実験に使う。それは、お前たちのためになることだ。静かにここで待ってろ」
俺は声を低め強く威圧するように喋る。こいつらに構っている暇は無い。
「あ、んだと」
「おい、あれを見ろ」
「発症してるのかよ」
「移るかもしれねぇ」
それだけ言うとクロウズたちは黙った。鬼灯の爆弾が起動していることに気付いたのだろう。リバーサイドはミュータントが抱えている爆弾のことを知っているようだ。
「こちらです」
オフィス職員の案内で奥の部屋に向かう。
オフィスの一室――そこに用意された手術台の上に鬼灯を寝かせる。
『それで?』
『ふふん、待ちなさい』
セラフの言葉と同時くらいに、次のオフィス職員がやって来る。
「これをどうぞ」
そのオフィス職員からカプセル錠を受け取る。
『これは?』
『ふふん。再生薬。あのシンとやらが持っていたものより数段上のグレードの薬だから。大切に扱いなさい』
再生薬、か。俺の目でもカプセルの中に大量のナノマシーンが詰まっているのが分かる。
『これを鬼灯に飲ませるのか?』
『ふふん。違うから。お前が飲みなさい』
……。
ん?
どういうことだ? 怪我をしているのは鬼灯だ。なのに薬を飲むのは俺? まさか口移しで飲ませろとか言わないよな?
……。
まぁ、なるようになる、か。今更、セラフを疑っても仕方ない。
俺は受け取ったカプセル錠を口に含む。
『それで?』
『それを飲み込んだから、右腕の制御権を渡しなさい』
右腕の制御権。セラフは俺の右腕を使って手術をするようだ。つまり、それは俺の体の自由を奪うということだ。このオフィスにある人形では出来ない事をやるのだろう。
『分かった』
俺はカプセル錠を飲み込み、セラフに右腕の制御権を預ける。以前なら――俺の体を狙っていた時のセラフだったなら、俺は渡さなかっただろう。だが、今の俺は……。
『ふふん。後は任せなさい』
セラフが俺の右腕を動かす。そこに目に見えない極小のナノマシーンたちが集まっているのが分かる。
そして、セラフは、その右腕を鬼灯の空いている腹の中に突っ込んだ。
「うがあああぁぁぁぁぁぁ」
鬼灯が死にかけとは思えない大きな叫び声を上げる。この叫び、痛みだけでは無い。この鬼灯という変に決まっている男が痛みだけで叫び声をあげるとは思えない。
「が、があああ、が、があああァァァァ」
鬼灯が叫び続ける。
どれだけ続いただろうか。
『ふふん。終わったから』
セラフが告げる。
『終わったのか。鬼灯は生きているんだよな?』
『ふふん、当然でしょ』
セラフは得意気に笑っていた。




