345 おにのめにも29――「何か言うことは?」
「俺には、別にあんたと戦う理由も無いし、その必要も無いだろう。俺はオフィスを守っている訳でも無い。退けと言われれば退けても良かった。だが、俺は舐められるのが嫌いでね。舐められたら教えてやらないと駄目だろう? それに、だ。人を殺さないと自分の価値を上げられないような奴にはお仕置きが必要だろう?」
俺は、鬼灯たちがカスミを拘束していることに関しては何も言わない。その役目はセラフに残しておく。
『あらあら。なんて気が利くのかしら』
『そうだろう?』
俺は左手を前に突き出して構え、右手でちょいちょいと挑発する。鬼灯は何も言わない。ジリジリとこちらへ迫るだけだ。
そして、間合いに入る。
俺は伸ばした左手を、迫る刃を掴むように動かす。鬼灯の居合いは何度も見た。見えないと錯覚するほどの間合いの詰め方、流れ――だが、そのタイミングは見させて貰っている。
ここだ。
掴む。
!
!!
刃を掴んだはずの左手が――水平に斬り裂かれていた。
不味い。
俺はとっさに後方へと飛び退く。
二つ目の刃――鬼灯の居合いが俺の鼻先を掠める。
掠め、た?
鬼灯の居合いの間合いから逃れ、俺は顔を拭う。鼻の頭が真横に切れ、血が流れ落ちていた。
『突きでは無く、薙ぎ、か』
『あら? 横向きに斬られたことがどうしたの? そんなに気にすることかしら』
『居合いの一閃で俺の左腕を斬り裂き、その返す刃で後ろへと逃げる俺を斬った』
『ふんふん、それが?』
『鬼灯が、間合いが短くなる薙ぎ払いで俺に攻撃を届かせたということだ』
『ふふん、それが?』
『俺が想像していたよりも鬼灯の間合いは広い』
鬼灯の居合いを何度か見たことで、俺は間合いを把握したつもりになっていた。だが、こいつも俺に見せていたのが全力では無かったようだ。
……いや、違うか。大蜥蜴の時も、ライオンのような男の時も、先ほどの荒くれを斬った時も、その時その時が手抜きだった訳では無い。こいつは出すべき場所で出すべき力の上限を把握しているだけなのだろう。常に全力で必要な力一杯まで出しているだけだ。
……。
それだけ、鬼灯が、俺の力を大きく見て、評価してくれているということか。
『過小評価してくれているままの方が楽だったんだがな』
『ふふん。お前が舐められるのが嫌いって言ったから、舐めないようにしたんでしょ』
確かにそうかもしれない。せっかく見くびられるように行動していたのに、全て無駄になってしまった。
ああ、無駄になってしまった。思わず口角が上がる。まったく困ったものだ。
「ふむ。その腕、機械か」
「そうだが?」
鬼灯がニヤリと笑う。
「運が良いことだ。生身であれば終わっていたぞ」
俺は鬼灯の言葉にため息を返す。
逆だ。
運が悪い。
俺は横目で左手を――機械の腕九頭竜を見る。綺麗に切断され動かなくなっている。修理が必要だろう。これが生身の右腕なら、斬り落とされようが、粉々にされようが、ナノマシーンを使って再生させることが出来た。もしかしたら、その再生能力で鬼灯の意表を突くことが出来たかもしれない。
『生身の方が大切に扱う必要が無くて、価値が低いとは笑い話だな』
『ふふん、笑えないよぉ』
セラフは楽しそうに笑っている。
俺は動かない左腕をだらりと垂らし、右腕を突き出すように構える。
これは反省しないと駄目だろう。少しだけ慢心していたようだ。コックローチやミメラスプレンデンスほどの強さでは無いからと、鬼灯を、この事態を――俺は何処かで甘く見ていたのだろう。
だが、ここからは本気だ。
鬼灯が得物に手を乗せ、ジリジリと迫る。俺との距離を詰める。
鬼灯の間合い――に入る。
空気がぴしりと歪んだような錯覚。俺は伸ばした右手を獣化させる。鬼灯が鞘から引き抜いた刃の軌道も、間合いも、読んでいる。読み切ってもさらに深い――鬼灯の間合いが伸びる。
鬼灯の居合いが俺の読みを越える。
想像以上。
だが、
そう、だが、だ。
だが、想定内。
俺の獣化した右腕の手の平が、うっすらと裂かれ、斬られる。感触。薄皮一枚。
ここだ。
俺は獣化した手を握る。掴む。
鬼灯の得物を――刃を掴む。
機械の腕では感じられなかった、繊細な、刃が手の平に触れたという感触。それを生身の右腕では感じることが出来た。そして、獣化したからこそ、人を超える速度で、斬られたという瞬間に掴むことが出来た。
鬼灯の得物――刀。その刃を獣化した右腕で握りつぶす。
パラパラと砕け散った刃の破片が舞い散る。鬼灯はそれを驚いた顔で見ていた。それだけ居合いに自信があったのだろう。
居合いだけを見れば、鬼灯は俺が戦った連中の中でも最強だろう。だが、強いのは居合いだけだ。俺にとっては与しやすい相手だった。
間抜け面を晒している鬼灯の足を払い、地面に転がす。そして、そこに獣化した右腕を突き刺す。角の生えた鬼灯の顔面、その真横ギリギリに獣化した俺の右腕が突き刺さる。
「何か言うことは?」
「己が負けたのか」
鬼灯は倒れた姿のまま、折れ、短くなった刀を呆然とした顔で見ている。
「ああ、俺の勝ちだ。このまま命を取った方がいいか?」
お前が軽く見ていたものだ。自分が同じ立場になっても文句は言えないよな?
「おい、こら、どういうことだ!」
「なんで若が!」
「ああ?」
「んだ、その右腕。こいつもミュータントかよ!」
鬼灯の威圧が途切れたからか、周囲の荒くれたちが騒ぎ出す。
「おい、餓鬼! こっちにはよぉ、人質がいるのを忘れたのか」
「へへ、殺してやる」
そして、荒くれたちは分かり易くカスミを人質に取った。
俺は大きくため息を吐く。そして、鬼灯の横に突き刺していた右腕を引き抜く。
「カスミ、決着だ。もういいぞ」
俺の言葉を聞いたカスミが動く。荒くれたちを蹴り飛ばし、集団からあっさりと抜けだし、こちらへと駆けてくる。
「ただいま戻りました」
カスミが両手を拘束していた手錠を外し、地面へと転がす。
やれやれ。
鬼灯が居た時はカスミも抜け出すのが難しかったはずだ。だが、三下相手ならいつでも抜け出すことが出来る――出来たのだ。
そんなことにも気付けないから、こいつらは三下なのだろう。




