339 おにのめにも23――『違う可能性もあるけどな』
俺は傾いた男を見る。男の周囲では小さな煌めきがパチパチと瞬いていた。ナノマシーンの煌めきだ。この男はナノマシーンを使って何処かと通信を行っている。
……間違いないだろう。
『ふふん。あまり見ていると相手に気付かれるから、注意しなさい』
『おっと、それは不味いな。それで、こいつは?』
俺は慌てず、落ち着いて、この傾いた男を注視しないようにする。
『ふふん。お前の予想通り、人造人間ね』
『そうか、やはり人造人間か』
本当に予想通りだった。俺が考えていた通りだった。
『ふふん。お馬鹿さんのくせに何を得意になっているのかしら。考えれば分かることじゃない』
発展の影にマザーノルンあり、だ。これで、チョーチン一家が大きくなった理由、オフィスと繋がっていた理由が、分かった。
『それで何か情報は得られそうか?』
『駄目ね。分かったのは、これ以上、踏み込むのは危険ということくらいかしら』
セラフが素直に事実を認めて、状況を教えてくれる。珍しいことだ。それだけ俺を信頼してくれているのかもしれない。
俺は肩を竦める。
『どうやら自らオフィスのマスターのもとに招待してくれるようだからな、今、無理をする必要は無いな』
『ええ。その通りね』
キノクニヤにある端末――マザーノルンの娘。そいつが手足として動かしている人造人間の名前がカマセ、か。こいつらは本当に人を馬鹿にしている。分からないと思って、気付かれないと思って、随分と人類を舐めてくれるものだ。
「ああ、用意してくれるのか。助かるよ」
俺は傾いた男を見てニヤリと笑い、鬼灯にお礼を言う。
「ふむ。これで貸し借りは無しか?」
「ああ。貸しも借りも無しだな」
俺は肩を竦める。鬼灯はそんな俺を見てくっくっくと笑っている。随分と上機嫌だ。
「それじゃあ、手形を用意してくるよ。待っていてくれよ?」
傾いた男が俺に向けて片目をパチンと閉じる。控えていた女中たちは、そんな俺たちのやり取りに何も言わず、ぐぬぬとだけ呻いていた。自分たちの立場を完全に忘れていた訳では無いようだ。
「ガム、オフィスのマスターとの用が終わるまで、私はこちらに残ります」
カスミがそんなことを言い出す。
『何があった?』
俺はセラフに確認する。
『ふふん。あの小さいのの面倒をみるという話になったようね』
小さいの? 鬼灯の娘のことだろうか。そういえば、ここにあの幼子の姿は無い。疲れて眠っているのかもしれない。
『にしても、そのために残るなんて、カスミは幼子が好きだったのか?』
カスミは人造人間だ。自分が持つことの出来ない『人の子』というものに興味があるのかもしれない。
『あらあら。そういう形でここに残るってことも分からないのかしら。ここの情報収集と状況把握する端末があれば便利でしょ』
俺はセラフの言葉に納得する。確かにその通りだ。このキノクニヤで力を持っているチョーチン一家の動向は知っておいた方がいい。それをやってくれるのが、セラフと繋がっているカスミなら間違いがないだろう。
……。
だが、本当にそれだけだろうか。
カスミは人造人間だが、自分の意思を持っている。
もし……、
いや、俺が考え過ぎる必要は無いな。俺は俺の出来ることをやろう。
俺は鬼灯との食事を終え、女中の案内で客間に戻る。
「こちらでお休みください」
女中の態度が少し軟化している。もしかすると、あの傾いた男が俺の立場を保証してくれたことで考えを改めたのかもしれない。
『違う可能性もあるけどな』
『あら? それは何かしら』
客間まで案内した女中が帰ったところで、俺は横になり、目を閉じる。こちらを窺う気配は消えていない。
『俺を消す可能性だ。消える相手になら、どんな我慢でも出来るだろう?』
『ふふん。それは面白いわね』
さて、どうだろうか。
俺としては言い訳が出来ないような安易なことをあまりして欲しくない。特に今のような、もうすぐオフィスのマスターと会うための手形が手に入るという状況では止めて欲しい。無能な働き者ほど厄介なものは無い。
オフィスの手が伸びている組織だ、さすがにそこまで馬鹿ばかりでは無いと思うのだが……。
……。
俺は大きくため息を吐く。
この部屋を取り囲む気配が増える。隠しきれないほどの殺気が溢れている。
『まったく当たって欲しくないことは当たるな』
『ふふん。こういうのを日頃の行いって言うのかしら』
『はいはい、そうだな』
この部屋を取り囲んだ連中は、いつ飛び込むかタイミングを見計らっているようだが、あまりにもバレバレだ。喧嘩が得意な素人ばかりなのかもしれない。俺が眠ったら何とでもなると思っているのだろうか。
……ん?
『お?』
『ふふん。これはこれは』
その殺気が一瞬にして消える。
こちらを取り囲んでいた気配が消えていく。
どうやら馬鹿ばかりでは無かったようだ。
俺は安堵のため息を吐き、眠る。
……。
……。
そして、何者かが近づいてくる気配で目を覚ます。数時間は眠れただろうか。
「失礼します」
引きつった笑顔の女中が部屋に入ってくる。
「何かあったのか?」
「手形の用意が出来ました」
俺は女中の言葉にニヤリと笑う。
「そうか、それは良かった。あー、そういえば、俺が眠る前に、少し騒がしかったようだが、何かあったのか?」
女中が一瞬にして作り笑いのような表情を変え、キッとこちらを睨む。
「何もありません!」
鬼灯がやったのか、それともカマセか、とにかくこいつらはお叱りを受けたみたいだ。
『それでも完全には態度を改めないのだから随分と根性があるな』
そんなに飲み込めないことなのだろうか。
『ふふん。お馬鹿なだけでしょ』
『確かに』
ミュータントは脳の容量が小さくなっているのかもしれない。




