338 おにのめにも22――『かませ犬みたいな名前だけどな』
「ふむ。オフィスのマスターに、か」
鬼灯が俺を見たまま顎に手をあて考え込む。多分、これは別に勿体ぶっている訳では無いのだろう。ただ、鬼灯が、それが出来るのかどうか把握していないだけではないだろうか。
――鬼灯、か。
鬼灯はリバーサイドを知らないと言っていた。だが、それは少しおかしい。俺はリバーサイドが孤児院だという話を聞いた。そして、シンはそこの出身だということも聞いた。シンの年齢はいくつだ? 十代? そこまで若くないはずだ。俺の目には三、四十代くらいに見えた。鬼灯がここを離れていたのは三年だろう? その間にリバーサイドという孤児院が出来たのなら、シンは二歳? それとも三歳か? そんな訳が無い。リバーサイドはもっと昔からあったはずだ。
それこそ、鬼灯がこのキノクニヤに居た頃からあったはずだ。
それを知らない?
では、鬼灯が嘘を吐いているのかというと――違うだろう。こいつは興味が無いだけだ。この男は自分が興味のあることにしか興味が無いのだろう。
そして、今、鬼灯が考え込んでいるのは、そういう理由だろう。興味が無いから、どちらもで良いから、考える。考え込む。
他を圧倒する力を持ち、人を惹きつけるカリスマを持つものがトップに立ち、好きなことをする。そんな組織はすぐに崩壊するだろう。だが、そのトップを補佐する参謀のような者が居れば、組織は意外としっかりと機能する。いや、むしろ発展するだろう。
この鬼灯にそのカリスマがあるかは分からないが、好き勝手やっているのは間違いない。どんな理由があったのかは知らないが、三年間も組織を放置していた訳だから。
チョーチン一家をここまで大きくしたのは鬼灯の力では無いだろう。その縁の下の力持ちをやっていた参謀役のはずだ。最初は鬼灯の目に見える分かり易い力で大きくなったのだろう。今でも慕われ、恐れられているようだから、そうだったのだろうと想像が出来る。だが、それだけだ。
俺は鬼灯を警戒しなくても良いと思っている。
警戒するのは、その参謀役だ。ここまで組織が大きくなっているんだ。居ないはずがない。
オフィスと絡むほどの力を持つ組織に育てた参謀役だ。そいつは、間違いなく……、
「ふむ。それは可能か?」
考え込んでいた鬼灯が控えていた女中に話しかける。考え込んだ結果、俺に対しての義理を果たそうと思ってくれたのかもしれない。
「坊ちゃん、そこまでする必要ありませんよ。適当なコイルを渡せば充分ですよ」
その鬼灯の言葉に対して、女中はそんなことを言っている。この女が参謀ということはないだろう。
「そんなものか?」
鬼灯が俺を見る。鬼灯がわざわざ女中に聞いたのはあくまで参考としてなのだろう。
「それで? あんたは受けた恩を返すのがコイルを渡すことだと思っているのか?」
俺の言葉を聞いた鬼灯がニヤリと笑う。
「確かに。お主が言うことはもっともだ」
鬼灯が手を叩く。
「この者がオフィスのマスターと面会が出来るようにしてやれ。出来ぬとは言わんよな?」
鬼灯が、ビリビリと肌が震える錯覚を起こすほどの強い圧を周囲に飛ばす。その圧に控えていた女中たちがひれ伏す。大蜥蜴を倒すために共闘した時は、ただ強いだけの男だと思ったが、こうやって周囲に圧を飛ばしている姿を見ると、確かに組織のトップだと納得が出来る。
「わ、分かりました。この者には後で手形を手配し、渡しておきます」
頭を下げた女中が恐る恐るという感じでそんなことを言っている。
『後で、ね』
『ふふん。お前が言いたいことが私にも分かるわ』
セラフも俺と同意見のようだ。
『こいつらが俺に、マスターと会うための、その手形とやらを渡したくない理由は何だと思う?』
『さあ? 馬鹿の考えることなんて考えるだけ無駄でしょ』
俺が気にくわないから、ということも考えられるが、どうもそれだけではない気がする。何か裏があるのか? あるとしたら、どんな裏だ?
「今すぐ貰うことは出来ないのか?」
俺の言葉を聞いた女中の一人が顔を上げる。
「若様に取り入ったからと図々しいことを!」
「俺が言っているのは図々しいことなのか? 分からないな」
「何を!」
女中たちは声を荒げている。
俺は肩を竦める。本当にこいつらの態度が分からない。こいつらの態度が、こいつら自身の敬愛する若様とやらを貶めていると、何故、分からないのか、分からない。何か考えがあるのだとしても、下策にしか思えない。
「ふむ」
鬼灯は俺と女中のやりとりをただ見守っているだけだ。どちらに味方するか迷っている訳ではないだろう。こいつは――これは、ただ、どうでも良いと思っている顔だ。
「用意したら良いと思うよ」
と、そこに乱入者が現れる。俺はその声の主を見る。
そいつは道化師のような傾いた格好をした男だった。
「カマセ殿、そのようなことを勝手に言われては困ります。このような者に手形を用意しても無駄になるだけです」
女中にカマセと呼ばれた男が肩を竦める。
「おっと、君たちは勘違いしているよ。彼は首輪付きのガム、いや、今は全裸のガムだったね。こう見えても凄腕のクロウズさ」
傾いた男が俺の紹介をしてくれている。
「この者が、ですか?」
「この者が、だよ。殿も知っているよ」
傾いた男が俺と鬼灯を見てパチンと片目を閉じる。
どうやら少しはまともに会話が出来そうな奴のようだ。
『かませ犬みたいな名前だけどな』
『ふふん』
セラフは笑っている。
なるほど。
笑っている、か。
『セラフ、こいつか』
『ええ。間違いないでしょ』
どうやら間違いないようだ。




