337 おにのめにも21――『醤油が無いのは残念だな』
「それで、そのリバーサイドという名前の孤児院は何処にある?」
「あ?」
顔の爛れた男が真意を探るような目で俺を見る。リバーサイドが孤児院だという情報は聞いた。このキノクニヤの街に孤児院が沢山あるとは思えない。時間をかけてしらみつぶしに探せば見つけることは出来るだろう。だが、聞いた方が早い。
「それで場所は?」
「餓鬼、そこによぉ、お前は何の用があるんだ? あ?」
顔の爛れた男のこちらを威嚇するような態度に思わずため息が出る。
「それを言う必要があるのか?」
「あ? あるだろ! 馬鹿かよ! そんなことも分からねえのかよ! 言えよ、あ?」
爛れた顔の男が喚いている。
『馬鹿に馬鹿って言われると、善良で心優しくおおらかな俺でもイラッとくるな』
『ふふん。ええ、そうね。こんなの殺した方がいいでしょ』
セラフも俺と同じ意見のようだ。
殺るか?
「が、餓鬼が、何を凄んで睨んでる。お、お前、みたいな餓鬼、怖くねえぞ、あ!」
爛れた顔の男が声を震わせ、そんなことを言っている。まさに三下のチンピラだ。俺はその態度に戦意が削がれる。俺は大きくため息を吐く。別に隠している訳ではない。何のために、そこに用があるのか? 別に言ってしまっても構わないだろう。
「そこにクルマを返すように頼まれた。それだけだ」
「あ? クルマだと!」
俺の言葉に爛れた顔の男が反応する。
「そうだ」
「は? ざけんな。んなもの、運ばせるかよ、馬鹿か! うちに渡すのが筋だろーがーよぉ」
俺はため息を吐く。
「その理由は?」
「理由? 何言ってんだ? あ?」
どうやら爛れた顔の男は思考が停止しているらしい。
「リバーサイドにクルマを運ばせない? その理由はなんだ? お前にそれを言う権利があるのか? 鬼灯は知っているのか?」
「あ? 若は関係ねえだろ。言わないと分からねえのかよ。うちはチョーチンだぞ。それで充分だろ」
どうにも話にならない。
分かったことは話にならないということだ。
この爛れた顔の男は鬼灯に無断で俺にクルマを渡せと言っている。この男にそれだけの権限があるかというと、まぁ、無いだろう。下っ端がそんな横暴に出るくらい――勘違いしてしまうくらいチョーチン一家はキノクニヤで大きな力を持っているのだろう。
『まぁ、敵対しているであろうリバーサイドに戦力となるクルマを渡したくないというのは分かるけどな』
『ふふん』
セラフはただ笑っている。
「分かった。もういい」
「あ?」
「鬼灯には情報が手に入って助かったと伝えておいてくれ」
俺は手を振り、爛れた顔の男を追い払う。
『あらあら。お前にしては随分と物分かりがいいじゃない』
『相手をするのが面倒になっただけだ』
俺は肩を竦め、その場で寝転がる。少し寝ていても良いかもしれない。そうやって寝転がって目を閉じていると、またもバタバタと足音が近づいて来た。
「食事の準備が出来ました」
現れた仲居のような女がそう告げる。外に居た年配の仲居ではない。若い。十代くらいに見える女だ。角は生えていないようだが、よく見れば髪が少し盛り上がり、犬耳のようになっていた。本来、耳があるはずの場所は髪で隠れて見えない。犬との因子を交雑されたミュータントなのかもしれない。
「そうか」
俺は飛び起き、犬耳の女の後についていく。
「食事には若様も同伴されます。失礼の無いようにお願いします」
犬耳の女は俺を案内しながらそんなことを言い出す。
「俺は客人だと思ったが?」
「はぁ?」
犬耳の俺の言っていることの意味が分からないようだ。俺は肩を竦める。もう、そういうものだと考えた方が良いかもしれない。
少し広めの和室に案内される。やはりというか、部屋にあるのは畳だ。畳敷きの部屋か。
俺は部屋の中を見回す。料理はすでに配膳されているようだ。鬼灯とカスミの姿もある。俺はそのまま土足で畳を踏み、用意された料理の前で座る。
料理は白身魚の天ぷらと刺身だった。残念なことに白米と醤油は無いようだ。
『醤油が無いのは残念だな』
『はいはい』
醤油無しで生魚を食べるのは画竜点睛を欠く。
「これは?」
「ふむ。あのまま放置されるのは勿体ない故、少し買い取らせてもらった」
俺の言葉に鬼灯が頷く。良く分からないな。
『ふふん。もうそんなことも忘れたの? 相変わらずお馬鹿さんね。お前はこの街に入る前に何を狩って、何を運んでいたかしら』
俺はセラフの言葉を聞いて思い出す。
『なるほど、これはあの頭が丸い蜥蜴か』
確かにそうだった。倒してオフィスに売りに行くつもりで、そのまま放置していた。オフィスの前で絡まれ、中で絡まれ、鬼灯に絡まれ、またチンピラに絡まれ、絡まれ過ぎて忘れていた。
『ふふん。思い出したかしら』
『ああ、思い出した』
俺は改めて天ぷらと刺身を見る。あのビーストは蜥蜴のような姿だったのに、白身魚にしか見えない。そういえばセラフが魚タイプのビーストと言っていただろうか。
俺はお膳に置かれた箸を取り、天ぷらを食べる。塩味が利いている。味は普通に白身魚だ。割とあっさりしている。次に刺身を食べる。ほんのりと甘い。これなら醤油が無くても食えないことは無い。
……。
久しぶりにまともな料理を食べた気がする。確かにこれなら高く売れるのも分かる。
天ぷらと刺身を食べ終えた頃に仲居がお椀を運んでくる。それは吸い物だった。中に入っているのは……肝か。
悪くない。
俺は食事を終える。カスミは苦笑しているだけで料理に手をつけていない。毒を恐れている訳では無いだろう。人造人間のカスミには食事の必要がない。ただ、それだけだ。
「ふむ」
鬼灯は料理に手をつけないカスミを見ている。
『やれやれ』
『ええ、やれやれね』
俺は口を開く。
「ところで、だ」
話しかけられた鬼灯が俺の方を見る。
「ふむ、何かな?」
「オフィスのマスターに会いたいのだが、紹介して貰えないかな?」
俺は、本来の目的を話す。
シンのクルマも、チョーチンも、リバーサイドも、本音で言えばどうでも良い。俺の目的はそこに無い。ついでであり、ただ頼まれただけだ。
オフィスのマスターに会い、支配してしまえば情報はいくらでも手に入る。何かするにしても、それからだろう。




