336 おにのめにも20――『それを俺が知ってどうなる?』
しばらく畳の上で寝転がり馬鹿みたいに無防備な姿を晒していると、何者かがこちらに歩いてくる気配を感じた。鬼灯ではない。あいつはここまで気配をまき散らすような素人臭い動きをしないだろう。
そして、その足音の主が現れる。俺は薄目を開けて、そいつを確認する。顔の半分が爛れ落ち、中の白い骨が見えている異様な男だった。
「んだよ! 若に言われて俺が来たのにのんきに寝転がりやがってよぉ」
現れた男が悪態をつく。随分と考え無しの輩がやって来たようだ。
「このままこいつをやっちまうか。それが若のためだってババアも言ってたしよぉ」
俺は男の言葉に思わずため息を吐きそうになる。俺の寝たふりを見破るためにやったのだとしたら、なかなかに効果的だ。
『ここに来てから絡まれてばかりだな』
『ふふん。お前が絡まれたのはここだけじゃないでしょ』
セラフの言葉に苦笑しそうになる。確かにその通りだ。俺が絡まれるのは餓鬼みたいな容姿だからというだけではないだろう。もしかするとこの世界の気風がそうなのかもしれない。
顔の爛れた男がこちらに近寄り、俺を覗き込む。と、そこで俺は飛び起きる。
「な、こいつ、起きてやがる!」
顔の爛れた男が驚き叫ぶ。本当にチンピラみたいな輩だ。どうしてこういう奴らは同じような態度、言葉遣いなのだろうか。チンピラ養成講座みたいな感じで、そういう指導でもされているのだろうか。チンピラ君は今日からこの言葉遣いでしか喋ってはいけません、そういうルールです、とかな。
「起きていたら何か不都合があるのか?」
俺の言葉に驚き間抜け面を晒していた男がムッとした顔を作る。
「あ? んだと?」
爛れた顔の男は裾がダボダボの太もも部分が広がったズボンのポケットに手を突っ込み、肩を怒らせ、睨むような目で俺に顔を近づける。
「あー、よー、あ?」
「こちらに臭い息を吐きかけるな」
俺は鼻をつまむフリをする。こいつの頭には角が生えていない。チョーチン一家の全員が鬼のように角が生えている訳ではないようだ。
「あ! んだと!」
「それはさっき聞いたぞ。それで? 俺に用があるんだろう?」
俺の言葉を聞いて自分のやることを思い出したのか、顔の爛れた男が、近づけていたその顔を離す。
「餓鬼が。用があるのはお前だろうがよ! 聞きたいことがあるんだろうがよぉ。言えよ」
どうやら食事の準備が出来たという呼び出しではなかったようだ。
俺が鬼灯に頼んでいた情報を持っている男がこいつなのだろう。
『にしてもこんな奴が、か。チョーチン一家は随分と人材が豊富なようだな』
『ふふん。アレ、三年ほどここから離れていたみたいね』
セラフが言うアレというのは鬼灯のことだろう。
『三年ね。カスミからの情報か?』
『ふふん』
カスミとの会話の中にそんな話が出ているのだろう。三年という時間は意外とあっという間で、そして思っているよりも長い。三年の間に組織は大きくなり、鬼灯自身でも掌握出来なくなっているのだろう。
俺は大きくため息を吐く。
「リバーサイドを知っているか?」
俺の言葉を聞いた瞬間、顔の爛れた男が怒りに顔を歪ませる。随分と分かり易い態度だ。
「それで、お前はそれを知っているんだろう?」
「餓鬼、お前、あそこの回し者か? あ?」
回し者? 俺はリバーサイドを場所だと思っていたが、どうも違う。どうやらそのリバーサイドとやらはチョーチン一家と敵対している組織のようだ。
チョーチン一家のことを言っていたシン。
リバーサイドのことを言っていた豚鼻。
どういうことだ?
「リバーサイドはどういう組織だ?」
俺が聞くと爛れた顔の男が不思議なものでも見たかのように顔を歪める。そして笑い出す。
「組織? 組織ね、あー、あー、あー、そういうことかよ。餓鬼、お前、外の奴らか」
どうやら俺は間違えたらしい。どうにも情報が足りない。
俺は肩を竦める。
「そうだな。だから、知っていることを教えろ」
「リバーサイドが何かも知らずに聞いてたのかよ。あー、ひー、警戒した俺が馬鹿みてぇじゃねえかよ」
顔の爛れた男は腹を抱えて笑っている。
リバーサイド。川岸のことだ。それくらいは俺でも知っている。
「それで?」
「リバーサイドは孤児院って言われているなぁ。親の居ねぇ餓鬼を集めている場所だ。あー、まー、その周辺のことを言うこともあるかなー」
孤児院?
ますます良く分からない。
何故、ここで孤児院が出てくる?
オフィスで話せないような内容の答えが孤児院? あそこで感じた敵意はなんだったんだ?
ライオンのような男が警戒していた理由。
チョーチン一家と敵対しているような雰囲気だった理由も良く分からない。
「あー、そういえば、少し前にうちで雇った牛頭のクロウズがそこ出身だったか」
顔の爛れた男がそんなことを独り言のようにポツリと漏らす。
牛頭?
俺はそこで思い出す。シンと戦った時、あいつは牛の頭に変身していた。いや、もしかするとそちらの方が本来の姿なのかもしれない。
「その男の名前はシンと言わなかった?」
「あ? そんな名前だったかもしれねぇが、覚えてねえよ。そこそこ使える奴だと兄貴が言ってたがよぉ」
顔の爛れた男は指を耳に突っ込み、ほじくり返している。
間違いないだろう。
シンはリバーサイドという孤児院の出身でチョーチン一家に雇われていた?
……。
駄目だ。良く分からないな。
いや、そもそも、だ。
『それを俺が知ってどうなる?』
俺はただシンのクルマを返しに来ただけだ。何かするつもりはない。何かを調べるつもりもない。
『ふふん。妙なことに巻き込まれて楽しそうじゃない』
俺はセラフの言葉に肩を竦める。
『厄介ごとが増えただけだ』




